制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2006-12-25
改訂
2012-08-20

福田恆存への言及

青木慧
『タカ派知識人 組織と人脈500人』(1983年11月30日初版第1刷発行・1984年2月5日初版第3刷発行・汐文社・同時代叢書)
阿川弘之
「福田恆存さんと私」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)。「福田恆存さん追悼」の題で『七十の手習ひ』(平成七年・講談社)に再録。
秋山駿
書評 福田恆存著「批評家の手帖」『聲』(1960・夏/第八號・丸善)。再録不明。
芥川比呂志
「父の出生の謎」「文藝春秋」一九五五年十二月號。丸谷才一編『ハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選』(講談社文芸文庫)に再録。
その他にもあり。
安部公房
「国民文学の問題によせて――二つの竹内好批判」(昭和二十七年初出・『安部公房全集』第三巻・平成八年・新潮社)
「E・ヘミングウェイ著・福田恆存訳『老人と海』(『群像』昭和二十八年六月号初出・『安部公房全集』第三巻・平成八年・新潮社)
有田健一
「国語問題に関する若干の着眼点――福田恆存氏『私の国語』教室――」「人文研究」昭和三六年十二月
安西徹雄
「坪内逍遥と福田恆存――日本におけるシェイクスピア理解の一断面」「ソフィア : 西洋文化ならびに東西文化交流の研究」(第十五巻第一号・昭和四十一年 上智大学 - http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/handle/123456789/1104)。『シェイクスピア――書斎と劇場のあいだ――』昭和五十三年・大修館書店。
「『福田シェイクスピア』の遺したもの」『英語青年』(平成七年三月号・研究社)
石川九楊
「福田恆存――膠着の書」『現代作家100人の字』(平成十年・新潮文庫)
石沢秀二
「福田恆存氏――書斎訪問」「新劇」昭和三二年七月号
石本新
「福田恆存論」「思想の科学」昭和三九年十一月号
磯田光一
「逆説的幻想の論理」(福田善之との対談)『戦後思想家論』(昭和四十六年・現代評論社)
「福田恆存論――自由の二元性」『文藝』1967年10月号。『昭和作家論集成』(昭和六十年・新潮社)、『磯田光一著作集』第二卷(1990年・小沢書店) ※岩本真一『超克の思想』p.144
市川浩
『私の國語教室』解説(平成十四年 文春文庫)
入江隆則
「ルサンチマンとの闘い」『産経新聞』(平成六年十一月二十七日)
「ハムレットという鏡」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)
「幻の小林秀雄論」『新潮』(平成十三年四月臨時増刊)
臼井吉見
「展望」欄(「展望」昭和二十五年六月號)「キティ颱風」評。
「時評 演劇 娼婦マヤ」「文學界」昭和二十五年十月號 ※署名は「臼」。孰れにしても「キティ颱風」の時と同じ位に、皆が詰らなさうに演つてゐたのは文學座の將來を期待させて大變力強かつたです。
「国語、国字の問題」『日本語の周辺』(昭和五十一年・毎日新聞社)
内田直也
「批評 戲曲 光る『幽靈やしき』」「演劇」(昭和二十七年一月號・白水社)
江藤淳
「福田恆存の『シェイクスピア』」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)のちに『人と心と言葉』(平成七年・文藝春秋)に収録。
「福田恆存さんのこと」『日本経済新聞』(平成六年十一月二十七日)のちに『人と心と言葉』(平成七年・文藝春秋)に収録。
『全文芸時評』昭和三六年六月のところで、何回かにわたつて国語問題に関連して福田恆存に触れてゐる。
遠藤浩一
「福田恆存と三島由紀夫」「月曜評論」平成十五年一月号より不定期連載
「福田恆存・三島由紀夫の『戦後』」「正論」平成十八年五月号より連載
大岡昇平
「隣人・福田恆存」「三島由紀夫の『休暇』」「日記」「実名小説の書き方」「国語審議会の連中は」『文壇論争術』(昭和三十七年七月五日發行・雪華社)
「芥川龍之介を弁護する」『現代小説作法』(レグルス文庫・昭和四十七年・第三文明社)
大場建治
『シェイクスピアの翻訳』(2009年7月22日・研究社)
大村彦次郎
『荷風 百間 夏彦がいた ――昭和の文人あの日この日』(2010年8月25日・筑摩書房)
岡田俊之輔
「『私の國語教室』書評」『星の時間』第七十三号(平成十一年・昴教育研究所)
大木直太郎
岩田豐雄編『日本現代戲曲集V』(新潮文庫)解説。「堅壘奪取」について書いてゐる。
戲曲鑑賞・4「笑わせない喜劇」「演劇」(昭和二十七年一月號・白水社)同號掲載の「龍を撫でた男」を評してゐる。
大久保典夫
「現代の戯曲作家 福田恆存――『總統いまだ死せず』をめぐって」『國文學 解釋と鑑賞 特集現代の戯曲』(昭和四十六年三月号・至文堂)
