- 制作者(webmaster)
- 野嵜健秀(Takehide Nozaki)
- 公開
- 2005-06-05
小林秀雄に關するメモ
評價
- 日本に近代的な批評ジャンルを作つた功勞者とされる。昭和五年の雜誌「新潮」で先づ、川端康成が小林の「文藝時評」を高く評價してゐる。対話 秋山駿・宮城谷昌光「人間の真形」(新潮平成十三年四月號増刊「小林秀雄 百年のヒント」所收)小林以前にも批評を書く文學者は存在したが、小説家や詩人と同樣に、「自分の職業はプロフェッショナルとしての批評家である」と云ふ事を明確に自覺した文學者は小林が日本では初めての存在だつたと言へる。
- 福田恆存は、はじめ小林に強く衝撃を受け、のち一時、小林から離れた。坂口安吾は、對談で、小林の「後繼者」として福田の名を擧げてゐる。しかし、同じ近代的な批評家であつても、小林と福田とでは「近代」との距離の取り方に違ひがある。
- 小林は、ドストエフスキーに氣質的に共感したと思はれる。しかし、本人も述べてゐる通り、「理解出來なかつた」と云ふのが眞實だらう。ドストエフスキー論は、ドストエフスキーがGodと如何に對峙したかの考察を缺いてゐる。粟津則雄が、「ドストエフスキイの生活」は完結したが、作品論は終らなかつた、と指摘してゐる。対話 安岡章太郎・粟津則雄「小林秀雄体験」(新潮平成十三年四月號増刊「小林秀雄 百年のヒント」所收)
- ベルグソンの影響を強く受けたとされてゐる。事實、「思想と動くもの」でベルグソンが示してゐる相對的な「分析」及び絶對的な「直觀」の概念と、小林秀雄の批評の仕方とは、密接な關係がある。しかし、ベルグソンに小林の理解し得なかつた處があつたのは間違ひない。ベルグソンを扱つた「感想」が未完に終つたのは、ベルグソンに依然殘る合理主義を、小林が巧く扱へなかつたからである。粟津氏は、
独断的な言い方をすると、「感想」を途中でおやめになったのは、結局キリスト教というのはわからないと思われたからなんじゃないかという気がするんですがね
、と述べてゐる。現在の全集に收録されてゐる「感想」は、「ベルグソン論」として讀むよりも「小林の文學」として讀む方が良いだらう。小林は、「感想」の公刊を拒絶してゐたが、既に雜誌に載つたものであり、公になつてゐるものだから、小林の意圖に關らず、讀まれるのは仕方がない。
- 小林の『本居宣長』は、國學者が
直かに
古典に當つた事、分析や觀察といつた方法に據らなかつた事を、長々と述べた文章である。「日本的」な宣長は、小林には「わかつた」のであらう。しかし、その「分かり方」が、合理主義との對峙を避けたものであり、日本的な・宣長的なものであつた事は否めない。『本居宣長』は、反近代的であつても、超近代的な批評とはなり得てゐない――評論と言ふよりは、寧ろ、隨筆に近い著作である、と思はれる。
- 「本居宣長」は、天皇を扱はなかつた、と云ふ問題がある。そもそも小林は、批評活動の中で、天皇に關する議論を囘避してゐる。さう云ふ事を、松原正氏が指摘してゐる。
- 小林の發言にははつたりが結構澤山あるので、騙されてはいけない。