制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2003-05-20

小林秀雄の批評に就いて

批評の確立

誰でも知つてゐる通り、小林は昭和4年の「改造」の評論懸賞に「樣々なる意匠」を以て應募し、第2席に入選、デビューした。その後の執筆活動によつて、小林は日本に近代的な批評と云ふジャンルを築いた功労者とされる。嘘である。

小林秀雄の評論は近代的なセンスに基いたもので、確かに近代的な批評と呼ぶべきものである。その批評は全て、小林が考へて考へて考へ拔いた末に出された結論である。疑ふべきものを疑ひ、その擧句小林は全てを斷言してゐる。そこにあるのは、徹底した思考の結果として、信ぜざるを得ぬものを信ずると云ふ信念なのであり、それゆゑに小林の批評は近代批評と呼ばれるべきものなのである。だが、小林ほどに物事を深く考へた批評家は誠に少い。

眞に近代的な批評をすると云ふのは、ただ論理的にものを考へると云ふ事ではなくて、論理的に考へた結果論理では方のつけられないものを見出すと云ふ事である筈だ。或は、近代的な思考とは、物事を徹底して考へる事である筈だが、物事を徹底して考へれば當然行詰まるべきものである。論理は行詰まるが、行詰つたらその先には信仰あるのみである。ただそこまで至つた己の道筋を信じて、最終的な結論を下せばよい。そんなものは獨斷だと言ふ奴には言はせておけばよい。さう言ふ奴がものを考へてゐた試しはない。

徹底した思考の先にあらはれる信念は、近代以前の迷信とは異る。私が近代的と云ふ事を強調するのは、合理精神とか、論理的に物事を考へると云ふ事を、突詰めてものを考へる事の大事を言ひたいからである。ただ最初から何かを丸呑みで信ずる事は近代以前だ。同じ、信仰に生きねばならぬ事が人の運命であらうとも、一旦は疑つてみるのが近代人の態度だ。否、いついかなる時であれ、人間はさう云ふ態度を取るべきだ。疑ふからこそ人はものを信ずる。

論理的に考へて、それでも疑ひ得ない何かを信じた時に、人は確信を以て斷言する筈だし、さうすべきだ──小林はさう云ふ確信を持つて、批評を書いた。だから、歴史に對する信仰、傳統に對する信仰を表明する小林は近代人なのであり、單なる復古主義者や保守反動や右翼の仲間ではないのである。或は近代的な思考を小林は乘越えてゐる。中途半端に近代的なものの考へ方をする連中とは一線を劃す。さう云ふ意味で、小林の立場は超近代であり、近代を知盡した上での反近代である。小林は、徹底的に近代的なものの見方をしてみて、擧句その限界を見てしまつたのである。

小林秀雄が常識と言ふ時、その常識は既に凄まじい懷疑と批判とを受けてゐるのだ。足許のはつきりしない世間一般の常識ではない、小林が徹底して考へ拔いた擧句受容れざるを得なかつた堅牢なる常識なのである。さう云ふ意味では小林は、あらゆる存在を破壞せんとする左翼をも越えてゐると言へよう。壞せるものを壞さうとしただけで、あらゆるものを壞せると思ひ込んだ馬鹿左翼と違ひ、小林は最早壞しやうのない存在をも壞さうとして、それが出來ぬ事を悟つて信じたのである。

天皇陛下の存在なんて、それあ天皇は人だから命を奪ふ事は出來るだらう。だが日本人の精神の中の、日本人らしい安直さや能天氣さ、論理的にものを考へずに何でもやらかすおつちよこちよいなところを消し去る事は出來まい。何より日本人には、天皇のやうな權威の、相對的な價値を信じたり、否定したりする事は出來ても、Godのやうな權威の、絶對性を信じたり、否定したりする事は出來ない。或は、日本人は、形あるものを壞す事は出來ても、形のないものを壞さうとする事は出來ない。増してや形のないものを信ずる事はもつと難しい事だ。

