福田恆存は、晩年、腦梗塞の發作を起して以來、餘り物を書かなくなつたが、それ以前も、頭腦の働きが全うだつたにも拘らず、産經新聞の「正論」欄には書けなくなつた。福田に書かせる事は日本國の爲にならないと猪木正道が産經に警告したからである。實は自分も改憲論者だが、今、福田のやうにあからさまに改憲を主張すると、將來なし得る筈の改憲も不可能になつてしまふ、さう猪木は云つたといふ。それは福田から私が聞いた話で確證は無いのだから、ここで猪木の言論抑壓を批判する積りは無く、またその暇も無い。が、福田は「問ひ質したき事ども」に高坂正尭を批判してかう書いてをり、このはうは少しく論ふに足る。
今後十年間、憲法論議を棚上げせよと言ふが、それは(中略)政治家の問題としていちわう認められよう。「不愉快でも沈默し、なすべきことをなすというのが政治家の倫理である。」が、政治學者はどうしたらいいのか、批評家はどうしたらいいのか。いくら官界の御用學者とならうとも、言ふべきことは、はつきり言はねばならない、いや、高坂氏は言つてゐるのかも知れない。が、それなら「中央公論」に憲法論議を十年間棚上げせよ、十年後には喋つてもよいといふやうな、豫言めいた御託宣をせず、「不愉快でも沈默し、なすべきことをなすといふのが御用學者の倫理」ではなからうか。
しかく痛烈に批判されて高坂は「不愉快でも沈默」し、沈默する事によつて勝ち、福田は今更のやうに言論の虚しさを痛感する事になつたのだが、高坂も福田も共に鬼籍に入つた今、ここで高坂を批判する積りも無い。如何なる問題についてであれ、論議の棚上げを主張する識者とはとてつも無い化け物だとだけ云つておかう。論議をしない識者とは魚を賣らない魚屋の類だからである。だが、高坂が憲法論議の棚上げを主張したのは昭和五十五年、すなはち二十年も昔の事だが、以來事態は微塵も變らずに推移して、今もなほ改憲論議は「棚上げ」された儘である。いや、憲法論議に限らない。日本が近代國家なら避けて通れぬ類の問題は、敗戰後、その全てが棚上げされてみる。例へば教育問題である。教育は文部省や教育委員會のなすべき事ではなく親や教師の「專權事項」だが、親や教師は子供を、一體全體、「良き國民」に育てたいのか。それとも「善き人」に育てたいのか。今は往年の威勢を失つた日教組高教組も、時の花を翳しつつある「新しい教科書をつくる會」も、共に「良き國民」を育てようと考へてるる。だが、かのオサマ・ビン・ラディンも、タリバン支配下のアフガニスタンにおいては「良き國民」だつたし、世界貿易センター・ビルに突込んだテロリストもタリバンにとつては英雄で、事程左樣に「良き國民」とは相對的な概念なのである。では「善き人」のはうはどうか。我が子が成年式を迎へてなほ頗る附きの善人である場合、親はそれを不安に思はないだらうか。思ふに決つてゐる。善惡綯ひ交ぜのこの世を渡つて行くには惡智慧が不可缺で、善人は常に輕蔑せられる。惡魔は滑稽でないが善人は滑稽である。だが、なぜ滑稽なのか。イエス・キリストを唯一の例外として善人は必ず滑稽だが、尊重されて然るべき善をなぜ人々は笑ふのか。なぜ善人が他者を不幸に陥れるのか。それはドストエフスキーが「白癡」を書いて眞劍に考へた問題だが、生憎、昭和平成の日本國にドストエフスキーのやうな「閑人」はゐない。善の問題に限らず、よろづ厄介千萬な難問を眉根を寄せて考へるといふ事、それがこの國の知識人には無い。それゆゑ、「御用學者」に限らず、また憲法論議に限らず、この國の知識人は云ふべき事を云はないのではない。抑も「云ふべき事」が無いのである。眞に「云ふべき事」なら情勢の變化とは無關係に「云ふべき」だが、彼等は邊りを窺つて云へるやうな情勢になつてから云ふ。そしてさういふ安手の言論に讀者がまた頗る寛容なのである。大東亞戰爭當時も、戰後もさうであつた。で、この儘ではどうなるか。知れた事、またぞろ「いつか來た道」を辿る事になる。昨年十二月、産經新聞「正論」欄に芳賀綏は、柳田國男のかういふ言葉を引いて「擧國一致」の齒止めたるべき「知的誠實」の大事を説いた。
戰中、老若男女が口を揃へて一種の言葉だけを唱へ績けたのは、強ひられたのでも欺かれたのでもない。これ以外の言ひ方、考へ方を修練する機會を與へられなかつたからだ。かういふ状態が今後も績くならば、どんな不幸な擧國一致が、これからも現はれてこないでもない。
だが、柳田を茶化す譯では斷じてないが、日本國の輿論が「擧國一致」でなかつた事は實は唯の一度も無いのではないかと私は思ふ。何せ邊りを窺ひ云へるやうになつてから云ふのだから皆の意見が一つになる事に何の不思議も無い。政治家にも知識人にも「云ふべき事」の持合せが無い。眞に「云ふべき事」とは容易に讓れない己れだけの道徳的信念だからである。今は民主主義の御時世だから多種多樣な意見が共存してゐると讀者は思つてゐるかも知れないが、多樣なのは道徳的信念ではなくて瑣末末な政治的見解に過ぎない。一月二十四目附の産經新聞によれば、アメリカのアフガニスタン攻撃の是非については「保守派」知識人の間に意見の對立があり、アメリカを支持する田中英道、田久保忠衞及び八木秀次とアメリカを批判する長谷川三千子及び小林よしのりとが「封決」するシンポジウムがこの程開かれる事になつたといふ。馬鹿らしい話である。アメリカを批判する事もアメリカを支持する事も、道徳とは寸分の關はりも無いし、日本の「保守派」に支持されてアメリカが喜ぶ筈も無く、批判されてしよげる事も無い。詰りは全くの無駄事である。私は無論アメリカを支持するが、それは支持する事が日本國の利益になるからで、アメリカを道義的に支持するからではない。外國を道義的に支持するなどといふ事はナンセンスである。私は北朝鮮を支持しないが、それは支持する事に何の利益も見出せないからで、それゆゑ私は北朝鮮を道義的に批判した事が一度も無い。北朝鮮には金正日なる獨裁者がゐて人民に言論の自由が與へられてゐない。けれどもそれは致命的な政治的缺陥ではあつても道徳的缺陥ではない。政治的缺陥を多々有する國にも善人はゐる。北朝鮮にもゐるに決つてゐる。ゐるに決つてゐるが、その北朝鮮の善人は政治的に非力で我が日本國を寸豪も益しない。それゆゑ私は北朝鮮に對して非友好的で、友好的に振舞ふ手合を輕蔑してゐる。
同樣に、私はアメリカを批判する手合をも輕蔑する。周知の如く、アメリカは世界最大の債務國、日本は世界最大の債權國である。然るに日本は、幾ら不況に喘いでも、所有するアメリカの莫大な國債を賣却する譯に行かない。軍事的に非力だからである。小林よしのりにも長谷川三千子にもその事が解うてゐない。陸海空自衞隊の武器は米軍のそれに到底及ばない。例へば我が海軍は航空母艦を有しないが、空母を所持しない國は所持する國と到底互角の戰ひが出來ない。タリバンの指導者オマルにはその事が解つてをらず、國内の反米輿論を抑へてアメリカに協力したパキスタンのムシャラフには解つてゐた。ムシャラフは賢明な指導者で、オマルのはうは愚昧な指導者だつた。宗教的信念といふ事になれば囘教徒ムシャラフも持合せてゐる。が、宗教道徳と政治とは切離して考へなければならない。小林よしのりは産經新聞を「アメリカべつたり」と評したさうだが、「アメリカべつたり」で何が惡いのか。ブッシュが報復を決意するとブレアは早速アメリカへ飛んでブッシュと握手し支持を表明したではないか。核兵器も空母も所持してゐないのだから、イギリス以上に我が日本國は「アメリカべつたり」でやつて行くしかない。それは道義に關はる迎合ではない。マキャベリや夏目漱石が云つたやうに、究極のところ、國家と國家との間に道義は入り込む餘地が無い。而も、アメリカ「べつたり」の協力をしながら一目置かれるやうに振舞ふ事は出來る。例へば改憲である。憲法を改正して日本國の陸海空軍が米軍と共に堂々と戰へるやうにする。さうなつたらアメリカは一目も二目も置くやうになる。アラビア海の洋上で米海軍の補給艦に燃料を補給したり、空自の輸送機が米軍の物資をグアム島へ運んだりする、そんな姑息な手段では到底駄目である。「專守防衞」の看板を下さず「テロ對策特別措置法」なるいかさま法にもとづく「支援」だから、燃料や物資くらみしか運べないが、恐らく今囘自衞隊が補給し輸送した物資は米軍が自力で補給し自力で運べる物ばかりだつたに相違無い。無論、米軍にとつて自衞隊の協力は不愉快ではなかつたらうし、軍事的貢献をしないといふ事は重大な瑕疵ではないとブッシュも云つたが、それは外交辭令に過ぎない。半世紀もぐうたら「平和憲法」に呪縛されてゐるやうな國を諸外國が輕蔑しない道理は無い。北朝鮮はなぜ我國の良民を拉致するか。軍事的報復を皆目怖れてゐないからである。もう書いてもよいと思ふし、本人は書き難いだらうから本人の許可も得ずに書くが、佐藤守が南西航空混成團司令だつた頃、尖閣列島の領有を主張する臺灣がヘリコプターを用ゐて侵犯を計畫した事がある。それを知つた佐藤は、F四ファントムを一機交替で常時張附け、T四を哨戒させ、場合によつては撃墜するといふ意志を明確にした。臺灣はどうしたか。侵犯を斷念した。斷念してぐうたら國の空軍を見直したに相違無い。
では、臺灣が警告を無視して斷念しなかつたらどうなつたらうか。無論、我がファントムがヘリコプターを撃墜して、それは極樂蜻蛉國の大事件になつて、佐藤は詰腹を切らされたであらう。だが、それを知つて諸外國の軍人は佐藤を稱揚し深く同情するに決つてゐる。國家と國家との間に道義は入込む餘地が無いと書いたが、國家が他國から一目置かれるやうになるためには、政治家や外交官や軍人個人の、飽くまでも一個人の、叡智や道徳的な勇氣が不可缺なのである。
さういふ個人の孤獨な道徳的決斷の大事に較べれば、アメリカを支持するか否かを巡る論戰なんぞ所詮は閑人の寢言に過ぎない。「アメリカべつたり」以外に我國の選擇肢は無い。選擇肢の無い事柄について論議するのは閑人の所行である。さういふ至極簡單な道理がなぜ長谷川や小林に解らないのか。自國の軍事的非力を自覺してゐないからに他ならない。詰りは夜郎自大なのだが、その道理輕視の夜郎自大がまたぞろこの國を亡國の淵へ引き摺り込む事になる。小林は「戰爭論」にかう書いてゐる。
さて支那兵・歐米兵の惡を檢證してきた。ソ聯が惡黨だつたのは日ソ中立條約を破つて、突然、滿洲に侵攻してきたのだからもう自明だらう。しかもソ聯兵は戰地で女を強姦するのが褒美として認められてたのだから始末に負へない。日本人に暴虐の限りをつくしたわけだが……例へばソ聯がベルリンに侵攻した時は、ベルリンの全女性の五十パーセントが強姦され、十パーセントが性病にかかつたといふ。(中略)
アメリカはこれほどの大殺戮兵器を、何の豫告もなしに、六日廣島にウラニウム爆彈リトル・ボーイを、九日長崎にプルトニウム爆彈ファットマンを落した。ウラニウム型とプルトニウム型、二種類とも何が何でも一般市民の住む都市に落とし、その破壞状況・人體に及ぼす影響を確かめねばならなかつたのだ。それは惡魔の仕業だつた! (中略)單なる實驗で大虐殺を成し得たアメリカが、そして大虐殺兵器である核を保有する中國とアメリカが、仲良く日本の戰爭責任を未だに追及する資格などあるわけがない。核を捨ててから言へ!(原文の改行は無視)
北朝鮮を道義的に批判した事が無いと先に書いたが、私はソ聯を道義的に難じた事も無い。ユダヤ人の虐殺はナチスの「專賣特許」ではない。スターリン支配下のソ聯もやつてゐる。スターリンは日本人とドイツ人だけを虐待した譯ではない。スターリンがベッドの上で安らかに死ぬるまでに、無數のロシア人がシベリアへ送られて殺されてゐる。けれども、それを道義的に難じても仕樣が無い。それは比楡的には「惡魔の仕業」だが、スターリンは人間であつて惡魔ではない。かの頭腦明斷なるジョージ・スタイナーも、戰後に書かれたT・S・エリオットの文化論を批判して「アウシュビッツの悲劇に全く言及してゐない」と書いたが、私はエリオットのはうが遙かに賢いと思ふ。人間はどんな殘虐をもなし得るのだと、多分、エリオットは云つたであらう。實際、これはその後スタイナーの書いた事だが、舊約聖書は殺教に充ちてゐる。カインによる弟のアベル殺害以來、大量の血が流されてゐる。が、それを今更道義的に難じても始らない。始らないから全世界の誰も難じない。人間は殘虐な動物なのであり、それを自覺せず、敵に鹽を送る美談に酔ふやうなお人好しだから、日本人は戰爭を道義的に裁斷する。その事に「保守革新」の別は無い。大江健三郎も土井たか子も小林よしのりも無類のお人好しなのである。無論、戰勝國が敗戰國を道義的に裁くといふ事はあつて、ニュルンベルク裁判も東京裁判も共に茶番だが、何せ勝てば官軍なのだから、官軍の手前勝手を賊軍が處口めても仕樣が無い。然るに、日本國が敗けて五十數年經つた今、小林が列國を難じて安手のアジテイションをやらかすのは何のためなのか。知れた事、これまで大いに幅を利かせた「左翼・進歩派」の自虐的な史觀を否定するためである。然るに、自虐的史觀と同樣、それがまたぞろ亡國の引金になる。
だが、それについては次囘に讓るとして、ここでついでに書いて置きたい事がある。産經新聞は今囘のシンポジウム開催を傳へる記事に「保守派同士が初論戰」なる大見出しを附けてゐる。アメリカを批判する保守派がゐて、アメリカを支持する保守派がゐる、さう産經の記者は思つてゐるらしい。だが、他國を難ずる事も擁護する事も、共に保守とは何の關はりも無いのだから、これを機曾に「保守派」なる言葉を輕々に用ゐぬやう産經に忠告しておく。抑も何を保守するのが「保守派」なのか。他國との友好關係を保守するのが保守ならば、産經の記者も田久保も土井たか子も保守である。だが、他國との友好關係の保持は斷じて保守の對象ではあり得ない。アメリカや臺灣と戰ふ事が未來永劫絶對に無いとは云ひ切れない。我々が保守せねばならぬのは、我々の、我々だけの文化だが、それを保守する事がいかに難事かを世人は痛感してゐない。安井佐代のやうに見事に振舞ふためには、パンティーを脱ぎ腰卷を卷き、キーボードを捨て墨を擦らねばならない。それが出來るか。出來はしまい。和魂洋才とはとどのつまり畫餠だつたのである。
畫餅とは繪に描いた餅である。繪に描いた餅は食べられない。和魂洋才とは西洋から文明の利器は採り入れるが根性は父祖傳來のそれでやつて行くといふ事だが、さうは問屋が卸さなかつた。確かアーノルド・トインビーが指摘してゐた事だが、西洋文明はそれを採り入れる異國の文化に破壞的な影響を及ぼす。女が腰卷を卷いてゐた頃、男は褌を締めてゐて、男が決心して何かをやらうとする時は褌を締めて掛つた。所謂「緊褌一番」である。だが、今の我々はパンツを穿いてゐる。何か大事をなさうとする時、パンツでは締め樣が無いし、ズボンのベルトを締め直したところで肝が坐る筈も無い。それゆゑ、褌を締めて「和魂洋才」なる負け惜しみの合言葉を信じ、惡戰して苦鬪した幕末の先祖に較べ、我々は格段に緩褌になつた。緩褌は「ゆるふん」と讀む。パンツは西洋褌ではない。パンツとは詰り「緩褌」である。西洋人がパンツを穿いても緩褌にはならないが、日本人がパンツを穿けば緩褌になる。大袈裟な事を云ふと讀者は思つて笑ふに相違無いが、それも西洋文明の破壞的影響力の一つである。
