制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
當サイトオリジナル記事
イーエスブックスみんなの書店「書肆言葉言葉言葉」より一部轉載
公開
2001-08-04
改訂
2018-02-21

『文學と政治主義』

目次

  1. 大岡昇平と大江健三郎──政治主義の成れの果て──
  2. 二葉亭四迷──筆か爆裂彈か
  3. 芥川龍之介──藝術至上主義の敗北──
  4. 三島由紀夫──「知行合一」の猿芝居──
  5. 中野重治──共産主義と知的誠實──

内容解説

政治に對する劣等感を感じ續けてきた近代日本の文學者の悲劇を描く。T.S.エリオットの言ふやうに、文學者の仕事は政治家の仕事とは異るものである筈である。多くの日本の文學者がその邊を勘違ひして來たが、今もその勘違ひは無くなつてゐない、と著者は述べる。

文學者は道徳を扱ふべきだが、近代における日本の文學者は、「道徳よりも政治の方が上等だ」と云ふ勘違ひから拔出せず、道徳から目を逸らし續けてゐる。その結果として日本の文學者は屡々道徳的におぞましい文章を綴つてゐる。さうした文學者の政治主義を剔抉し、松原氏は的確な批判を加へてゐる。

三島由紀夫について

三島の作品

殘念ながら、多くの研究者は、三島の政治主義ゆゑの勘違ひを理解しない。三島を右翼であるがゆゑに支持する右翼は「現實の昭和天皇を三島は許せなかつた」と云ふ事を納得しないし、左翼は異るイデオロギーを信奉する三島を最初から理解しようとしない。松原氏は、このままでは三島の自害は犬死にになつてしまふそれでは餘りに(三島が)かはいさうである、と述べてゐる。

三島事件――三島の切腹

……八戸グランド・ホテルで(陸上自衞隊第三十八普通科聯隊)聯隊長の青山昌嗣一佐と懇談したが、聯隊長が唐突に三島由紀夫をどう思ふかと尋ねた。頭のよい作家だが好きになれないし、作品にも樣々の缺陷があると私は答へた。「いや、さうぢやない、作品の事ぢやない、三島事件の事です」と青山氏が言つた。「ああ、あれは成算あつてやつた事でせう」と私が答へると、聯隊長は微笑を浮べてかう言つた、「すると、眞相をご存じなんですね」。

三島は作品で餘りにも屡々死を仄めかしてゐる、だが、本氣で自殺するやうな人間が死を仄めかす筈がない、だから、自害の當日にしても、いささかの成算も無くして東部方面総監部へ乘込んだ譯ではあるまい、と松原氏は推測する。

成算とは「自衞隊が蹶起する事」の成算で、三島は自分が唆せば自衞隊はクーデタを起して呉れるものと考へてゐた。ただ、即日、クーデタを起して呉れる訣ではない、だから三島はその日は歸れると思つてゐた。

ところが、自衞官は三島と共に蹶起しようとしなかつた。演説する三島をアジり倒した。三島は逆上して腹を切つた。三島の自殺は衝動的なものであつた。

三島の考へは獨り善がりのものであつた。自分に都合良く事が運ぶであらうと餘りにも樂天的に考へてゐた。本書で松原氏は資料を驅使してこの事を説明してゐる。


「三島は自決した」「自決したから偉い」「偉い三島の作品も優れたものであつた筈だ」――さう云ふ「論理」が、多くの三島論に見られる。松原氏は、かうした「三島の切腹から逆照射して過去の三島の作品の價値を決定しようとする批評」を、全うな文芸批評とは認めず、批判してゐる。

三島は、自衞隊とともにクーデタを起す事で、兼ねてからの持論であつた「知行合一」を實現して見せる事が出來ると信じてゐた。自衞隊が實際にクーデタを起すか起さないかは三島の考への中では問題にならなかつた――「當然、起すものだ」と三島は自分に都合良く信じてゐたからである。現實に、自衞隊はクーデタを起さなかつた。三島の切腹は衝動的なものだつた。慥かに腹を切る時、三島は本氣になつてゐたのだらうが、その本氣は怒りによるものであつた。三島の死に樣は決して立派なものではなかつた。

だが、「切腹した」事で、多くの批評家が衝撃を受けた。三島の「切腹」と云ふ行爲を、「切腹」であるがゆゑに衝撃的なものと思ひ込んだからである。その切腹がどのやうな過程でなされたものかを冷静に判斷した批評家は皆無であつた。なぜ批評家が冷靜になれなかつたか。批評と云ふ行爲に自信を持つてゐなかつたからだと松原氏は指摘してゐる。

日本の文藝批評家は――と言ふより、日本の文學者は、文學的な行動よりも政治的な行動の方が優れてゐると思つてゐる。明治以來、日本の文學者には政治へのコンプレックスがある。そのコンプレックスは根本的に誤つてゐるのであり、T.S.エリオットが述べたやうに政治家に對しても文學者は文學者の立場から物を言ふ資格を持つのだが、日本の文學者はそれを理解してゐない。そこに附け込んで三島は「知行合一」と言ひ、政治的に行動して見せる事で、日本の文學界において優位に立たうとしてゐた。三島がクーデタを起して見せようとしたのも、「知行合一」なる自分の立場を強化しようと云ふ意圖があつての事であつた。その狙ひは外れて、三島は自決したのだが、その三島自身も政治コンプレックスに陷つた文學者の一人であつた。

三島の自決は「文學者の政治コンプレックス」が惹起したものである訣だが、三島と同樣に政治にコンプレックスを抱いてゐる日本の文學者は、三島の自決でもそれを悟れなかつた。だが、このままでは三島の自害は犬死にになつてしまふ、我々は三島の自決を通して、三島の陷つた誤を知り、同じ誤に陷らないやうにしなければならない。

日本人は政治の價値を絶對視しがちだ。けれども、政治の價値もまた相對的なものであり、道徳・文學の價値も政治のそれと同じやうに「ある」と看做さなければならない。

中野重治について

一應右の目高に屬する松原氏は、同じ政治主義の過ちを犯した文學者ではあるが、三島よりも中野重治の方がずつと好ましい文學者であつたと述べてゐる。中野もまた政治主義ゆゑの勘違ひをやらかした文學者だが、三島よりも眞摯であつた。

だが、政治主義に淫してなほ、昭和天皇や森鴎外に敵としての偉大を認めた中野の知的誠實を、私はまことあつぱれだと思つてゐる。文士にとつて大事なのは知的誠實であり、それを支へる土性骨である。その土性骨が中野を共産主義者たらしめ、昭和天皇を罵倒せしめ、覺えず「同胞感覚」を告白せしむる事になつた。……

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