彼のそれほど多くもない作品は、それらが私小説文學におけるいくつかのすぐれた收穫の一をなすといふやうななまはんかな評價によつて理解されるものではない。僕は嘉村礒多の作品にはじめて私小説といふものの眞象をのぞき見た感を禁じえなかつたが、その意味において彼は私小説を完成し、同時にその完成によつて己が生涯とともにこれを葬るといふ、近代日本の文學史上彼のみにふりあてられた役割をはたしていつたといへよう。