和魂洋才を「廣辭苑」は「わが國固有の精神と西洋の學問。日本固有の精神を以て、西洋の學問・知識を學び取ること」と定義してゐる。無論、褌は「我國固有の學問・知識」ではない。だが、褌を締める事は紛れも無く「我國固有」の文化である。文化とは何か。T・Sエリオットが簡潔かつ的確に定義したやうに、我々の生をして生き甲斐あらしむるものである。重ねて大袈裟な事を云ふが、褌は御先祖樣に生き甲斐を与へ、パンツは我々にそれを与へない。「緊パン一番」なる言葉は無い。緊褌一番、褌を締めて掛かれば、忽ち氣が締まると御先祖は信じてゐた。成程、氣持を引締める事が生き甲斐を与へるといふ事は確かにある。生き甲斐とは「生きてゐてよかつたと思へる」事だが、寶籤に當たつたり、初孫が誕生したり、金メダルを取つたりして、詰りは幸福に酔ひ癡れる時だけ、人は生き甲斐を感ずる譯ではない。人生意氣に感じ、損得を全く考へず、身に迫る危險をも顧みずして己が信念を貫く時にも、人は確實に生き甲斐を感ずる。緩褌でなかつた或る明治人はかういふ文章を遺してゐる。會津戰爭當時の侠客の話である。
この間、若松よりの銃砲聲いぜんとして絶えず、一同その勝敗を案ず。この音やめば主君をはじめ城中の一同全滅なりと、きさ女、忠女は語る。敵兵きたると聞けば血氣の兵藏銃と刀とりて驅け出で、しばしば兄(太一郎)より輕學を戒めらる。この兵藏の郷里は越後濁川と聞く。相撲好きにて田舎力士の關取なり。賭博を好み喧嘩を日常の事とするも情誼まことに厚く、自ら侠客をもつて任ず。(中略)越後軍破れて若松に引上げ、八月二十三日朝、東松嶺にいたりて鶴ヶ城を望めば一面火と黒煙の海なり。太一郎これを指して、「會津すでに落ちたり。吾等これより城に馳せ參じて死するのみ。汝は元より會津藩には何の由縁もなし。吾とともに死する義理まつたくなし、すみやかに歸郷せよ」と金若干を与へて決別せんとすれば、兵藏にはかに怒りて色をなし、
「これは驚き入りたることかな、主人の言とも覺えぬ無常無慈悲のお言葉なり。吾等下賎の博徒なりといへども一宿一飯の義理をたつとぶ、その家に難あれば身命をも棄つるものなり。しかるに何ぞや、主君ただいま國難に赴くにさいし暇をたまはらんとは、まこと義理もなく人情もなし。御命令なれど、だんじてお斷り申す」
と坐り込み、梃子にても動かぬ憤然たる面構へなり。
この兵藏の根性すなはち「和魂」を見事だと思はぬ日本人は一人もゐまい。「一宿一飯の義理」を尊び、緊褌一番、「身命をも棄つる」覺悟でゐる兵藏は、無論、生きてゐてよかつたなどと思つてはゐない。そんなゆとりは無い。けれども、彼の心はいたく昴揚してをり、「お斷り申す」とて坐り込んだ時には、主君の命を拒む己れに無意識に陶酔してゐたに相違無い。己が行動の正しさを確信する事は、その正しさが自國の文化に支へられてゐる限り、苦しい時悲しい時にも、人に生き甲斐を与へるのである。自分だけで自分を立派だと思ふのは只の自惚れに過ぎない。だが、國や「家に難あれば身命をも棄つる」事を是とするのが我々の文化だから、兵藏の至極微量の自己陶酔は斷じて自惚れではない。
兵藏の主君は太一郎だが、太一郎は人間であつて絶對者ではない。但し、主君とは並みの人ではなく「人の上の人」である。「人の上の人」を戴いてゐないのなら兵藏の見事な振舞も無い。主君無しに主君の命を拒む見事も無い道理だからである。平生は主君に仕へる事が兵藏の生き甲斐だが、今この場合、主命を拒む事が生き甲斐になる。國や「家に難あれば身命をも棄つる」事を是とする文化のはうが、主命よりも遙かに強力だからである。然るに、その我國固有の文化は、明治以降、パンツのみならず西洋文明の利器の移入と共に次第に稀薄になつて、取分け「大正デモクラシー」の流行後は急速に衰微した。「森鴎外とともに事實上何かが終つたと私は思ふ。そして夏目漱石とともに、事實上何かが始まつたと思ふ」と高橋義孝は書いてゐるが、成程、例へば「人の上の人」たる明治天皇の崩御は、強い衝撃を鴎外に与へ漱石には殆ど与へてゐない。無論、志賀直哉や武者小路實篤とは異なり、漱石に「人の上の人」の權威を茶化して喜ぶ輕薄は無いが、漱石は「人の上の人」の權威を鴎外程は認めてゐない。
けれども、鴎外と共に何かが終り漱石とともに何かが始つたといふのは正確な云ひ方ではない。「何かが終り何か始まつた」のは、詰り、日本文化の變質が始まつたのは、浦賀に黒船がやつて來て、やむなく國を開いて後、取分け「人の上に」人ならぬ絶對者を戴く歐米の平等思想にかぶれて後の事である。西洋文明の攝取を喫緊の課題と信じた福澤諭吉は、明治五年、「學問のすゝめ」にかう書いた。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、萬物の靈たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの者を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安樂に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。
お前の云ふ天とは天空の事か、それとも「お天道樣」の事かと問はれたら、福澤は目を白黒させて當惑したに相違無い。「天より人を生ずる」のならば、福澤の云ふ天とは明かに造物主だが、天地萬物を絶對者の創造とする信仰は日本には無い。右に引いた件りが「アメリカ獨立宣言」の寫しに等しいといふ事はよく知られてゐるが、福澤の説く平等がアメリカ製だつたといふ事は、「人の上の人」たる天皇や將軍家や藩主を戴き、服從に生き甲斐を見出す我々の文化と、ぎりぎりの處、絶對者にしか服從しない歐米の文化とが、所詮は水と油だといふ事の證しである。早い話が、人間をして「安樂に此世を渡らしめ」ようなどと、エホバもイエス・キリストも毛頭考へてゐない。イエスは云つてゐる、「われ地に平和を投ぜんために來れりと思ふな、平和にあらず、反(かへ)つて劍を投ぜん爲に來れり。それ我が來れるは人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑(しうとめ)より分たん爲なり。人の仇はその家の者なるべし。我よりも父または母を愛する者は、我に相應しからず。」
このイエスの嚴しい言葉と「互に人の妨げをなさずして各安樂に此世を渡らしめ」云々の福澤の言葉との間には無限大の隔たりがある。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と、昔、平重盛は嘆いたが、重盛にとつては後白河法皇も父清盛も共に「人の上の人」だから、どちらか一方を捨てる譯には行かなかつた。絶對者に從つて父母を見限るなどといふ非情は我々の文化には無い。文化に裏づけられてゐない物は輸入しても根附かない。日本のキリスト教が粉ひ物たるゆゑんである。キリスト教國の文明はその「破壞的な影響力」によつて日本の文化を め、我々は「無魂洋才」の緩褌になつたが、それは歐米の文化が移植されたといふ事ではない。平成の今も例へば平等思想は移植されてゐない。平民の奴隷根性を嘆じて福澤は、「見上の人に逢へば一言半句の理窟を述ること能はず、立てと云へば立ち、舞へと云へば舞ひ、其從順なること家に飼ひたる痩せ犬の如し」と書いたが、「人の上の人」たる鈴木宗男に對して外務官僚は頗る從順だつたし、長年、「一言半句の理窟」も述べられなかつた。後白河法皇を幽閉しようとする父清盛を諌めて重盛はかう云つてゐる。
神明佛陀の感應あらば、君もおぼしめしなほすなどか候はざるべき。君と臣とをくらぶるに、君につきたてまつるは忠臣の法なり。道理とひが事をならぶるに、いかでか道理につかざるべき。
「人の上の人」たる父親を諌めたのだから重盛は「一言半句の理窟」をも述べられぬ從順な「痩せ犬」ではないが、「君と臣とをくらぶるに、君につきたてまつるは忠臣の法」云々は脆弱な論法であり、假に誰かが、では、惡しき君に「つきたてまつる」のも「忠臣の法」かと問うたら、重盛は答へに窮したであらう。實際、後白河院と清盛との對立は清盛の側にだけ非があつて生じた譯ではない。
さういふ次第で平等思想は我々の文化に馴染まない。そこからは兵藏の覺悟も重盛の苦哀も生じ樣が無い。「平家物語」には、重盛諫言の場に立ち、かの有名な白拍子義王のあはれを物語る一章がある。清盛の寵愛を失つて後、或る日、清盛が目下寵愛してゐる白拍子の無聊を慰めるべくやつて來て舞へと命じられる。義王は殺されても、都の外へ追放されても、行くものかと思ふ。すると母親が「あめが下に住まん者は、ともかうも入道殿の仰せをばそむくまじきことあるぞ」と云ふ。
「このたび召さんに參らねばとて、命を召さるるまではよもあらじ。都のほかへぞ出だされんずらん。たとへ都を出ださるるとも、わごぜたちは年若ければ、いかならん岩木のはざまにても、すごさんことやすかるべし。(中略)ただわれを都のうちにて住みはてさせよ。それぞ今生、後生の孝養にてあらんずる」と云へば、義王、憂しと思ひし道なれど、親の命をそむかじと、泣く泣く出でたちける心のうちこそ無慚なれ
兵藏も重盛も義王も從ふべき「人の上の人」を戴いてゐる。兵藏は主君に逆らふが、主君と己れとの人間としての平等を信じて逆らふ譯ではない。武者小路實篤は茄子や南瓜の繪を描いて、そこに「仲良き事は美しき哉」と認めたし、高見山が太鼓を叩いて登場する「世界は一家、人類は兄弟」といふ甘たれのコマーシャルもあつたが、いづれの場合も、茄子や南瓜や世界や人類の平等が信じられてゐた譯ではない。茄子のやうな人間も、南瓜のやうな人間も、馬鹿も悧口も、天皇も乞食も、凡そ人間はすべて平等だと、キリスト教國では考へるが我々は考へない。是非も無い。福澤は平等思想をジェファソンから貰つたが、ジェファソンはそれを絶對者から貰つてゐる。正確に云へば貰つたと信じてゐる。絶對者の前で始めて萬人は平等なのである。「アメリカ獨立宣言」冒頭にはかう書かれてゐる、「すべての人間は平等に創造され、造物主によつて他に讓渡し得ない權利を付與され、その權利には生命、自由、及び幸福追求の權利が含まれる。これは自明の眞理である」
けれども、我々の國には我々だけの文化がある。そしてそこからは誰一人として拔け出せない。拔け出したら我々は生き甲斐を失つて仕舞ふ。生き甲斐とは褌を締め直す時にだけ感じられるものではない。泣く泣く清盛と母親に從ふ義王も、自國文化に從ふ微量の滿足は味はつてゐる。同じく微量だが、厠に蹲る時にも生き甲斐は感じられる。但し、厠とは西洋風のトイレではない。飽くまで和風の雪隱である。「陰翳禮讃」と題する美しい短文に谷崎潤一郎はかう書いてゐる。
漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの樂しみに數へられ、それは寧ろ生理的快感であると云はれたさうだが、その快感を味はふ上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に圍まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出來る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。さうしてそれには、繰り返して云ふが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻(うな)りさへ耳につくやうな靜かさとが、必須の條件なのである。私はさういふ厠にあつて、しとしとと降る雨の音を聽くのを好む。殊に關東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついてゐるので、軒端や木の葉からしたヽり落ちる點滴が、石燈籠の根を洗ひ飛び石の苔を潤しつヽ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしほ身に近く聽くことが出來る。まことに厠は蟲の音によく、鳥の聲によく、月夜にも亦ふさはしく、四季をりをりの物のあはれを味はふのに最も適した場所であつて、恐らく古來の俳人は此處から無數の題材を得てゐるであらう。
同じ文化を共有してゐるから、平成の今人も侠客兵藏の振舞を見事だと思ふ。但し、見事だと思つても肖らうとはしない。「緩褌」だからである。同じ文化を共有してゐるから、右の谷崎の文章を我々は美しいと思ふ。だが、暖房完備のタイル貼りのトイレでは「蚊の呻り」も雨の音も聞えないし、青空も青葉の色も見る事が出來ない。それゆゑ今の我々は厠で生き甲斐を感ずる事が無い。「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の聲を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と、「古今和歌集」の冒頭に書かれてゐるが、文明開化とともに和歌は急速に廢れ、今はもう無い。では、風流を解さぬ經濟動物の「緩褌」に、金儲け以外の生き甲斐は無いか。ある。政治主義である。親米か反米かなどといふ下らぬ議論を上下する時、政治家や知識人は紛れも無い生き甲斐を感じてゐて、樂しくて樂しくて仕樣が無いに違ひ無い。だが、讀者諸君よ。新聞雜誌にかくも政治問題ばかりが論はれてゐる現状を狂つてゐるとは思はないか。「物のあはれ」をしみじみ痛感させる「平家物語」や「陰翳禮讃」のやうな文章、或いは、次に引く政治を超える鋭い論理的な文章が、どうしてこの國では書かれないのか。
さほど希望を持たず、目下の情勢の成り行きを變へたいといふ野心も持たず、そして結果として何も起らないやうに思はれる時でも意氣銷沈したり挫けたりすることなく、ひたすら問題の核心を見拔くこと、眞理に達しそれを説かうと努めることに專念する數少ない物書きが必ずゐなければならない。斯かる物書きに相應しい領域は、政治的なそれではなく、「政治に先行する」領域と呼ばれ得るものである。(中略)「政治に先行する領域」とは、いかなる政治思想もそこに向つて根を伸ばし、そこから榮養を得なければならないやうな地層、(中略)倫理の領域、畢竟するに神學の領域なのである。
エリオットの云ふ「政治に先行する領域」としての「神學の領域」を我々は有しない。我々の國には神學が無い。平成の今無いのではなくて大昔から無い。天照大神も素餞鳴尊もエホバのやうな絶對者ではない。絶對者を戴かぬ國に神學なんぞ有り得る道理が無い。神道に教理も教典も無いし、佛教も儒教も支那からの輸入品だが、キリスト教が宗教なら佛教儒教は宗教ではない。眞の宗教は政治を超えるものだからである。サーキヤ族の王子だつた釋迦は居城を拔出し出家して、解脱を求めて斷食、骨と皮だけになる程の凄まじい修行をしたのだから、政治には何の關心も有しなかつたが、日本の佛教は、古來、政治に深く係はつてゐる。「賀茂川の水、雙六の賽、山法師、是ぞ朕が心に随はぬ者」と白河法皇は零したが、平安末期、僧兵の軍事力はさまで強大であつた。武裝する僧侶はもはや聖職者ではないが、白河法皇にしても出家して後に權勢を揮つてゐるし、「北面の武士」と呼ばれる院直屬の軍隊を創設してもゐる。平清盛は白河院の落胤だと云はれるが、清盛もまた出家して後に權勢を恣にしてゐる。白河上皇も清盛もいはば「生臭坊主」で、「政治に先行する領域」なんぞ一向に重んじてゐないのである。「文明論之概略」に福澤諭吉は書いてゐる。