だが、小林はその批評の中で、さう云ふ相對的な日本の天皇や、絶對的な西歐の神樣について、觸れてゐない。小林のドストエフスキーに關する論攷が不徹底に終らざるを得ぬゆゑんである。さうは言つても、小林の批評にかなふ批評を書けた評論家は日本には數少ないのであつて、我々は小林を尊敬してよい。近代的な批評を書けたのは小林秀雄の他には何人もゐないのであつて、ジャンルとしてはついぞ成立しなかつた。或は、日本に全うな批評と云ふジャンルは成立してゐない。殆どの批評家が僞物で、僅かに福田恆存らが孤立無援の状況下で奮鬪しただけなのである。徹底的にものを考へるのを拒む日本人の國民性なんて、小林がいかに天才的な批評家であつたとはいへ、變へやうなどはなかつたのである。そんなものである。

眞劍と云ふ事

今日出海によれば死の直前、小林は病床で、セザンヌの「森」を見つめて身じろぎもしなかつたと云ふ。小林のゴッホに關する評論は、日本人がゴッホを持てはやす一因となつてゐるのであらう。しかし、ゴッホのファンが小林ほどにゴッホについて考へた事は少いだらうと思ふ。死ぬ間際の小林は身じろぎもせずに繪を見つめたが、そのやうに繪を見つめる人間は日本に何人ゐるだらうか。

信ずるものは救はれるのではない──小林は、常識や歴史や、その他の色々なものを信じても、救はれなかつただらう。疑ふべきものは餘りに多いからだ。安易にものを信じない人間が徹底的に疑ひ、疑つた擧句信じないではゐられなくなつて信じても、そこには疑義が殘る。小林はそれゆゑものを考へ續けねばならなかつた──私はさう思ふ。小林は己の知性を疑つたのではなからうか。己の知性の限界を確かめたかつたのではなからうか。そしてそれは確かめ得ぬものである。だから小林は死ぬまで己の知性を試したのである。眞劍だつたのである。

小林は若い頃に、女と同棲し、借金に追ひまくられ──まあ要するに世間竝の私生活を送つてゐた。それは確かにさうである。だが、注目すべきは、さう云ふ私生活を小林は批評に持込んでゐないと云ふ事である。私生活に於いて小林が何をやらかしたか──そんな事を調べても、小林の批評は搖がない。

小林の批評は所詮書生論だ、勿論さうだ。机上の空論と言つてもよい。だがその書生論の背後には、小林の眞劍な思考が控へてゐる──私は小林を信ずるから、斷言する。小林は疑ひ得ぬものを己の批評として書いたのだ。己の私生活を棚に上げるもあげないもない、さう云ふレヴェルのところで小林はものを書いてゐたのだ。書生論だらうが空論だらうが、論理的に考へればさう結論せざるを得ないものだし、それは強固なものなのである。小林の思索は眞劍なものであり、ならばそこから引出された結論は信ぜずにはゐられないものなのであり、小林は己の主張を斷言せざるを得ない。そしてそれこそが正しい批評なのである。

小林は大量の誤りをおかしたが、それは偉大な誤りである。例へばドストエフスキーを論じて小林が犯した誤は、日本人が日本人らしくものを考へれば當然誤るべき誤なのであり、當然誤るべき誤を誤つたのだから小林は偉大なのである。人はただ正しい事を言つたり間違つた事を言はなかつたりすれば偉いのではないのだ。ヴァレリイやランボオの飜譯は、とても飜譯と呼べるやうなものではなく、小林の創作と呼ぶべきものだと云ふのは非難ではなく、賞賛である筈である。少くとも、俺はこいつをかう理解した、と云ふ事がわかる「飜譯」なんて、日本にどれだけあるか。

ランボオは文學なんてものに見切りをつけて、沙漠の隊商の仲間になつた──それは小林の確信なのだ。獨斷だつてよいではないか。人の主張にその人の願望を見て取るのが現代の心理學だ。ならば小林は、文學なんてものを見切つてしまひたかつたのだ。文學なんて下らねえやと小林は斷言してゐるのだ。そんな暴言を吐ける奴が偉くない譯がない。小林秀雄を嗤ふ奴は、小林秀雄と同じくらゐ、深く考へた上でものを言つてゐるのか。私は小林を信ずる。