宗教は人心の内部に働くものにて、最も自由最も獨立して も他の制禦を受けず、 も他の力に依頼せずして、世に存す可き筈なるに、我日本に於ては即ち然らず。古來名僧智識と稱する者、或は入唐して法を求め、或は自國に在て新教を開き、人を教化し寺を建るもの多しと も、大概皆天子將軍等の 顧を僥倖(ぎようこう)し、其餘光を假りて法を弘めんとするのみ。甚しきは政府より爵位を受けて榮とするに至れり。(中略)故に古來日本國中の大寺院と稱するものは、天子皇后の勅願所に非ざれば將軍執權の建立なり。概して之を御用の寺と云はざるを得ず。(中略)其教は悉皆政權の中に攝取せられて、十萬世界に遍く照らすものは、佛教の光明に非ずして、政權の威光なるが如し。
徳川時代になると御用學問が朱子學になつて佛教は逼塞したが、御用學問だから、朱子學もまた「政治に先行する領域」を重んじなかつた。朱子學に限らず儒教は「修身齋家」即ち論理を重視したが、それ以上に重んじたのが政治即ち「治國平天下」であり、「修身齋家」も學問も「治國平天下」の爲に行はれねばならぬのであつた。「名君の興し玉ふ學校にて候へば、初より章句文字、無用の學問に成り行き候は深(く)恐れ戒められ、必(ず)學政一致に志し人才生育に心を留め玉ふに候。然に其學政一致と申す心は、人才を生育し政事の有用に用ひんとの心にて候」と嘉永五年、横井小楠は書いてゐる。政治に役立つ學問でなければ本當の學問でないと云ふのである。
小楠がさう書いた翌年、浦賀にペリー率ゐる四隻の黒船がやつて來て、幕府は上を下への大騒ぎになつた。「泰平の眠りを覺ます上喜撰、たつた四杯で夜も眠れず」といふちよぼくれが遣つてゐるが、無責任な庶民は爲政者の狼狽を茶化して樂しんだ。「上喜撰」とは當時の高級煎茶の名前で、同音異義の「蒸氣船」に掛けたのである。二世紀半にも及ぶ「泰平の眠り」を覺まされ、翌七年、幕府は國を開く事になつたが、さてそれからは、何せ未會有の國難に直面したから、開國の是非を巡つて侃々 々、以前にもまして政治主義の時代になつた。憂國の士吉田松陰は「書畫眞玩具、詩歌亦閑事」と云つてゐる。國家一大事の秋、書畫を愛で詩歌を吟ずる暇なんぞありはしないと云ふのである。
私は書畫の心得が無いし、詩歌にも興味が無いし、小説も滅多に讀まない。音樂は大好きだが、それも西洋音樂で日本の音樂ではない。キリスト教が宗教なら佛教儒教は宗教ではないと先に書いたが、西洋音樂が音樂なら越天樂も黒田節も音樂ではない。黒田節も演歌も、例へばモーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の中で歌はれる「乾杯の歌」に較べれば殆ど無價値である。だが、どうしてさうなのか。我々はなぜ優れた音樂を持たないのか。「文明論之概略」に福澤諭吉はかう書いてゐる。
日本人の智惠と西洋人の智惠とを比較すれば、文學技術商賣工業、最大の事より最小の事に至るまで、一より計へて百に至るも又千に至るも、一として彼の右に出るものあらず。彼に敵對する者なく、かれに敵對せんと企る者もなし。天下の至愚に非ざるの外は、我學術商工の事を以て西洋諸國に並立せりと思ふ者はなかる可し。誰か大八車を以て蒸氣車に比し、日本刀を以て小銃に比する者あらん、我に陰陽五行の説を唱れば、彼には六十元素の發明あり。我は天文を以て吉凶をトしたるに、彼は既に彗星の歴を作り大陽大陰の實質をも吟味せり。我は動かざる平地に住居したる積りなりしに、彼は其圓くして動くものなるを知れり。我は我邦を以て至尊の神洲と思ひしに、彼は既に世界中を奔走して土地を開き國を立て、其政令商法の 整なるは却て我より美なるもの多し。是等の諸件に至ては、今の日本の有樣にて決して西洋に向て誇る可きものなし。日本人の誇る所のものは唯天然の物産に非ざれば山水の風景のみ、人造の物には嘗てこれあるを聞かず。(中略)是に由て之を觀れば、方今我邦至急の求は智惠に非ずして何ぞや。學者思はざる可らず。
だが、「智惠」に關する限り、今の日本にも「西洋に向て誇る可きもの」は何も無い。早い話が、私はこの原稿を「契沖」及び「エイトック」を用ゐて書いてゐて、「エイトック」は大變よく出來たソフトだと思ふが、「世界に向て誇る可き」ソフトではないし、それを動かす肝心のウインドウズは米國製である。コンピューターを發明したのが日本人で、而も國語改革などといふ世界に恥ずべき愚行がなされなかつたなら、私は今、「窓二千」ならぬ「窓十四」を用ゐて書いてゐる筈である。
而も、西洋に「敵對」し得ないのは「智惠」だけではない。先述の通り、「智惠」だけで拵へる譯に行かぬ音樂も「敵對」し得ない。文學哲學の場合も同樣であつて、我國は一人のシェイクスピアも一人のカントも生まなかつた。橋本左内は「仁義之道忠孝之教は吾より開き、器技之精は彼より取」れと云つたが、「仁義之道忠孝之教」なる和魂を維持したままで洋才を攝取しても、「和才」が洋才を凌駕するといふ事にはならなかつたし、今後も決してなりはしない。コペルニクスやガリレオを生んだ西洋がモーツアルトやベートヴェンを生んだ。これを要するに、洋魂と洋才とは不可分であり、兩者を繋いでゐるものが「政治に先行する」宗教キリスト教であり、キリスト教無くしては洋魂も無く洋才も無いといふ事なのである。
福澤諭吉は誇るべき偉大な御先祖の一人だが、さういふ事が皆目解つてゐなかつた。成程、明治の日本にとつて「至急の求は智惠」であり、洋才の攝取であつた。それがやれたから日本は列強の植民地にならずに濟んだ。けれども、洋才の猿眞似が一通り濟んで後も、「仁義之道忠孝之教」を以てしては一人のモーツアルトも生めず、一臺のコンピューターも作れなかつた。モーツアルトの音樂もウインドウズXPも政治とは何の關はりも無い。自民黨にも共産黨にもモーツアルト好きはゐるし、親米の自民黨員も反米の自治黨員もウインドウズを使つてゐる。これを要するに、政治を超越する宗教を有しない國には、モーツアルトのみならずビル・ゲイツも生れ樣が無いといふ事なのである。成程、演奏家の技術は西洋の演奏家のそれに引けを取らないかも知れないが、彼等と西洋音樂との間には全てを見通せぬ壁が存在してゐるに相違無い。三月十二日の産經新聞夕刊に戸田彌生といふヴァイオリ二ストのインタビューが載つてゐて、私は頗る興味深く讀んだ。戸田はかう語つてゐる。
生粋のウイーンであるシューベルトの音樂にはものすごく距離を感じてしまひます。好きで好きで堪らないのに、あちらから大きな壁を作られてしまふ。
高村光太郎は詩人であり彫刻家であつた。パリに留學してロダンに師事したが、彼とフランス人との間にも「大きな壁」が存在した。高村は書いてゐる。
僕には又白人種が解き盡されない謎である。僕には彼等の手の指の微動をすら了解する事は出來ない。相抱き相擁しながらも僕は石を抱き屍骸を擁してゐると思はずにはゐられない。その眞白な の樣な胸にぐさと小刀をつつ込んだらばと、思ふ事が屡々あるのだ。僕の身の周囲には金網が張つてある。どんな談笑の中團欒の中へ行つても此の金網が邪魔をする。海の魚は河に入る可からず、河の魚は海に入る可からず。駄目だ。早く歸つて心と心とをしやりしやりと擦り合せたい。寂しいよ。
日本に歸れば日本人同士「心と心とをしやりしやりと擦り合せ」て樂しめるが、パリではそれがどうしても出來ない。フランス人の裸モデルを立たせ、粘土を摘んでその肉體を模する事は出來る。けれども、裸モデルが今何を考へ何を感じてゐるか、それがさつぱり解らない。高村にとつての西洋は立入禁止の「金網」の中にあつた。平成の我々の場合も同樣である。晩年、小林秀雄は「僕がドストエフスキーをやつて駄目だつたのは、キリスト教が解らなかつたからです。今もつて解りません」と語つてゐる。小林に解らなかつた物は私にも解らない。「月曜評論」の讀者にも解らないに決まつてゐる。
片務的な軍事同盟に支へられ、半世紀の惰眠を貧り、精神的鎖國を續けたものだから、大方の日本人は歐米文化と自國文化との絶望的な隔たりを意識してゐないが、「方今我邦至急の求」は彼の「智惠」ではなくて、彼我の絶望的な隔たりを、高村の云ふ「金網」の存在を、痛切に意識する事なのである。彼と我とは何が一番違ふのか。彼は絶對者を戴き、我は「人の上の人」を戴いてゐる。それゆゑ我々には祈りの對象が無い。「人の上の人」も人だから、何事かを願つたり頼んだりする事は出來る。が、祈る事は凡そ無意味である。「廣辭苑」によれば「祈る」とは「神や佛の名を呼び、幸ひを請ひ願ふ」行爲であつて、我々は神佛に幸福を祈る。然るに、例へば「ランダムハウス英和事典」には、第一項に「神もしくは信仰の對象に祈願する」とあつて、「神の慈悲を祈る」とか「罪の許しを乞ふ」とかいふ例分が揚げられてゐる。我は神佛に幸福を祈願するが、彼は絶對者に罪の許しを乞ふ。云ふまでもあるまいが、幸福の祈願は現世の利益を求める打算的な行爲だが、罪の許しを乞ふ事は打算ではない。許されるのはあの世に於いてだからだある。
キリスト教は眞撃な祈りの對象を有し、神道佛教儒教は有しない。それゆゑ我々は祈りの音樂を有せず、一人のバッハも一人のモーツアルトも生まなかつた。ヨハン・セバスティアン・バッハは世俗音樂の他に大量のミサやモテットを作曲してゐる。バッハ程ではないがモーツアルトにも多くの宗教音樂がある。そして世俗音樂たる彼の交響曲や協奏曲にも、宗教音樂と同質の祈りを見出せる。例えば歌劇「フィガロの結婚」第三幕には、伯爵夫人が夫の愛の失はれた事を嘆く美しい詠唱があるけれども、その旋律は「戴冠式」と呼ばれるミサ曲中の一曲のそれと全く同じなのである。更にまた、最後の交響曲は「ジュピター」と呼ばれてゐるが、その緩徐樂章アンダンテ・カンタービレは紛れもない祈りの音樂であつて、ピアノ協奏曲第二十四番の緩徐樂章も同じである。小林秀雄は弦樂四重奏曲第十九番ハ長調のアンダンテ・カンタービレについてかう書いてゐる。
若し、これが眞實な人間のカンタアビレなら、もうこの先き何處に行く處があらうか。例へばチャイフスキイのカンタアビレまで墮落する必要が何處にあつたのだらう。明澄な意志と敬虔な愛情とのユニッソン、極度の注意力が、果しない優しさに溶けて流れる。この手法の簡潔さの極度に現れる表情豊かさを辿る爲には、耳を持つてゐるだけでは足りぬ。これは殆ど祈りであるが、もし明らかな良心を持つて、千萬無量の想ひを託するとするなら、恐らくこんな音樂しかあるまい、僕はそんな事を想ふ。
これは典型的な小林節で、私は若い頃この手の情緒的な文章に耽溺したが、今はその空虚を痛感する。が、それはともかく、小林の云ふ通り弦樂四重奏曲第十九番の第二樂章は祈りである。いや、モーツアルトの緩徐樂章は全て祈りである。モーツアルトに限らない。小林はハイドンについて「何かしら大切なものが缺けた人間を感ずる」などと頗る不當な事を書いてゐるが、ハイドンの音樂にも「眞實な人間のカンタアビレ」はある。カンタービレとはイタリア語で「歌ふやうに」といふ意味である。私はブルノ・ワルターが指揮してコロンビア交響樂團が演奏するモーツアルトの交響曲第三十六番の、リハーサルを録音したCDを持つてゐるが、ワルターは頻りに「歌へ」と樂員に命じてゐる。緩徐樂章だけではない。アレグロであれメヌエットであれ、「表情の豊かさ」を有する旋律は全て歌はねばならない。なぜ歌はねばならないか。祈りだからである。私の日本人だから體驗して解つてゐる譯ではないが、己が罪を悔い絶對者の許しを乞ふ時は、誰しも「明らかな良心を持つ」しかないであらう。「許し給へ」とて眞摯に祈る事は呻くであらう。その呻きが祈りの歌になり、許されたと信じたら喜びの歌を歌ふ事になる。
聊か藪から棒を出すやうだが、人間、死ぬる時は獨りである。絶對者に祈る時も獨りである。眞摯になる時、人は必ず獨りになる。徒黨を組んで死ぬ奴はゐないし、徒黨を組んで祈る奴もゐない。この事を否定する者は一人もゐまいが、それは政治主義のやくざを明證する嚴然たる事實なのである。政治は徒黨を組んでやる。一人では決してやれない。だが、日米安全保障條約の自動延長を決める時、當時の首相岸信介は閣僚を全て歸宅させ、唯一人、デモ隊の取卷く官邸に留つた。決斷は孤獨な行爲であり、政治家と雖も決斷する時は一人である。政治と同樣、戰爭も一人では出來ないが、戰鬪は一人きりでやる。小隊長が「突撃」と叫ぶのは小隊長個人の決斷であり、命令に從ふのは部下一人一人の決斷である。これまで何度も引いたから、またぞろ引くのは心苦しいが、大東亞戰爭末期、米軍に包囲され南洋のビアク島にあつて、畫間は穴の中で過ごし、夜になると土人の畑から芋を盗み、蛇や蜥蜴を捉へ、それらを食つて命を繁いでゐた或る將校はかういふ手記を遺してゐる。
紙も少なくなり後補充ハナシ、ノートに記載スルモ字を小サクシ、永續ヲ ル必要を生ジアリ昨夜寢る時月ヲ見タク久シク見ザルモノニシテ美シク懷シキモノナリ、月ヲ見テ感情ヲ燃ス事、昔カラ記シアルモ自分ニテ體驗且深刻ナル喜ビヲ感ズルハ悲境ニ在ルガ故ナラン、太陽ヲ月ヲ風ヲ求メル作今ノ心境ナリ、昨夜妻の夢を見るなつかしきものなり。
月明りを頼りに一人ぼつちで書かれたこの眞摯な文章を、次に引く小林よしのりの、徒黨を組みたがつてゐる弱い「ゴーマニスト」の、ふやけ切つた政治主義の駄文と讀み較べてみるがよい。ビアク島の將校にあつて小林に無いものが眞摯の二字である事が立所に解るであらう。
平和だ…あちこちがただれてくるよな平和さだ。今の日本に祖國のために死ねる者などゐない。/ここでわしはマルクス主義の影響のある者を「左翼」と漢字で書き、無意識に「人權」などの價値に引きずられ反權力・反國家・市民主義なる者を「サヨク」とカタカナで書く。(中略)今や殘存左翼はかつて日本と戰つた中國に飛び、アメリカに飛び、日本は戰爭犯罪國家だと世界にPRすることで、反權力・反國家運動を展開してゐる。/このサヨクな空氣に逆らふわしは惡黨になる。/ごーまんかましてよかですか?戰前も戰後も、空氣に逆らへぬだけの個のない論調。本當に個のある者はゴーマニストになる。
小林の文章は典型的なアジテイションである。「メリアム・ウェブスター」はアジテイションを「公衆の感情を掻き立てようとする試み」と定義してゐる。成程、シェイクスピアが「ジュリアス・シーザー」で鮮やかに描いたやうに、或いは田中眞紀子の高い支持率が證してゐるやうに、公衆は常に愚かだから、これまでに多くの愚かな「公衆」が小林の漫畫を眺め「憂國」の感情を「掻き立てられ」たに相違無い。「今の日本に祖國のために死ねる者などゐない」と小林は云ふ。演説會なんぞでそんなふうに叫ばれると、叫ぶ奴が愛國者に見え、聽衆も愛國者であるかのやうに錯覺して昂奮するが、「今の日本に祖國のために死ねる者などゐない」ならば、小林自身にも國のために死ぬる覺悟は無いといふ事になる道理である。
「全ての日本人は嘘吐きだ」と日本人が云つたなら、「全ての日本人は嘘吐きだ」といふ主張も嘘である。そんな道理は二千數百年前のギリシア人が知つてゐた事だが、何せ扇動を好む手合が冷靜に思考する事は決して無いから、小林も己が歿論理に氣附かない。歿論理と云へば「本當に個のある者はゴーマニストになる」の件りも同じであつて、眞に傲漫な男なら「ごーまんかましてよかですか」などとは口が裂けても云ひはしないし、「ゴーマニスト」などといふ國籍不明の怪しげな造語を愛用する筈も無いし、傲漫を「ごーまん」と書ける道理も無い。小林は「保守派」ださうだが、祖父傳來の書き方を尊重し保守しない保守派とは、國を愛さない愛國者、魚を賣らない魚屋の類である。それゆゑ、小林に限らず、略字新假名で書く保守主義者全てを私は信じない。祖國を守るといふ事は祖國の文化を守るといふ事で、祖國の文化とは祖先の流儀以外の荷物でもない。その祖父傳來の文化が西歐のそれに比して貧相であるゆゑんについては前囘詳述したが、國の文化とは兩親の如きものであり、貧相な親だから愛せないといふ事は決して無い。よしんば親に數多の缺點があらうと、親だから我々は親を愛する。敗戰直後、火野草平はかう書いた。
終戰後は日本人であることを後悔する日本人が激増し、日本のやうな貧寒な國を輕侮することが流行となつてゐるけれども、私は日本がどんなにつまらない國であつたとしても、日本を愛する心に變りはない。(中略)私は日本が負けてもよいと思つたことは一度もなかつた。なんとかして祖國を勝利に導きたいと思つた。
無學ながら古風で道徳的に見事な母親に火野が嚴しく躾けられた事實について語つて留守晴夫は、陸軍中將栗林忠道もまた「君臣の道」なる前近代的道徳觀に縛られてゐて、けれども、その嚴然たる事實と「硫黄島における凄じい奮鬪ぶり」とは到底切離せないと書いてゐたが、その通りであつて、その事こそは我々にとつての最大の問題、いやいや最大の難問なのである。日頃デカルトやカントを讀み、モーツアルトを聽き、ウインドウズを使つてゐながら、いざとなつて「天皇陛下萬歳」を叫べるか。前述したやうに、我々は絶對者を戴いてゐない。我々が戴くのは「人の上の人」であり、天皇は「人の上の人」である。「人の上の人」も人だから、時に權威の失墜は免れない。が、權威の失墜を喜び平等を謳歌するだけの淺はかな手合に、火野や栗林の愛國の至誠なんぞは到底期待出來ない。洋の東西を問はず、人間が眞摯になるのは己れ以外の何物かに從ふ時だからである。「戰前も戰後も、空氣に逆らへぬだけの個のない論調」と小林は云ふ。眞に「個のある」人間なら「空氣」だの「論調」だのを氣にする筈が無いのだから、小林には實はまるきり「個」が無くて「個」が無いからこそ徒黨を組みたがるのだが、それは兎も角、愛國の至誠は「空氣」をも含む何物かの前に己れを殺し得る者にしか宿らない。無論、その前に己れを殺し得る。「人の上の人」が道徳的に立派であるはうがよい。けれども敬へぬ親だからとて親を愛さなくてもよい道理が無いやうに、「どんなにつまらない人の上の人であつたとしても」、人の上に人を戴いてやつて來た先祖の流儀を、我々は重んじねばならない。
だが、敗戰から半世紀、今の我々に果してそれがやれるだらうか。「空氣」にすら逆らへずして略字新假名を用ゐる小林は、無論、それをやつてゐない。正字正假名は一人きりで守り得る先祖の流儀であつて、その一人でもやれる事すらやれぬ者に、「人の上の人」を敬ふ先祖の流儀を重んずる事の至難たるゆゑんを理解し得る道理が無い。留守によれば「男の子は、自分の子であつて、自分の子ではない。天子さまからのおあづかりものだから、立派に育てて、お役に立つ年になつたら、お返しをしなくてはならない」と、火野の母親は信じてゐたといふ。平成の今、金の草鞋を履いて搜しても、さういふ母親は見附かるまい。平成の母親が火野の母親のやうになる事は不可能及至至難なのである。今なほ安値な尊皇節に醉拂へる手合は、その不可能及至至難を痛感してゐない。而も、なほの事厄介なのは、その不可能及至至難を知つた處で、それで問題が片附く譯ではないといふ事である。さうではないか。時計の針を逆に廻す譯には行かないが、敬ふべき「人の上の人」を持合せぬ氣樂な極樂蜻蛉國に「國難に殉ずる武人」なんぞが育つ筈は無い。半世紀前、敗戰直後には、火野と異なり若き頃左傾した事のある太宰治すら、こんなふうに書く事が出來たのである。
戰時日本の新聞の全紙面に於いて、一つとして信じられるやうな記事は無かつたが、(しかし、私たちはそれを無理に信じて、死ぬつもりでゐた。親が破産しかかつて、せつぱつまり、見えすいたつらい嘘をついてゐる時、子供がそれをすつぱ拔けるか。運命窮まると觀じて默つて共に討死にさ。)たしかに全部、苦しい云ひつくろひの記事ばかりであつたが、しかし、それでも、嘘でない記事が毎日、紙面の片隅に小さく載つてゐた。曰く、死亡廣告である。羽左衞門が疎開先で死んだといふ小さい記事は嘘ではなかつた。(中略)
五・一五だの二・二六だの、何の面白くもないやうな事ばかり起つて、いよいよ支那事變になり、私たちの年頃の者は皆戰爭に行かねばならなくなつた、。事變はいつまでも愚圖々々つづいて、蒋介石を相手にするのしないのと騒ぎ、結局どうにも形がつかず、こんどは敵は米英といふ事になり、日本の老若男女すべてが死ぬ覺悟を極めた。
實に惡い時代であつた。その期間に、愛情の問題だの、信仰だの藝術だのと云つて、自分の旗を守りとほすのは、實に至難の事業であつた。(中略)昭和十七年、昭和十八年、昭和十九年、昭和二十年、いやもう私たちにとつては、ひどい時代であつた。(中略)しかし、私は何もここで、誰かのやうに、「餘はもともと戰爭を欲せざりき。餘は日本軍閥の敵なりき。餘は自由主義者なり。」などと、戰爭がすんだら急に東條の惡口を云ひ、戰爭責任云々と騷ぎまはるやうな新型の便乘主義を發揮するつもりはない。いまではもう、社會主義さへ、サロン思想に墮落してゐる。私はこの時流にもまたついて行けない。
私は戰爭中に、東條に呆れ、ヒトラアを輕蔑し、それを皆に云ひふらしてゐた。けれどもまた私はこの戰爭に於いて、大いに日本に××しようと思つた。私の協力など、まるでちつともお役にも何も立たなかつたかと思ふが、しかし、日本のために××つもりであつた。この點を明確にして置きたい。この戰爭には、もちろんはじめから何の希望も持てなかつたが、しかし、日本はやつちやつたのだ。(中略)
日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたつて、それはもう自由思想ではない。それこそ眞空管の中の鳩である。眞の勇氣ある自由思想家なら、いまこそ何を描いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下萬歳! この叫びだ。昨日までは古かつた。古いどころか詐僞だつた。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想家だ。(「十五年間」、××は伏せ字)
ピアク島の將校と同樣、火野も太宰も頗る正直である。そして正直以外に人を感動させる物は無い。「親が破産しかかつて、せつぱつまり、見えすいたつらい嘘をついてゐる時、子供がそれをすつぱ拔けるか」、無論すつぱ拔けはせぬ。それは本當の事ではないか。本當の事だけを太宰は正直に語つてゐるではないか。國家と國民とは親子の仲で親の缺點なら誰よりも子供がよく承知してゐる。日本といふ親の始めた大東亞戰爭には、「はじめから何の希望も」持てないが、何はともあれ親は「やつちやつたのだ。」それなら、東條や近衞は輕蔑しても、親の「やつちやつた」戰爭には協力しなければならない。
太宰の言分は齒切れがよくない。けれども、知的に誠實な言論はすべて齒切れがよくない。絶對者ならぬ人間は矛楯の塊だからである。然るに、動物ならぬ人間である筈の衆愚は、黒白の明らかな齒切れのよい政治主義的な言論にしか動かされない。それゆゑ、屡々、見え透いた嘘にたわいなく騙される。小林よしのりは書いてゐる。
國や歴史や共同體から切り離された浮遊する個になつたために、携帶電話で必死で他者とつながつてないと不安になる女子高生は多い。浮遊する個を金と物で支へるしかなくなつた者、自分に對する金額評價で支へるしかなくなつた者が、援助交際といふ少女賣春にはまつてしまふ。哀れなものだ。
何と齒切れのよい安つぽい眞赤な嘘か。女子高生は携帶電話を用ゐてお喋りを樂しんでゐるのであつて、他者と繋がらうとして「必死」になつてゐるのではないし、「援助交際といふ少女賣春」の體驗は、生憎、私には無いが、それの無い事を時に「哀れ」に思ふ事こそあれ、體驗者を憐れんだ事なんぞ只の一度も無い。「月曜評論」の男性讀者とて皆同じだらうと思ふ。然るに、續けて小林はかう書いてゐて、このはうは迂闊な讀者ならつい同感するかも知れないのである。
オウムの信者たちの個も似たやうなもの。彼らは國も家庭も、この社會全てがリアルに感じられない。リアルに感じるのはサブカルチャーの世界だけ。(中略)彼らは愛する者を持たない。守るものがないから、「自分のために」以外では死ねない。從つて地下鐵サリンの時も、實行犯が途中で逃亡せぬやうに、一人一人に見張り役をつけねばならなかつた。自死する覺悟でサリンの袋を破つたやつは一人もゐない。(中略)特攻隊の若者たちの死ぬ覺悟には全く及ぶべくもない。
「愛する者を守るために死ねるか」小林は屡々問うて、特攻隊員は愛する者を育んだ祖國のために死んだと云ふ。だが、愛する者を守るためには必ずしも死ぬ必要は無い。生きて守れる時、或いは守るべき時は、生きて守らなければならない。而も、生き續けて守るはうが一思ひに死ぬ事より苦しい場合もある。先月、産經新聞紙上に私は頗る感動的な記事を讀んだ。切拔きを紛失したから忠實に紹介出來ないが、それは確か八十六歳の老夫婦の話であつた。ぢいさんは健康だが、ばあさんがアルツイハイマーで、大小便は垂れ流し、無論、會話も全く不可能で、何か要求したい事があれば「うううー」と呻くばかり、それを八十六のぢいさんが看病してゐて、老妻が「うううー」と呻けば、それが何の要求か、ほぼ理解出來るやうになつたといふ。産經の記者にぢいさんが語つた言葉を正確に引用出來ないのが殘念だが、それは確かかういふ言葉だつた、「ばあさんがやがて囘復して、若い頃のやうに、胸の膨らみに私の手を宛てて、あたしの思ひを聽いて頂戴と、もう一度、それを是非是非云つて貰ひたい。」
時に絶望しても生き續け、惚けたばあさんを懸命に守つてゐるこのぢいさんと、若い身空で敵艦に體當たりした特攻隊員と、どちらが辛くどちらが立派かを論ふ譯には行かぬ。國のために死ぬはうが妻のために生きる事より立派だとは讀者は云ふまい。特攻隊員とて死にたくて死んだ譯ではない。生きて國に盡す事が不可能だから死んだまでである。而も、大東亞戰中に死んだのは特攻隊員だけではない。栗林中將もビアク島の將校も死んでゐるし、夥しい數の老若男女が米軍の燒夷彈と爆彈で殺されてゐる。「敵は米英といふ事になり、日本の老若男女すべてが死ぬ覺悟を極めた」と太宰は云ふが、私は當事中學生で、太宰の云ふ「老若男女」に含まれてゐた。奈良縣に疎開してゐたものの、一度だけだがグラマンの狙撃を受けた事もあり、いづれ赤紙を受け取つて戰地で死ぬ事になるのかと時々思つた。が、祖國のために立派に死なうなどとは一度も考へなかつたし、兩親も教師も國の爲に死ねとは云はなかつた。然るに、小林よしのりは若者に死ぬる覺悟を求めてゐる。道徳的に許し難き所行である。死ばかりは、人間、體驗する事が絶對に出來ず、それは我々の想像を絶してゐる。いづれ必ず我々は皆死ぬのだが、生きてゐるうちに死の何たるかを知る術は無い。そして我々はよろづ己れの知らぬ事どもについて謙虚であらねばならぬ。カトリックでもなし、死ぬる覺悟を己れが固めるのは勝手だが、斷じて他者にそれを求めてはならぬ。それは忌はしき破廉恥である。無論、切羽の際に、死ぬる覺悟で突撃せよと、上官が部下に命ずる事は許される。が、その場合、上官は先頭に立たねばならず、その時に立たないとしても、いづれ立たねばならず、立つ機會を逸したら、日本人ならば、海軍中將大西滝次郎のやうに腹を切らねばならぬ。
人間は己れの知らぬ事を知つてゐると思つてゐる。死は事によると至福なのかも知れないのだが、それを悲しい事と思ひ込んで恐れてゐる。さう云つたのはソクラテスである。毒杯を傾け從容として死んだソクラテスの、この理窟は反駁し得ない。だが、洋の東西を問はず、またいつの時代にも、人は死を恐れ死を悲しんだ。我が師福田恆存の遺體が火葬場の窯の中へ滑り込んだ時、私は矢張り泣いた。もう二度と師匠を笑はせる事も怒らせる事も出來ない。いやいや、それは正確ではない。長い長い附合ひだつたが、私は師匠を怒らせた事も無く叱られた事も無い。本當に只の一度も無い。その師匠に死なれたから私は悲しく淋しかつた。死んで後の師匠が至福を體驗したのかどうか、無論、それは解らないし、心優しき師匠もそれをもう教へてくれない。死について私は何も知つてゐない。確實に云へるのは、私がただ師匠の死を悲しんだといふ事である。さういふ悲しい思ひを部下の親族知人にさせる以上、死を覺悟の突撃を部下に命ずる上官も、死の覺悟を固めてゐなければならない。上官に限らない。言論人とて同樣である。ジョージ・オーウェルは、オーデンを批判してかう書いた。
殺人をたかだか言葉として知つてゐるに過ぎぬ者だけが、こんな文章を書けるのである。私はかうも輕々しく殺人について語れない。私は澤山の死體を見た事がある。(中略)恐怖、憎惡、泣き喚く親族、檢死解剖、血、惡臭。私にとつて殺人とは避くべきものである。(中略)引金が引かれる時、常にどこか別の場所にゐる人間だけが、オーデンのやうに歿道徳的な思想を懷けるでのである。
大急ぎで斷つておく。オーウェルは社會主義者だが、土井たか子や大江健三郎のやうな愚昧な平和主義者ではない。くだくだしい解説はしないが、彼は「ヒットラーを一度も憎んだ事が無い」と書いてをり、そんな平和主義者がこの世に存在する筈は無いとだけ云つておかう。をれは兎も角、私と同樣、齢五十を越えてゐる小林よしのりもまた、戰時「引金が引かれる時、常にどこか別の場所にゐる人間」であつて、死ぬる覺悟で突込めと上官に命じられる虞れは皆無である。それを私は意識して物を書くが、小林はさつぱり意識しない。それゆゑかういふ非人間的な文章が綴れるのである。
高村武人さんといふ方がゐる。現七十八歳。元陸軍將校。戰地に赴き砲兵隊中隊長として活躍するが、七囘上陸して生還したといふ強運と旺盛な生命力の持ち主である。(中略)ほぼ勝ちつぱなしで歸國した高村氏の日記から、戰爭の爽快感、戰爭の充實感、戰爭の感動を學ばうではないか。(中略)勝つてる戰爭はやつぱりカツコイイぞ!
日本は中國に強姦されたのだが、強姦した中國は「さうではない、日本が同意したのだ」と云ひ、さう云はれて日本は「衆人環視の中すつかり取り亂してしまつた」と、中西輝政は「諸君」七月號に書いてゐる。全く同感である。何せ我が祖國が世界中に恥を曝した譯だから、前囘に引き續き愚昧な小林よしのりなんぞを論ふ氣にはとてもなれない。それゆゑ、まづは遙に頭腦明晰な中西の文章を引き、我が祖國がいかに情けない國かについてまたぞろ論ふ事にする。中西はかう書いてゐる。
ここが重要なのですが、これは中國が非常に頭がよくて考へついた「したたかな外交」といふだけではなく、そのやうな戰略を中國側なら誰でも思ひつくほどの情報をもたらした「内通者」が存在するといふ現實があつたのです。今囘それは、外務省の「チャイナ・スクール」を中心とした親中派外交官、その背後にゐる親中派政治家、あるいは親中派の國内メディアの存在です。(中略)中國側は當初ウイ‐ン條約の杜撰な横張解釋で應酬してゐましたが、條約では、火災その他、本當に緊急の場合以外は入れないことになつてゐますし、その場合でも公館長の許可が必要です。すると今度は「同意があつた」と云ひ換へてきました。日本の外務省は當然ながら同意などしてゐないと否定したのですが、調査報告書の出た翌日の十四日といふ絶妙のタイミングで、「亡命者は追ひ返せ」といふ阿南中國大使の決定的な發言が明らかになりました。
しかしより重要なことは、北京の日本大使館といふのは中國側の「情報端末」が無數にある場所だといふことです。この大使館ほど日本の國益に關はる重要な事柄を話してはいけない場所は他にないと云つていいほど中國側と直結してゐます。云ふまでもなく、チャイナ・スクールの「内通者」がゐるわけです。まことに切なく、やるせない限りと云はねばなりません。(中略)「内なる敵」こそ眞に恐ろしいものです。戰略情報上は、その日のうちに阿南發言は中國側の政府上層部にまで達したと考へるべきでせう。
右に引いた件りだけではなく、中西が書いてゐる事の殆ど全てを私は肯定する。「月曜評論」の讀者は、是非是非「諸君」七月號の中西論文を讀むべきである。だが、年のせゐかも知れないが、私は中西以上に「切なく、やるせない」思ひでゐる。「内なる敵」なんぞより遙かに厄介なのは「内なる」知的惰性だと思ふからである。さうではないか。「日中關係を重視して」云々と小泉も猫も杓子も云ふが、なぜ日中に限らず他國との親善を重視せねばならぬのか、親中派も反中派もその事をさつぱり考へてゐない。知的に怠惰だからである。既にどこかに書いた事だが、全ての外國は潜在的な敵國なのであり、アメリカにとつてはイギリスすら敵國で、最下位にではあるが潜在敵國のリストに載せられてゐる。然るに我が國の潜在敵國はどこの何といふ國なのか。小林よしのりにとつてはアメリカで、石原慎太郎にとつては中國だらうが、全ての外國を潜在敵國と見 す日本人が果してゐるだらうか。私をも含めて一人もゐないと思ふ。なぜさう斷ずるか。我々の文化が和と馴れ合ひの文化だからである。武者小路實篤は茄子や南瓜や胡瓜が並んでゐる繪を描いて、そこに「中良き事は美しき哉」と書き加へたが、日本人全てが武者小路なのである。三文文士の愚昧を論ふ暇は無いから、飛切り阿呆な文章を一つだけ引いて置かう。
我は今の日本に悲觀すべき理由を認めず。今の日本を以て最も面白き國と思ひ居るなり。日本が思想上偉大なることをなし得る時は、この五十年の内なるべし。我はしか信ず、しか感ず。日本にゲーテ、シルレル、エマーソン、ホイツトマン、ドストエフスキー、トルストイ、イブセン、ビョルンソン、メーテルリンク、ベルハーレンの生れるは今なり。若き國、目覺めつつある國、オーソリチーのなき國こそ樂しけれ。
「オーソリチーのなき國」なんぞこの世に未だ嘗て存在した例しは無いし、トルストイとドストエフスキーを生む國ならば、「仲良き事は美しき哉」などと嘯いてはゐられない。トルストイにしても、女房や子供とも和合出來ず、「オーソリチー」たる教會とも「仲良」くやつて行けなかつた。それに何より、ジョージ・スタイナーの云ふやうに、「トルストイかドストエフスキーか」の二者択一ほど深刻な二者択一は無い。
けれども、我々は武者小路の愚を嗤ふ事が出來ない。我々が何より大事にするのは和合であり馴合ひであり、それゆゑ我が論壇には論爭が滅多に無い。その宿痾と戰ふべく私は右と左とを見境無しに批判して、只の一度も相手に反論された事が無いものの、今は「月曜評論」以外に書く場所が無い。けれども、その私も、實生活上、目上の誰かに反論する時は「お言葉ですが」とか「仰る事はよく解りますが」とかどうしても云ひたくなる。他者との對決を本能的に嫌ふからだが、「仰る事がよく解る」のなら賛成すべきであり、反論の餘地なんぞ無い道理である。然るに、その道理がまたこの國ではさつぱり通じない。今囘の國辱事件にしても、小泉純一郎もしくは川口順子が中國にかう理詰めの抗義をしたならば、いかに破廉恥な中國も謝罪して、拉致した五人を引渡したに相違無い。
撮影され世界中に放映された光景が事實そのものである事は貴國も認めると思ふ。私はここに我國の主權が侵害された事に強く抗議する。貴國は速に遺憾の意を表明し、五人の身柄を引渡さなければならない。さもなくば、我國は貴國との友好關係を見直す事となるであらう。
中西が指摘してゐるやうに、「事件當初、中國政府部内は大混亂をきたしてゐた」筈であり、それゆゑ暫く公的な聲明を出さずにゐた。いや、出せずにゐた。吉田茂の臺詞を捩つて云へば「新聞は嘘を吐くがテレビは吐けない」からである。詰り、不味い事になつたと中國政府は思つた。その相手が困惑してゐる間に謝罪と引渡しを求めなければならない。假にその時、總領事館の馬鹿が「謝々」と云つたとか、武裝警官の帽子を拾つたとか、中國が弁解したとしても、「その件はまだ確かめてゐないが、いづれそれは我々の問題で貴國の問題ではない。調査の上、事實だつたと解れば、阿南及び總領事を即刻罷免する。だが、VTRで觀る限り、總領事館の諒解を求めてゐない事ははつきりしてゐる。第一、あれでは感謝したり帽子を拾つたりする暇も無いではないか。先立つて貴刻の武裝警官による侵犯があつたのである」と、これまた理詰めの反論をすればよい。
だが、情けない事に、かういふ理窟を我が政府は思ひ附かなかつた。小泉は「慎重に冷靜に」と云つた。「怒るべき時に怒らぬ者は癡呆だ」とアリストテレスは書いたが、首相が癡呆だといふ事は、さういふ首相を戴く日本國民の大半が癡呆だといふ事であり、武者小路は「お目出たき人」といふ小説を書いてゐるが、日本人は世界に冠たる「お目出たき」國民なのである。その證據に、屈辱的な藩陽事件なんぞは綺麗さつぱり忘れて、今は「日韓親善ムード」とやらに酔ひしれサッカー試合に熱狂してゐる。
讀者諸氏も觀たらうが、VTRには大馬鹿者が帽子を拾ふ場面までしか映つてゐないが、中西によれば、總領事館の館内にまで逃げ込んだ北朝鮮の男二人は「革ベルトでぐるぐる卷きにされて連行」されたといふ。その場面を韓國のNGOが公表しないのは「中國の公安部あるいは國内情報機關とどこかで結び」ついてゐるからだらうと中西は云ふ。多分さういふ事だらうと私も思ふ。韓國の大統領が誰であれ、韓國もまた日本の潜在敵國だからだが、さういふ意識は所詮「反韓派」にはあつても「親韓派」には無い。政治主義と知的・道徳的怠惰とは不即不離なのである。さういふ度し難き馬鹿揃ひの國だから、取分け戰後の半世紀、恥曝しの「平和憲法」は改正されず、小泉も猫も杓子も「平和」と「人道」なる綺麗事を口にして、その綺麗事たるゆゑんについては本氣で考へない。だが、抑もなにゆゑ「人道主義」を尊重せねばならないのか。北朝鮮の五人の人權なんぞ、我々にとつては二の次三の次四の次である。「諸君」には「紳士と淑女」なるコラムがあつて、私は毎月愛讀してゐるが、その頭腦明晰な筆者すら、政治主義に盲ひてか今囘はかういふ愚な事を書いた。(序でに書いておきたい。エイトック十二には「盲目」があつて「盲」が無い。「契沖」にはある。なぜエイトックに無いか。知的に怠惰だからに他ならない。その癖「盲蛇」や「盲判」はある。奇々怪々である)
昔シナ人は外敵に備へて萬里の長城を築いた。いま藩陽の「壁」は目に見えぬが、北朝鮮が自らの民の逃亡を防ぐためにある。
(中略)壁の内側に住んで愚劣な獨裁者を拝むことしか許されない北朝鮮人民の身の上を見て、世界の自由を愛する人々は泣いてゐる。(中略)ここで阿南に腹を切らせても、いづれ現シンガポール大使「髭の槙田」が後を繼ぐだらう。李登輝のビザ申請で嘘をついた男、外務省にチャイナスクールがあり、政界に公明黨と橋本派があり、報道界に朝日、日經、NHKがあるかぎり、日本は完全な獨立國ではない。
「世界の自由を愛する人々」が、日本國の對應を嘲笑する事はあつても、北鮮人民を思つて泣く筈が無い。氣の毒といふ事になれば、北鮮人民と同樣に、或いはそれ以上に氣の毒な人民が、この地球上に澤山生息してをり、さういふ氣の毒な人民は切に麺麭を欲して自由なんぞを切望してはゐない。麺麭ならふんだんにある日本國の人民とて同じである。「人は麺麭のみにて生くるものにあらず」とイエスは云つたが、それは麺麭なんぞ重要でないといふ意味ではない。人は麺麭によつて生きるが、同時に強制を憎んで自由を切望する、イエスはさう信じてゐたのである。それゆゑ荒地で修行中、イエスは惡魔の誘惑を拒んで「人は麺麭のみにて生くるものにあらず」と云つた。惡魔の誘惑に屈して石を麺麭に變へたなら、不完全で弱い人間がイエスを疑ふ事は不可能になる。早い話が、この私が石ころをダイアモンドに變へたなら、小泉の猫も杓子も、いやいや全世界の人民が、奇跡を行ひ得る私の前に平伏するであらう。それは詰り、全世界の人民が私を疑ふ自由を失ふといふ事である。
さういふ事態をイエスは望まなかつた。イエスを信ずる自由があつて信じない自由がある、さういふ自由な状態で自分が信じられる事、それをイエスは切に望んだ。政治主義に盲ひた愚昧な手合はどこの國にもゐようが、キリスト教國の「自由を愛する人々」の大半はその事を知つてゐると思ふ。これを要するに、「紳士と淑女」の筆者にとつて自由とは政治的な自由に過ぎない。が「共觀福音書」のどのページにも政治主義は見出せない。麺麭や政治は下らないとイエスが思つてゐたからではない、さう思つてゐたのなら「カイザルのものはカイザルに」などと云ふ筈が無い。
さういふ事を「紳士と淑女」の筆者はまるきり考へてゐない。「外務省にチャイナスクール」が「政界に公明黨と橋本派」が、「報道界に朝日、日經、NHK」が無くなつても、政治主義を超えるものとして「花鳥風月」と好色しか持合はせぬこの情けない知的怠惰の日本國が、歐米諸國に伍して「完全な獨立國」になんぞなれる道理が無い。元禄の昔、本居宣長はかう書いた。
うまき食物はまほしく、よき衣きまほしく、よき家にすままほしく、寶えまほしく、人に尊まれほしく、いのちながらまほしくするは、みな人の眞心也。
この宣長の主張を否定する日本人は全て知的怠惰の僞善者である。我々は皆、旨い物を食ひたがり、上等の衣を着たがり、豪邸に住みたがり、人に尊敬されたがり、金さん銀さんのやうな長生きをしたがる。小泉も猫も杓子もさうであり、斷じて自由なんぞを切望してはゐない。然るに、さういふ情けない現實を、生なかの西洋學問をやつて政治主義に盲ひた知識人だけが認めたがらない。「歌につきて理くつめくこと、議論めくこと、あらそひほこること、ひとをあなどることなどあるべからず。ただ優にやさしかるべきこと也」と宣長は云つてゐるが、成程、「古池や蛙飛び込む水の音」には「理くつめくこと」も「議論めくこと」も無く、それゆゑ、例へばブレイクの詩の前には色褪せて見えるのだし、「あらそひほこること、ひとをあなどることなどあるべからず」と信じてゐるから、論壇文壇に戰爭が滅多に無い。先頃、西尾幹二が入江隆則を批判したが、入江は決して反論しないに相違無い。今月號の「諸君」に西尾は頗る不潔な文章を書いてゐるが、それを咎める知識人は一人もゐないに相違無い。いづれ和合を尊ぶ日本人だからである。私は西尾とも入江とも面識がある。入江には何の恨みも無いが、西尾は嘗て私に對して道義的に許し難き振舞に及んだ事があり、私は勿論西尾を許さなかつた。武士の情といふ事もあるからその委細は語らないが、この事だけは書いておく。或る日、新宿の町なかでばつたり逢つた時、西尾は私にかう云つた、「福田さんはこのところ芝居にのめり込んで政治について發言しなくなつただらう。誠に憂ふべき事だから、松原さんから忠告してくれないか」
福田恆存が芝居に入れ揚げてゐる事を西尾が憂へるのは政治主義に盲ひてゐるからで、それに何より、眞實、それを憂へてゐるのなら、直接福田に「忠告」すればよい道理である。だが、さういふ至極簡單な道理は遂に西尾の腦裏を掠めなかつた。西部邁によれば、初めて西部に逢つた時、西尾は西部に「あなたを許さない」と云つたといふ。なぜ許さないのか。若き西部が全共鬪の鬪士だつたからである。だが、全共鬪の鬪士だつた事がなぜ惡い事なのか。西部にしても嘗て投獄された事や保守に「轉向」した事を、なぜいつまでも氣にしなければならないのか。知的に怠惰だからである。社會主義共産主義に入れ揚げた事は道義的に少しも惡い事ではない。かのグレアム・グリーンも若き頃は「左傾」してゐたし、晩年、「モンシニョール・キホーテ」なる作品を書いてゐる。カトリックの神父が共産黨員の前町長と共に旅をする大層愉快なお話である。町長と神父とは賣春宿に泊りポルノ映畫を觀る。賣春宿に泊つて町長は賣春婦と寢るが、神父はドアに鍵を掛け、町長に勸められたマルクスの「共産黨宣言」を讀む。翌日、讀後感を問はれて神父はかう答へる。
とても氣に入りました。マルクスといふ人は本當は善き人だつたんですね。大變驚かされる件りもあつて、退屈な經濟學なんてものぢや全くない。
神父の云ふ「善き人」とは道徳的宗教的な意味での善き人である。「北朝鮮にも善人はゐる」と私は先に書いたが、社會主義とか共産主義とかいふ政治上の主義主張と宗教及至道徳とは、全く次元の異なる問題なのである。それゆゑ漱石は「詐欺師も大和魂を持つてゐる」と書いた。明治の昔に漱石の知つてゐた事を、西尾西部だけではない、平成の日本人の大半が知らずにゐる。知的に怠惰だからに他ならない。早い話が、右翼が共産黨員と一緒に旅をするなどといふ物語をこの國の小説家に書けるだらうか。到底書けはしない。なぜ書けないか。右と左とを繋ぎ得る物が無いからである。モンシ二ョール・キホーテと町長との間にはそれがある。友情である。何しろ神父と共産主義者だから、二人の意見は事ごとに對立するが、友情が壞れる事は無い。物語の最後に神父は死ぬが、遣された町長をグリーンはこんなふうに描いてゐる。
それまで一度も考へた事の無い事を町長は考へるやうになつた。一體なぜなのだらう。或る人間への憎しみは、よしんばそれがフランコへの憎しみであつても、相手が死ねば消え失せるのに、自分が今キホーテ神父に對して懷くやうになつた愛は、最後の別れと決定的な沈默にも拘らず、生き續け、募つて行く。それは一體全體なぜなのだらう。
かういふ事を考へ始める共産黨員はカトリックに益々近附く事になる。町長の「なぜ」に對する答へを、無論、作者グリーンは知つてゐる。知つてはゐるが書かない。大和島根の讀者のために書いてゐる譯ではないから、そんな事は書くに及ばない。けれども、大和島根の讀者ではあつても、右に引いた件りに示された道理は誰一人否定出來まい。輕蔑したり憎んだりしてゐた知人が死ねば、その輕蔑や憎しみは勿ち消え失せる。私は「夏目漱石」上卷及び中卷を書いて江藤淳を散々貶したが、江藤が自殺した途端に、下卷は著しく書き難くなつた。私には信仰が無いから、グリーンのカトリシズムについては論はないが、グリーンの道理は大和島根でもそのまま通じる。論理に國籍は無いからである。
然るにそれを、どの國にも、どの時代にも通じる論理や道理を、さつぱり尊重しない國が我々の國であり、その日頃の政治主義と知的怠惰の附けが、今囘、支那の藩陽でまたぞろ廻つて來た。日本の知識人は政治ばかり論つて愛や道徳を論はない。グリーンの描いた町長は愛について考へるが、愛は政治主義とは全く無縁で、アルツィハイマーの老妻を看護する八十六の老爺が、自民黨を支持してゐようと共産黨を支持してゐようと、その道徳的見事が増減する道理は無い。讀者諸氏もその道理を誰一人否定し得まい。それなら、政治主義ゆゑの知的怠惰が我々の宿痾である事を、徒黨を組んで物を考へるから、或いは徒黨を組むやう唆す類の事ばかり考へるから、淺薄な事しか考へられないのだといふ事を、この際、是非是非痛感して貰ひたい。人が眞劍に考へる時は常に一人きりである。徒黨を組んで深く考へる事は出來ない。寒村の炉部屋に閉ぢ籠つて考へたデカルトはただ一人であつて、一人きりでなければ考へられないやうな事を考へた。「方法序説」に彼はかう書いてゐる。
當時私はドイツにゐた。(中略)そして皇帝の載冠式を見たのち、(中略)ある村にとどまることになつたが、そこには私の氣を散らすやうな話の相手もをらず、また幸ひなことになんの心配も情念も私の心を惱ますことがなかつたので、私は終日炉部屋にただひとりとぢこもり、このうへなくくつろいで考へごとにふけつたのであつた。
一人きりでデカルトは何を考へたか。疑ふ餘地の無い物が一體全體存在するだらうか、存在するとすればそれは何か。例へば、今、自分がここにゐる事、炉端に腰掛けてゐる事、冬服を着てゐる事、一枚の紙を手にしてゐる事、これらの事柄は、眞實、確かであらうか。成程、炉端も冬服も紙も目に見える。炉端も堅さ、冬服の厚み、紙の冷たさを感ずる事も出來る。だが、感覺は時に人を欺く。早い話が、太陽は巨大だが、我々の視覺はそれを小さな圓としか捉へない。それなら、自分は今、炉端に腰掛けて一切を疑ふ夢を見てゐるのだらうか。さうでないとは斷ずる譯に行かぬ。「これは夢ではない」と頻りに自分を言ひ聞かせてゐる、さういふ夢をこれまで何度も見た事があるではないか。してみれば、今、自分が夢を見てゐないといふ事が、絶對に確實だとは云はれない。では、絶對に確實な事柄とは何か。一切は疑はしいと考へてゐるこの自分、それが存在してゐる事、それだけはどうしても疑ふ譯に行かぬ、一切を疑ふ私、それだけは確實に存在してゐる、疑ふ、ゆゑに私は存在する。
我々の先人には、無論、かういふ氣違ひのやうな天才は一人もゐない。だが、氣違ひ染みた懷疑無くして一流の哲學は無いから、我々は哲學を有せず、また哲學を必要としてゐない。一人きりで考へて世人が自明の理として疑はずにゐる事どもを徹底的に疑ふ、さういふ事の無い國に自前の哲學なんぞが有る道理が無い。この國に存在する哲學は總て西洋哲學の拙い模造品に過ぎない。西尾幹二は「國民の歴史」にかう書いてゐる。
私の友人で、長く九州大學で哲學を講じてゐたY君から久しぶりに新著を贈られた。Y君はカント以後のドイツ哲學の研究家で、すでに何冊もの著書を出してゐる。(中略)私はまへがきを讀んでなるほどと思つた。Y君のまへがきには、これまで自分はカントやニーチェやハイデッガーの研究ばかりしてゐて厭氣がさしてきた。齢五十歳も半ばにして、卒然思ひ立つて、誰にも遠慮せずに自分の哲學を語ることにした、と書いてある。Y君の心境が私にはよくわかるので、その意氣ごみに大いに敬意を抱いた。彼は哲學者だから眞理についてつねに考へを巡らしてゐる人だが、彼における眞理の位置が今ぐらりと揺れ、大きく移動したわけだ。彼は眞理の研究家だつたが、今や探究家、ないし實踐家にならうといふのである。
私はあとがきを讀むに及んで、さらにY君への信頼を深めた。彼は少し恥づかしさうに書いてゐる。自分はまへがきで自分の哲學を語るなどと大口を叩いたが、ご覽のとほり、プラトンやカントやキルケゴールやその他西洋の哲學者の言葉をたくさん引用し、それに即して思索してゐる。自分の哲學を語るといつても、素人で語るわけにはゆかない。ことに西洋の層の厚い哲學的思弁の傳統を無視して、好き勝手なことをいくら言つても、自分を語ることにはならない。(中略)私はY君のちよつとはにかんだやうな文章の奥にある正直で、しかも正確な自己把握に好感を覺えて、讀むに値する本だなと思つた。
これは駄文であるばかりでなく不潔な文章だが、どこが不潔か、なにゆゑに不潔か、それが讀者諸氏に解るだらうか。齢五十を越え「自分の哲學」を語れるなどと思ひ込んだ「哲學者」の迂闊はともかく、さういふ淺はかな迂闊を咎めずに、「眞理の位置」がぐらりと揺れて「移動」したなどと、よくもまあ空々しい嘘が吐けるものだと思ふ。「眞理の位置」が「移動」するとは初耳だが、それは言ひ囘しの杜撰といふ事に過ぎない。不潔なのは「大いに敬意」とか「信頼を深めた」とか「讀むに値する」とか、およそ讀者を利する事の丸切り無い、けれどもその愚昧な友人を確實に喜ばせる事を書かうとする魂膽である。要するに西尾は御太鼓を叩いて九州の友人を喜ばせようとしてゐる。その癖、友人の著書の前書きと後書きだけしか讀んでゐないに相違無い。
だが、西尾と九州の友人に限らず、御太鼓を叩く事、叩かれる事、詰りは徒黨を組んで「エールの交換」をする事、それが我々は大好きなのである。徒黨を組まずに考へるといふ事は、漱石の云ふやうに「自己本位」の辛さ寂しさに耐へるといふ事だが、それは我々の大いに苦手とする處である。我々は度し難いまでに「他人本位」で他人がどう思ふかを氣にするし、或いは、武裝警官の帽子を拾つてやつた馬鹿役人のやうに、本能的に他者を喜ばせようとする。そしてその際、物の道理は常に無視される。
けれども、大事なのは和合ではなく道理の尊重であり、漱石の云ふやうに「意見の相違は如何に親しい間柄でも何うする事も出來ない」のだから、而も、和合よりも道理を尊重する國々と附合つて行かねばならないのだから、列國に輕蔑され國益を損ねる事の無いやうにするためには、まづ日本人同士による馴合ひのぬるま湯を出なければならない。「文人相輕んず」、政治家の場合は仕方無いとして、知識人同士は大いに對立し輕んじ合つたらよい。知識人がいかに啀み合つても、國益を損ねる事には決してならない。知識人の影響力なんぞ微々たるものである。「戰後保守論壇の最も良質な部分を體現したのは、小林秀雄と福田恆存といふ二人の文學者である。彼らを中心として、文化的な傳統意識の覺醒や、進歩主義的觀念への批判といつたテーマに關しては、非常に水準の高い議論が展開された」と中西輝政は「諸君」八月號に書いてゐるが、小林は政治に背を向けてゐたし、晩年の福田は言論の虚しさを痛感して、屡々、それを嘆いてゐる。福田が「進歩派」を斬り始めた時、「保守派」は掩護射撃をしなかつたが、「保守派」を斬るやうになつてからは敬して遠ざけるやうになつた。小林と福田を「中心として」云々の中西の言分は間違つてゐる。
私は先に藩陽事件に關する中西論文の一讀を勸め、中西が書いてゐる事の「殆ど全てを肯定する」と書いた。「殆ど全て」とは無論「全て」を意味しない。私の肯定出來ない部分とは文末、結論を出してゐる部分であつて、中西はかう書いてゐる。
たしかに飜つて日本の現實を見れば、かうした主權意識の囘復はまだ遠いところにありますが、方向感覺だけは、今囘の事件がはつきりと我々に教へてくれたのではないでせうか。文明の原則に則る主張は決して妥協せずに訴へること。そしてその間にたゆまず國家としての「心・技・體」の囘復に努めること。これが今囘の事件から導かれる「日本の結論」なのです。
「決して妥協せず訴へる」のは常に個人であつて集團ではない。「今囘の事件」が中西個人や松原個人に何かを「教へてくれる」といふ事はあつて、現に中西個人の書いた文章を松原個人が讀み多々「教へ」られた譯だが、中西の云ふ「我々」とは集團であつて、集團が眞摯に物を考へるといふ事は決して無い。さらにまた、「心・技・體」の心技は飽くまでも個人が錬成すべく努める物であり、國家の「心・技・體」を云々するのは無意味である。中西の云ふやうに我々の國は「レイプ」されたが、それを憤つたり憂へたりするのは個人であつて「國民」ではない。國民は「ワールドカップ」とやらに熱狂して、「レイプ」の屈辱なんぞけろりかんである。豫言しておくが、中西の「良質」の提言は無視され、いづれまた日本國はどこかの國に「レイプ」されるに決つてゐる。
それゆゑ、國家に何かを期待してはならない。國家を立派にするのは國民一人一人の「心・技・體」である。然るにそれは、心技の一致は、殆ど絶望的である。人間、道徳的に全うにならうとするなら、徒黨を組まずに一人きりでやるしかないが、政治主義・經濟主義全盛の今、國家とか國益とかを考へる段になると、まるで條件反射のやうに、世人は孤立の大事を忘れるからである。中西も例外ではない。「諸君」八月號に彼はかう書いてゐる。
「新しい歴史教科書」を世に問うた「保守」陣營の論客たちはどうしてゐただらうか。九・一一テロ以後、對米感情における些細な立場の違ひを巡つて、仲間割れをしてゐるといふ有り樣である。/いつたい、いまは呑氣に保守論壇内部の揚げ足とりに憂き身をやつしてゐられるときなのだらうか。衰退の歩を早める國家の現状に正面から向き合ふなら、答へは自づから明らかであらう。あの教科書が一般の國民からは廣い支持を受けたことを重く受け止めて、正しい歴史觀の浸透と囘復の好機を逃すことなく、次の攻勢に打つて出るべきなのではないだらうか。/日本の保守勢力は、いま大きくひとつになり、政治的、思想的な結集點を築かなければならない。まさに小異を捨て大同につくべきときなのである。
「あの教科書が一般の市民」に廣く支持されたのなら、全國の高校の大半が採用した筈であつて、ここでも中西は現實をありのままに見てゐない。それに何より、「正しい歴史觀」とやらを生徒に傳へるのは、飽くまでも個人たる教師であつて教科書ではない。下らない教科書を使つてゐても、教師さへしつかりしてゐたら、生徒は必ず感化される。「こんな事が書いてあるが、僕は同意しないね」と立派な教師が云つたなら、生徒は必ず教師の云ふ事のはうを信ずる。逆に、良い教科書を使つてゐても、尊敬されてゐない教師の授業なら生徒は眞摯に耳を傾けはしない。どういふ教科書を採用するかは教育行政の問題に過ぎないが、生徒を感化するのは教師個人の人格であつて、人格の錬磨は徒黨を組んでやる事ではなく、またやれる事でもない。
然るに中西は「小異を捨てて大同につく」事の大事を云ふ。「大同團結」とは對立する黨派が或る目的を達成すべく小異を捨てて團結する事だが、その「或る目的」とは常に政治的經濟的な目的であつて道徳的な目的ではない。無論、我々は良き國民であらねばならないが、それ以上に重要なのは善き人である事、或いは善き人たらんと努める事であり、それが人生の道徳的な目標である。そして、政治的「小異」なら簡單に捨てられるが、道徳的な「小異」はさうは行かぬ。社會の成員の大多數にとつて「小異」としか思へぬ事どもを、個人が斷じて捨てようとしないといふ事がある。例へば、知識人の大多數は略字新假名を用ゐて物を書いてゐる。漢字も假名遣ひも今や「小異」である。が、「月曜評論」が略字新假名を強要したら私は直ちに寄稿を中止するし、十倍の原稿料を拂ふからと云はれても、假名遣ひを改める事だけはしない。戰爭とは國家のエゴとエゴとの單なる衝突ではない。他國からすれば「小異」でしかないやうな道徳的な信念と信念との衝突、をれが戰爭を引き起こすのである。
だが、さういふ事が日本人には最も理解し難い。和合や團結が大好きだからである。きだみのるによれば、八王子恩方村の或る村民は、きだにかう語つたさうである。
そらあ、多數決の方が進歩的かも知れねえが部落議會にや向かねえや。多數決つうなあ決戰投票だんべえ。ここいらで決めるのはわが身の損得になる問題が多いんだわ。だから負けた方は論には負けるし錢はふんだくられるし、仲良しも向うにつくでは、どのくれえ口惜しいか解るめえ。だからその恨みが何時までも忘れられずに殘らあ。それぢやあもう部落はしつくり行かなくなるんで部落會ぢややりたがらねえのよ。(中略)十中七人賛成なら殘りの三人は部落のつき合ひのため自分の主張をあきらめて賛成するのが昔からの仕來りよ。どうしても少數派が折れねえときにや、決は採らずに少數派の説得をつづけ、説得に成功してから決を採るので、滿場一致になつちまふのよ。
京都大學教授にとつても恩方村の部落民にとつても、「自分の主張をあきらめて」大同につく事が何より大事なのである。中西に限らず、日本の知識人は大同團結が大好きだから、マクベスやハムレットのやうに呟く事が無くて、常にアントニーのやうに多數に呼び掛ける。嘗て清水幾太郎は「日本よ、國家たれ」と題して「中央公論」に書いたし、今、石原慎太郎は「日本よ」と題する文章を經濟新聞に連載してゐる。石原の人柄は私も好きだし、文章もよい文章だが、讀者個人ではなく「日本」に呼び掛ける惡趣味は頂けない。漱石の言葉を借りれば、都民も國民も「日本」も獨り立ちの出來ぬ「槇雜木(まきざつぽう)」であつて、そんな物は凡を呼び掛けるに値ひしない。束ねて放つておけばよい。
政治よりも遙かに道義を重んじた漱石は、とかく徒黨を組みたがる手合をからかつて「槇雜木も束になつてゐれば心丈夫」だらうと云つた。漱石は随分讀まれてゐて、小泉も川口も阿南も「坊つちやん」くらゐは讀んでゐる筈だが、讀んではゐても理解してゐないと思ふから、晩年、學習院で行つた講演「私の個人主義」からちと長い引用を敢へてする。
國家の爲に飯を食はせられたり、國家の爲に顏を洗はせられたり、又國家の爲に便所に行かせられたりしては大變である。(中略)一體國家といふものが危くなれば誰だつて國家の安否を考へないものは一人もない。國が強く戰爭の憂が少なく、さうして他から犯される憂がなければないほど程、國家的觀念は少なくなつて然るべき譯で、其空虚を充たす爲に個人主義が這入つてくるのは理の當然と申すより外に仕方がないのです。(中略)もつと詳しく申し上げたいのですけれども時間がないから此位にして切り上げて置きます。たゞもう一つ御注意までに申し上げて置きたいのは、國家的道徳といふものは個人的道徳に比べると、ずつと段の低いものの樣に見える事です。元來國と國とは辭令はいくら八釜しくつても、徳義心はそんなにありやしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから國家を標準とする以上、國家を一團と見る以上、餘程低級な道徳に甘んじて平氣でゐなければならないのに、個人主義の基礎から考へると、それが大變高くなつて來るのですから考へなければなりません。だから國家の平穩な時には、徳義心の高い個人主義に矢張重きを置く方が、私にはどうしても當然のやうに思はれます。
漱石の云ふ「個人主義」とは、無論、利己主義の事ではない。安易な和合や妥協を排し己れが正しいと信ずる事どもを、正しいと信ずる流儀でやり遂げようとする事である。だが、それをやれば、當然、多數を敵に廻す事になつて、孤立する個人に何の利益も齎さない。イプセンが「民衆の敵」に描いた醫學博士トマス・ストックマンの場合がさうである。民衆はおよそ當てにならず、當座の利害しか顧慮しないから、眞實や正義は強き少數者によつて守られねばならぬとストックマンは信じ、「民衆の敵」となつて戰ひ、孤立して「一人きりで戰ふ者こそ強者だ」と云ふ。觀客は「一人きり」の強さに感動し多數の愚を痛感するが、その痛感や感動は永續しない。翌朝出社すれば忽ち「弱き多數者」に逆戻りする。「束になつてゐれば心丈夫」だし、さうしなければ儲らないし、儲らないどころか暮して行けないからである。
だが、人類の歴史を動かして來たのは愚なる多數ではなく賢なる少數である。弟子どもが皆逃去つたから、十字架に掛けられた時のイエスは「一人きり」だつたし、地球が丸くて太陽の周りを廻つてゐる事は、今は世界中の小學生も知つてゐるが、それはガリレオだのブルーノだのといふ少數者が、異端として迫害される事をも覺悟の前で言ひ張つたからで、その時、愚かなる多數は「徒黨」を組んで、無論、迫害する側に與してゐた。いやいや、外國の事はよい。我々の國はどうだつたか。我々の國には一人のイエスも一人のガリレオも一人のブルーノもゐなかつた。成程、明治の文壇にあつて漱石は孤立してゐたが、殺された譯でもなく、異端視され迫害された譯でもない。和合と結團の大好きな我々の國に變人はゐるが異端は存在しない。大東亞戰爭當時、近隣諸國を併合し支配して我々は何と云つたか。「大東亞共榮圈」と云つた。「共に榮える」とは必ずしも空念佛ではない。自國本位に振舞ひなから共に榮えようと念じてもゐた。日本の植民統治は世界に冠たる寛大な統治である。自慢出來る事ではない。異質な分化に對する寛容及至無節操が我々の文化の特色で、それは自前の信念の缺如を物語る憂鬱な事實だからである。自前の信念がまるきり無いから佛教儒教をさしたる抵抗も無く受入れ、やがて神佛儒は習合し、幕末は黒船來航を切掛けに西洋文明を、これまたさしたる抵抗も無く受容して、丁髷を切り散切頭になつた。散切頭を「叩いてみれば文明開化の音がする」からであつた。丁髷を捨て、褌を捨て、草鞋下駄を捨て、駕籠を捨て、幕藩體制を捨て、「大東亞共榮圈」を捨て、「現人神」を捨て、「東京裁判史觀」を拾ひ、「略字新假名」を拾ひ、「茶髪」を拾ひ、かくて平成の今、我々は江戸の御先祖が用ゐてゐた道具類の大半を用ゐず、先祖を縛つてゐた思想の大半を輕んじて顧みない。
だが、それもこれも、我々が自前の信念を持合はせてゐないからである。自前のものが皆無なのではない。例へば「につぽん部落」に描かれてゐる恩方村の部落民の生き樣は日本特有であつて、佛教傳來以前にも存在してゐた。詰り、佛教も儒教も「西洋思想」も我々にとつては全て借着なのである、借着を脱げば、恩方村の部落民と同樣、我々は皆「古事記」の昔に戻る。そして「古事記」に深刻な思想は何一つ見當たらず、思想信條ゆゑの殘虐な振舞ひは何一つ記されてゐない。例えば「下つ卷」安康天皇の章にかういふ件りがある。
これより後に、天皇神床にましまして、畫寢したまひき。ここにその后に語らひて、「汝思ほすことありや」とのりたまひければ、答へて曰さく「天皇の敦き澤(めぐみ)」を被りて、何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。ここにその大后の先の子目弱の王、これ七歳になりしが、この王、その時に當りて、その殿の下に遊べり。ここに天皇、その少(わか)き王(みこ)の殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后に詔りたまはく、「吾は恆に思ほすことあり。何ぞといへば、汝の子目弱の王、人と成りたらむ時、吾がその父王を弑せしことを知らば、還りて邪(きたな)き心あらむか」とのりたまひき。ここにその殿の下に遊べる目弱の王、この言を聞き取りて、すなはち天皇の御寢ませるを伺ひて、その傍なる大刀を取りて、その天皇の頭を打ち斬りまつりて、都夫良意富美が家に逃れ入りましき。
この件りを讀む者はシェイクスピアの「ハムレット」を想起するに相違い無い。安康天皇は兄の輕皇子を殺して即位し、兄の后を娶り、やがてその息子である目弱の王に殺される。目弱の王の物語はデンマークの王子ハムレットのそれに酷似してゐる。だが、状況こそ酷似してゐるものの二つの物語は全く異質であつて、ハムレットの復讐には正義感の裏打があり、目弱の王にはそれが全く無い。ハムレットはかう語つてゐる。
見るもの聞くもの、おれを責め、鈍りがちな復讐心に鞭をくれようといふのか! 寢て食ふだけ、生涯それしか仕事がないとなつたら、人間とは一體なんだ。畜生とどこが違ふ。(第四幕第四場、福田恆存譯)
畜生と同樣,人間も「寢て食ふ」事をせずして生きては行けないが、畜生と異なり、人間には「寢て食ふ」以上に大切なものがある。それは正義不正義の別を辨へ正義實現のために身命を賭する事だと、ハムレットはさう信じてゐる。が、目弱の王にさういふ信念は無く、衝動的に父の敵を討つに過ぎない。七歳の頑是無い少年だからではない。日本人だからである。赤穗浪士の場合も全く同じであつて、目弱の王の場合と異なり、その復仇は衝動的ではなく周到な計劃に基づいて行はれはしたが、正義實現の爲の復讐でないといふ點では同じである。淺野内匠頭に切腹を命じた幕府の措置を不正と斷ずる譯には到底行かないし、抑も江戸城之廊下で吉良義央に斬り附けた淺野の動機にしてからが私憤であつて公憤ではない。元禄の昔だけではない。日清日露から大東亞戰爭まで、日本のやらかした戰爭には「公憤」が缺けてゐる。それらは全て侵掠戰爭ではなくて自衞の爲の戰爭であり、自國が「寢て食ふ」爲に戰はれた戰爭であつた。これに反し、ヴェトナム戰爭も灣岸戰爭も、アメリカが「寢て食ふ」爲に戰はれた戰爭ではない。前者はヴェトナムの共産化を防ぐ爲に、後者はサダム・フセインのクウェイト侵掠を懲罰する爲に戰はれた。ヴェトナムが共産化しようと、クウェイトがイラクの領土にならうと、アメリカが「寢て食ふ」爲の格別の障碍にはならないが、共産主義や侵掠を許し難き不正義だと信じてアメリカは軍事的に介入した。
私はアメリカの遣口の全てが清く正しいなどと云つてゐるのではない。斷じてさうではない。大東亞戰爭においてもヴェトナム戰爭においても、原爆を投下したり枯葉劑を撒いたりして、アメリカは結構惡辣な手段を用ゐてゐる。いやいや、それはアメリカに限らない。正義感の裏打ちがある國のやらかす戰爭のはうが、「寢て食ふ」爲の戰爭よりも遙かに殘忍である。昔、十字軍はエルサレムにおいて殺戮と略奪を恣にしたし、ヒトラーのドイツとスターリンのソ連は大量の殺戮を行つてゐる。ヒトラーにはナチズムといふ、スターリンにはコミュニズムといふ、それぞれ「信仰」の裏附けがあつた。己れの「信仰」は常に正しくて、それを認めようとしない「異教徒」はいくらでも殺してよい。それが「神の思召」に適ふ。十字軍の兵士もヒトラーもスターリンもさう信じてゐる。十字軍の遠征を提案したのは法王ウルバヌス二世だが、彼はかう演説してゐる。
東方で、わたしたちと同じやうにキリストを信ずる人々が苦しんでゐる。かれらはわたしたちに救ひを求めてゐる。何故であるか。それは異教徒が聖地を占領し、キリスト教徒を迫害してゐるからである。(中略)かの地では聖所が涜されてゐる。當然、神はこの涜聖を許されない。神はその解放をみづからの業として遂行なさる。この神のみ業に加はる者は神に嘉せられ、罪を赦され、つぐなひを免ぜられる。キリスト教徒どうしの不正な戰ひをやめて、神のための正義の戰ひにつけ。
かういふ事が、神に嘉納される「正義の戰ひ」を戰ふといふ事が、多神教の我々には無い。それゆゑ我々のやらかす戰爭は殘忍ではない。かの「南京大虐殺」なんぞもでたらめに決つてゐる。日本兵にも殘忍な奴はゐるから、面白半分、支那の非戰鬪員を二三人殺すくらゐの事はやつたらうが、十人二十人は到底殺せない。「正義」の裏附けが無いからである。それゆゑ我々の國には殘忍な統治が無い。歴代の天皇も將軍家も宰相も皆仁政を心掛け、「民の竃は賑はひにけり」とか「修身齋家治國平天下」とか「所得倍増」とかいふ綺麗事だけが語られる。「國家とは正當と稱する暴力による支配」だとマックス・ウェーバーは云ひ、「戰爭とは敵を己れの意のままに從はせる爲の暴力の行使」だとクラウゼヴィッツは云つたが、ウェーバーやクラウゼヴィッツのやうな身も蓋も無い眞實を、この國の爲政者や知識人や學者が口にする事は決して無い。彼らは今なほこんなふうに語る。
かつて政治を矮小化し、そのはるか前に外交を放擲し、金さへあればいいのだ、といつてきた歳月のつけとして、今日私たちは戰略眼ももてず、眼前の事態には欺瞞をしか重ねられず、一片の倫理も、後繼世代への責任感もないがゆゑに、虎の子のはずの經濟すらも臺無しにしてしまひました。もしも、私たちが再生を望むのなら、まづもつとも基本的な土臺である。倫理を取戻さなければなりません。倫理は、原則を守ることによつてしか、囘復できるわけのないものです。(中略)手を汚さないですむのならば同盟關係の信義を破つたり、誤魔化したりしてゐる間は、けして囘復できはしないものです。平成の十四年間は、日本人が墮落をしきつた十四年でした。
どうしてこんな安つぽい言論が罷り通るのか。政治の「矮小化」は平成元年に始つた譯ではないし、「外交の放擲」と云ふからには日本獨自の外交なるものがかつては存在してゐた事になる。持つてゐないものは「放擲」出來ない道理だからである。だが、幕末、歐米先進國との附合ひを始めて以來、日本が獨自の外交を持つた事は皆無である。獨自の外交には力の裏附けが不可缺だからである。それに何より、「倫理」と經濟成長とは全く無關係であり、「同盟關係の信義」はそのまま「倫理」ではない。國際政治における「信義」とは國益に合致する限り守られる代物に過ぎない。日米は「同盟關係」を結んでゐるが、例へば北朝鮮の金王朝と中國の共産黨獨裁體制が崩潰すれば、日本安保條約は不要になつて、國益を重視するアメリカは條約の破棄を通告して來るであらう。春秋の筆法をもつてすれば、金正日閣下のお陰で「日本國はかくもブザマに」なりながら、それでなほ繁榮と平和を享受してゐられるのである。
福田の駄本に缺けてゐるのは論理である。取分け福田は道徳と政治とを峻別してゐない。その雙方に對して知的に怠惰だからである。福田に限らない。七月三十日附の産經新聞によれば、中西輝政は千葉の正論懇話會で講演して、「教育改革を進めて戰後の惡しき價値觀を變へなくては、經濟再生もありえない」と語つたさうである。中西の論も福田のそれと同樣に虚しき空論であつて、平成の今、我々の有する價値觀が「惡しき」ものだとして、それを變へるなどいふ事が出來る筈が無い。どんな暴虐な獨裁者にも、或る國民の價値觀を變へるといふ事だけは出來ない。中西の云ふ價値觀とは、一體全體、いつ頃の價値觀なのか。明治か、大正か、それとも戰前の昭和か、明治以後、日本人の價値觀が變質した事は事實だが、それは歐米の文明の攝取が主たる原因である。攝取せざるを得なかつたから攝取したのだが、それを今中止する事が出來るのか。教育なんぞをどう「改革」しようと國民の「價値觀」だけは絶對に變へられない。改革し得るのは教育制度であつて教育そのものではない。けれども、大事なのは教育制度ではなくて教師一人一人の道徳的眞摯である。制度なんぞいくら弄つても駄目教師は駄目教師で、駄目教師に價値觀なんぞ無用の長物である。さういふ駄目教師に價値觀を待たせるのに中西は官憲の力でも借りる積もりなのか。だが、駄目教師といふ馬を水際まで引張つて行く事は出來るが、水を飮ませる譯には行かない。中西も大學の教師なのだから、綺麗事の空論を弄ぶ前にもう少し頭を使ふがよい。
「わしイズム」第二號の表紙に小林よしのりのカラー写眞が載つゐて、今囘小林は白い能登山布を着てゐる。「帶まで含めて百萬圓」ださうである。だが、能登山布を見事に着こなしても小林の書いてゐる事に何の變化も無いし、第一、「わしイズム」とは眞當な日本語ではない。俗に馬子にも衣裝といふが、教育制度とはいはば衣裝であつて、馬子の價値觀を變へ得る物ではない。能登山布を着用した小林は、例によつてかういふ愚な事を書いてゐる。
アメリカはイスラエルと石油利權を守りぬくために、アラブ諸國間を分裂させ、敵對させ、決して一つにまとまらないやうに畫策し續けてゐる。イラクがクウェートに侵攻したのも、フセインを育て、支援し續けてくれたアメリカが、許可してくれると過信してしまつたからだ。(中略〕アメリカは、徹頭徹尾、自國の利益しか眼中にないのだが、をれを「正義」と信じ込んでゐる。(中略)しかし、それでも日本は、アメリカに協力するしかない。良心に照らすと嫌でしやうがなくても、サヨクのやうに「戰爭反對」なんて、言つてられない。倫理を最優先できるほどの「大いなる力」を持たぬからだ。
かういふ支離滅裂な駄文を綴る頭の惡い男の編輯する雜誌が十萬部も賣れたさうで、我々の國はしかく愚かな國なのである。まづアメリカが「自國の利益しか眼中にない」といふ小林の斷定は事實に反する。アメリカに限らず、自國の利益だけを考へる國は、ヘロドトスの昔は知らず、今はもう存在しない。自國の利益だけを追求する事が自國の利益にならないからだが、さういふ事を知らぬ程アメリカの政治家は愚かではない。朝鮮半島やヴェトナムの共産化を防ぐ事がアメリカにとつて何の利益になるのか。それにも拘らず、アメリカは介入して十萬を上廻る自國の青年の血を流した。人は麺麭のみにて生くるものにあらず、共産主義は正義に反すると、固く信じてゐたからに他ならない。
だが、さういふ小林の事實に關する無知よりも、福田や中西の場合と同樣、道徳と政治との混同のはうが遙かに始末に負へない。歐米と附合はずにやつて行けるのなら兩者の混同は一向に致命的ではないが、再度の鎖國は最早やりたくてもやれはしない。それなら我々は、政治と道徳とを峻別する歐米の流儀が遂に我々の物となり得ぬ事だけは承知してゐなければならない。小林はその事を知らずにゐる。知らずにアメリカを難じてゐる。「倫理を最優先」し得るのは世捨人か坊主に限られる。だが、世捨人や坊主に「大いなる力」なんぞある道理が無い。それは歐米諸國にとつての常識である。イエス・キリストは「倫理を最優先」したが、政治的には全く無力だつたではないか。然るに、中西と同樣、小林も亦、政治と道徳と混同して、他國との對立も「協力」も共に政治の問題に過ぎず道徳や倫理とは何の關はりも無いといふ事を理解しない。「良心に照らすと嫌」とは道徳上の問題だが、マックス・ウェーバーが云つたやうに、政治家は「良心に照らすと嫌」な事をも敢へてせねばならない。他國と對立したり協力したりする事が國益に合致するのなら、「良心に照らす嫌」な事をもやらねばならない。それは詰り、政治と倫理道徳とは別物だといふ事である。小林の云ふやうに、アメリカが「イスラエルと石油利權を守り拔く」べくアラブ諸國の分裂を策してゐるとして、その見事な政治的深慮遠謀を日本のお人好しの「ポチ保守」漫畫家が難ずるのは滑稽極まりない、けれども少々憂鬱なる漫畫である。
「ポチ保守」とはアメリカに尻尾を振る知識人を椰愉する積りで小林がでつち上げた淺薄な造語だが、サダム・フセインやビンラディンに尻尾を振るのもポチであり、江澤民や金正日に尻尾を振るのもポチだから、例えば西尾幹二や田久保忠衞をポチと呼んで土井たか子や久米宏をポチと呼ばないのは片手落ちであるし、ポチは家人に尻尾を振るだけでなく客人には鎖に繋がれたまま吠えもするのだから、かういふ愚な事を放言する小林自身も亦ポチに他ならない。
戰爭の仕方や人間の知惠一つで世界の覇權の地圖を塗りかへるやうな可能性も全部閉ざしてしまふやうなアメリカの軍事大國化に對して、ものすごい反發があつたんです。(中略)それであのときに「その手があつたか」と思つたんですよ。特攻隊ですら本土爆撃までは考へられなかつたけど、日本がやつた特攻といふ戰法で、アメリカの本土の内部に入つていけばやつらをやれるのかと。
何者かに「ものすごい反發」を感じてゐても、その反發を報復に變へられぬ非力を身に染みて知つてゐたら、かういふ淺はかな事は口走れない。非力といふ鎖に繋がれてゐるといふ自覺があるからである。小林といふポチは、鎖に繋がれながら虚しく吠えるポチと同樣、日本の一漫畫家が「アメリカの軍事大國化」に反發する事の虚しさを痛感してゐない。頭が惡いからである。さうではないか。「特攻といふ戰法で、アメリカの本土の内部に入つて」行つて「やつら」をやるのは、一體絶對、何のためなのか。「やつら」とはアメリカ政府の高官もしくは不特定多數の國民だらうが、そのいづれであれ、アメリカは激怒するに決つてゐるが、日本國は「ポチ保守」とは異なり、激怒を即座に報復に變へ得る強者の報復を覺悟して小林は放言してゐるか。無論、さうではない。鎖に繋がれたポチは客人に吠えても蹴り殺されぬ事を知つてゐる。番犬としての忠實を飼主に愛でられる事も承知してゐよう。小林にとつての「飼主」とは誰か。長野縣民同樣に愚かしい愛讀者である。やはり小林はポチなのである。彼はまたかう語つてゐる。
現在の世界を眺めてみると、本當にとんでもない状態になつてゐますよね。二〇〇一年九月十一日の同時多發テロ以降、プッシュはテロ撲滅と言つてアフガニスタンを攻撃し、今度は「惡の樞軸」とか言つてイラクをやらうとしてゐる。(中略)だけど、テロ撲滅と言ひながら、やつてゐることはテロとどう違ふのか全然わからない。(中略)自爆テロが民間人を卷き込む暴擧だと非難されるけれど、アメリカの空爆だつて、イスラエルのパレスチナ侵攻だつて、どちらも民間人の殺傷を前提にしてゐる。ルールや倫理は平然と踏みにじられ國家のエゴがむき出しになつてゐるんです。パレスチナ側から言へば、國家がないといふことはつまり軍隊がないわけだから、戰爭はできないわけです。さうすると、彼らが戰爭を效果的に遂行する手段は自爆テロしかない。
この文章の歿論理を私の「愛讀者」は立所に見拔くだらうか。「見拔くに違ひない」と書けば私もポチになるから書かないが、冗談はさて擱き、パレスチナには國家が無いから軍隊が無く、軍隊が無い以上戰爭がやれないのなら「戰爭を效果的に遂行する手段」も無い道理であつて、さういふ單純な自家撞着に氣附かぬ頭の惡い漫畫家に天下を論ふ資格なんぞありはしない。「反米といふ作法」は小林よしのりと西部邁の對談を収録した駄本だが、兩者それぞれに愚劣な事を放言してゐるから、以後暫くからかふ事にする。西部はかう語つてゐる。
ここまで讀み書き能力が缺如する、その根本の根本を察してみると、(中略)言語を馴驅使するはずの知識人たちが、讀み書き能力において致命的なロボトミーと受けてしまつたのだと思ふ。戰後五十七年間で。(中略)僕は「ニハトリ保守」つて言つたんです。ニハトリは三歩歩くと何でも忘れてしまふ。今や左翼といひ反左翼といひ、多くの人たちの文章を少々ゆつくり讀んでみると、三行過ぎると論旨が亂れるんです。それで僕は、ニハトリの三歩と知識人の三行とをくつつけてニハトリ保守と書いた。
小林の「憂國漫畫」は何せ「憂國」が賣物だからさつぱり面白をかしくないが、西部といふ「ニハトリ保守」が小林といふ「ニハトリ保守」と樂しげにつるんで、靖國神社に參拝して、西尾といふ「ポチ保守」を嗤ふ圖も、知的怠惰の日本國ならではの憂鬱な漫畫だから一向に樂しめない。二人の文章はいづれも「三行過ぎると論旨が亂れる」のだから、西部や小林が西尾を嗤ふのは猿の尻嗤ひである。小林は軍隊が無い以上戰爭は出來ないと云ひ、「三行も過ぎない」うちに、「戰爭を效果的に遂行する手段は自爆テロしかない」と云ふ。然るに、小林といふ「ニハトリ保守」の粗雜を咎めずに、同類の鷄は「戰爭のテロル化、テロルの戰爭化の相互乘り入れ」を云ふ。小林も西部も戰爭とテロとを區別してゐない。戰爭についてもテロについても知的に怠惰だからである。鶏並みの知能の持主だからである。西部はこう語つてゐる。
灣岸戰爭まではぎりぎり、アメリカはなんとかお芝居ごととはいへ國際ルールに則るふりをしてゐたんです。でも、(中略)目の前に歴然と現れた出來事から言へば、やつぱり世紀の變はり目あたりに、小林さんの言ふ戰爭テロル化、テロルの戰爭化の相互乘り入れで、ある種、むき出しのゲバルト、つまり物理的強制力が地球全體に廣まり始めたといふことなんです。おぞましいグローブ、地球になつてしまつたとつくづく思ひます。
古代ギリシアの昔から戰爭もテロも「むき出しのゲバルト」だつたし、「國際ルールに則るふり」ならスターリンだつてやつてゐる。「おぞましい地球になつてしまつた」とて歎いて見せて善人を氣取るのは、これまた頭が惡いからである。それに、戰爭が「テロル化」してテロルが「戰爭化」したのなら、兩者の區別は全く無いといふ事になる。だが、そんな馬鹿げた話はない。西部と小林を除く世界中の政治化や知識人がテロと戰爭を區別せずにゐるなどといふ不條理が存在する筈が無い。テロはテロであつて戰爭は戰爭である。「ブリタニカ」はテロについてかう記述してゐる。
政府、民衆或は個人に對し豫測し得ない暴力を組織的に行使する事。從來、テロリズムの行使は、左右を問はず、政治的、民族的組織及び革命組織によつて、或は政府自身の軍隊や秘密警察によつて、なされてゐる。
一方、「ウェブスター」の定義によれば、戰爭とは「國家間或は民族間の、通常は公然と宣戰を布告して行はれる武力行使」であつて、「當事國の雙方に政府が存在しなければ成立たない」といふ事になる。成程、それなら話は解る。灣岸戰爭もアフガン戰爭も戰爭であつてテロルではなく、宣戰布告こそなされなかつたものの、アフガンにはタリバンの政府がイラクにはフセインの政府がそれぞれ存在してゐたのだから、アメリカがやつた事は戰爭であつてテロではないし、世界貿易センタービルに突込んだのは、ビンラディンの手下であつてアフガン政府軍の軍人ではなかつたから、あの自爆は紛れも無いテロであつて戰爭ではないと知れる。ビンラディンの手下どもはアメリカの政府「民衆或は個人に對し豫測し得ない暴力を組織的に行使」したに過ぎない。
テロといふ言葉があつて戰爭といふ言葉がある。どちらも至極ありふれた言葉だから、誰でもが氣易く使つてその意味する處を深く詮索しない。テロとは無論外來語で、英語ならterrorだが、そんな事も考へずに人々はテロといふ言葉を用ゐてゐる。だが、知識人の場合はそれでは困る。言葉の意味する處を詮索して、誤用でないかどうかを常に氣に懸けなければならない。我々は頭で考へるのではなく言葉で考へる。言葉を正確に使用する事が物事を正確に考へる事なのである。西部が駄目な物書きなのは言葉を正確に使へないからだ、例へばかういふ惡文を綴つて精妙な思考なんぞ出來る道理が無い。
思想史にいふ保守とは「歴史的なるもの」の保守のことのはずである。(中略)西歐保守思想史は、あへて一言で比喩してみれば、プレスクリプションつまり時效(時間の效果)によつて物事の進み方を「豫め(プレ)規定(スクライブ)する」と構へることである。日本においてとて、小林秀雄にせよ田中美知太郎にせよ、福田恆存にせよ三島由紀夫にせよ、そのやうに構へてゐた。
さういふ構へを持たうとしないものは、知識人であれ役人であれ、マスマンつまり大衆人である。まともな保守思想家たちはおしなべて、大衆社會が、政治にあつては流行の世論にもとづくポピュリズム(人氣主義)といふ形で、經濟にあつては市場の金錢にもとづくマモニズム(拜金主義)といふ形で、膨らんでいくのに妥協できなかつた。「今や流行」してゐるのは保守思想が批判してゐた當のものである。ましてや私は、「流行」といふものに乘るのを常とする「大衆」に批判を加へる、といふ流行すべくもない論を二十年前から展開してきたのである。それなのに、西尾氏は保守が流行してをり、それに私が乘つたのだといふ。これは保守思想について無知であることを告白してゐるに等しい。冷やかしていへば、『新しい歴史・公民教科書』の採擇率が實質ゼロである、それが今の流行であるといふ事實についても無知なのではないか。そして私について無知なのは構はないが、無知なままに指名しで私を批判するのだから。堪つたものぢやない。
この凄まじい惡文を一讀して理解出來た讀者がゐるならば、それは氣違ひか癡呆であり、いづれ早速精神科の醫者に診て貰つたはうがよい。私は氣違ひでも癡呆でもないから、この凄まじい惡文を理解しようとは思はない。ここでちと入念に惡文の惡文たるゆゑんについて解説するだけである。まづ、「比喩してみれば」と西部は書いてゐるが、「比喩する」といふ日本語は無い。比喩には直喩と隱喩があるけれども、「暗喩する」とは幾ら愚かな西部も書かぬであらう。だが、「比喩する」が許容されるなら「暗喩する」も許容される。「暗喩する」が許容されるなら、「ニハトリは三歩歩くと何でも忘れてしまふ」と書かずに「三歩アンヨすると忘れてしまふ」と書いてもよく、更には「三歩暗喩する」と書く事も出來る。但し、「三歩アンヨする」と書くのは幼兒に等しい馬鹿であり「三歩暗喩する」と書くのは氣違ひである。西部は醫學的には氣違ひではないのだらうが、「アンヨすれば」、いや「暗喩すれば」氣違ひであり、氣違ひでないのなら、いつそ筆を折り作文の勉強をやり直したはうがよい。
周知の如く、サ行變格活用の語幹には漢語和語の名詞だけでなく外來語も用ゐられる。例へば「スタートする」といふ言ひ方は、決して好ましくはないものの許容し得る。けれども、「流行する」と云はずに「ブームする」とか「ファッションする」とかいふ云ひ方は許されない。誰が許さないか。無論、御先祖が許さない。日本語のみならず全ての國の國語には、外國語の安直な導入を拒む「比喩すれば」抗體(antibody)が備はつてゐるが、傳統を輕視する「ポチ保守」は、抗體を有難く思ふ事が無いらしい。「大衆人」などといふ日本語は無いから「マスマン」といふ外國語を用ゐるのはやむを得ないが、その場合も「マスマン」で通すか、或は「大衆」といふ歴とした日本語を工夫して使へばよい。反米的言辭を弄する癖に、西部は英語が好きなのだらうが、「拜金主義」で充分なのに「マモニズム」なる注釋を附けるのは、難しい英語を知らぬ讀者に對する虚假威しの衒學に他ならない。
それに何より、傳統を重んじない保守といふ化け物がゐる筈は無い。「ポチ保守」だの「ニハトリ保守」などといふ造語を喜ぶのは、「マモニズム」だの「プレスクリプション」だのといふ外國語を喜ぶ衒學趣味と同質の輕佻浮薄だが、そうして言葉の傳統を輕視及至無視して平氣でゐる西部が、何と「歴史的なるものの保守」を説く。「ニハトリ保守」だからである。西尾幹二は西部の惡文を批判してかう書いてゐる。
「正論」二月號の西部氏の「テロイズム考」は、閉ざされた概念操作が獨斷を生み、論理が つて無關係な幻想へと走つていく、人を困惑させる惡文の典型である。例へば、あらゆる革命はテロである、大化改新もさうだつたから、テロは歴史の進歩の動因の一つで、もしテロを不當とするなら、「退歩が歴史の眞相であつたことを認めるのか」とわざと讀者に迫る。さう驚かしておいて、テロの正當性をまづ確認する。次いで、社會は法律だけによつて成り立つてゐるのではなく、道徳といふ價値の體系をもつてゐる。だから、「合法ではないが合徳」といふテロルがあり得る、といつて、アルカイダ・テロルを言外に支持するのである。(中略)詭弁の羅列、惡しきソフィスティケーションのつみ重ねによつて、日本が置かれてゐる困難な政治的状況などは頭から無視してかかり、いつたい何を言ひ出すのかといふやうな呆れ返つた結論に走つていく。アメリカの抑止力といふ日本防衞の重要なポイントが西部氏の頭にはない。かほどまで政治思考が未熟な人とは思つてゐなかつた。
「正論」二月號の西部論文を私は讀んでゐないが、西尾の批判は、右の件りに關する限り、正鵠を射てゐるし、四月號の西部の反論には丸切り説得力が無い。要するに、西部は西尾に負けたのである。なぜ負けたか。云ふにや及ぶ、頭が惡いからである。大化改新は改新であつてテロではない。中大兄皇子と中臣鎌足による「クーデター」の成功以後になされた内政改革、それが大化改新である、中大兄と鎌足は宮中で蘇我入鹿を暗殺したが、それは暗殺であつてテロではない。暗殺と呼べば充分なのに「テロ」と呼ぶのは「アルカイダ・テロルを言外に支持」したがつてゐるからだと、西尾のみならず讀者にさう思はれても仕樣が無い。それは誤解であると西部は云ふが、誤解はするはうよりも寧ろさせるはうが惡い。とどの詰り、「僕はテロを肯定する」と言切るだけの勇氣が無いから誤解されるやうな事を云ふのだらうが、さういふ事より、言葉を正確に用ゐる事の出來ぬ頭腦の缺陥のはうが遙かに始末に負へない。小林よしのりとの對談にかういふ件りがある。まづ小林の發言を引く。
本當にテロと戰ふのなら、日本はどうやつて防衞するかといふことにも觸れなければならない。わたしは「日米同盟に從つて參戰するのはやむなし」、だけど、それならば集團的自衞權の行使を明言し、情報・謀報機關として日本版CIAを設立し、テロとの情報戰に備へよ、と初めつから言つてゐます。「戰爭」は勝つ準備をしてやれ、と。
かういふ流儀で評論家と稱する手合は、至難なる事どもをいとも氣輕に提案して無事である。小林のやうな極樂蜻蛉に「日本版SIAを設立」する事の至難及至不可能を説いても仕樣が無いから、一つ興味ある挿話を紹介しておかう。數年前、或る在米防衞駐在武官が、假に小林といふ自衞官だつた事にしておくが、朝、ワシントンの官舎を車で出た。ペンタゴンに用事があつたのである。運轉しながら考へ事をしてゐて、うつかりペンタゴンの前を通り過ぎた。すると後方から一臺の車が追ひ越し、前方に停まり、一人のアメリカ人が降りて來て駐在武官に云つた、「ミスター・小林・ペンタゴンはあそこだ。」