大熊信行
「時論要解 渦巻く平和論争」『時事通信日刊時事解説版』(昭和三〇年一月四日号)及び同「清水氏の四つの驚き」(同年同月五日号)。※竹内洋「革新幻想の戦後史」及び深澤成壽をみよ。
大島一彦
「福田恆存著 『私の國語教室』」『寄道 試論と隨想』(平成十一年八月二十日・旺史社)所收。
大竹勝
ドーヴァ・ウイルスン『本当のシェクスピア 思いきった伝記』(1964年6月30日初版・荒地出版社)「訳者あとがき」
太田行蔵
『日本語を愛する人に』(昭和三十一年・三光社)
大西巨人
『大西巨人文撰 第2卷 途上』(みすず書房、平成8年刊)武藤康史との卷末對談にて。大西巨人氏の福田恆存氏への共感
荻久保泰幸
「福田恆存覚書――戦中から戦後へ――」『現代日本文学研究』(平成元年十二月・明治書院)
奥村建男
「福田恆存」『素顔の作家たち』(昭和五十三年・集英社)
「田中千禾夫・福田恆存・木下順二・安部公房」作品解説(昭和四十二年・講談社『日本現代文学全集 第一〇三巻』)
桶谷秀昭
「花田清輝と福田恆存」『昭和文学全集 第二十七巻』月報(平成元年・小学館)
「福田恆存論」『明治の精神 昭和の心』(平成二年・學藝書林)
「占領の延長としての戦後」『天の河うつつの花』(平成九年・発行:北冬舎、発売:王国社)
「近代精神に殉じた人」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)
「福田恒存『現代の悪魔』書評」『増補改訂 芸術の自己革命』(昭和四十五年・国文社)
尾崎宏次
『現代演技の話』(現代教養文庫269)の冒頭で俳優志願の青年が著者の元を訪れた話を紹介し、私は福田恆存の『堅壘奪取』という一幕物の喜劇にそっくりになってきたのを思い出して、笑いだしそうになった。と書いてゐる。
小田島雄志
「日本におけるシェイクスピア上演」『「シンポジウム」英米文学3 現代演劇』(昭和五十年 学生社)「時代に取り残された」もので、「シェイクスピアの人物を、近代人の背丈にしてつじつまを合わせる演出も、その魅力を半減させている」と酷評。
「To be, or not to be...」(1972.2)文芸読本「シェイクスピア」(昭和五十二年五月二十五日)に再録(?)。ハムレットの有名な臺詞の日本語譯について述べた中で言及。
小田村寅二郎
「二十年余の御縁をいただいて」(「新潮」昭和五十八年四月増刊「小林秀雄追悼記念号」)小林秀雄と国民文化研究所の間に繋がりが出來たきつかけが福田の紹介であつた事。その他。
小原元
「福田恆存――その人間観――」『國文學 解釋と鑑賞 特集近代評論の系譜(第四)』(昭和三十六年七月号・至文堂)
開高健
「福田恆存氏への反論――『アメリカを孤立させるな』について――」『饒舌の思想』(昭和四十一年・講談社)
粕谷一希
「レトリックについて――花田清輝と福田恆存」『対比列伝・戦後人物像を再構築する』(昭和五十七年・新潮社)
「反語と逆説」『諸君!』(平成七年一月号・文藝春秋)
「福田恆存の正統と逆説」『戦後思潮 知識人たちの肖像』(昭和五十六年・日本経済新聞社)
加藤典洋
『敗戦後論』(大岡昇平と福田を假名遣の觀點から對比)
兼子昭一郎
レクイエム特別版「"現代の名工"福田恆存の孤独」「正論」1995年2月号。
龜井勝一郎
「私の文學經歴」中の「文藝批評の多樣化」(『現代史の中のひとり』文藝春秋新社)p.102。私とほゞ近い世代として、中村光夫、山本健吉、福田恆存氏等が戰後盛んな活動をはじめた。
「私の文學經歴」中の「精神醫學――人生論の危機――」(『現代史の中のひとり』文藝春秋新社)pp.233-234。たとへば福田恆存氏の平和論を讀んでまづ感じたことは、こんなに「正しい」ことばかり云ふ文化人がゐるなら、おれはひとつ「まちがつたこと」を云つてやれといつたアイロニーであつた。知的デカダンスの構成による抗議であつた。これは福田氏の論文の正當な讀み方ではないが、退屈は感じなかつたのである。あまりに正しいことがくりかへされると、人は讀まなくなるものだ。肯きながら、讀まないでもわかるといつた讀者の復讐ほどおそろしいものはない。
亀井秀雄
『全集・現代文学の発見 第四巻 政治と文学』(昭和四十三年十一月十日第一刷発行・學藝書林)解説。同書には福田「一匹と九十九匹と」を收める。
柄谷行人
「平衡感覚」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)
河上徹太郎
「福田恆存『作家の態度』」『河上徹太郎全集 第六巻』(昭和四十六年・勁草書房)
川村湊
「福田恆存の日本語・時枝誠記の國語」『海を渡った日本語』(平成六年・青土社)
菊地章一
「是正の必要」「文藝」昭和二十四年十月號(河出書房)
岸田國士
「福田恆存君の『キティ颱風』」『現代演劇論(増補版)』(白水社)
北見治一
『回想の文学座』(中公新書・昭和六十二年)
北村総一朗
「故福田先生が愛した朝顔」(「読売新聞」平成十一年七月二十五日)
木村健康
「書評・福田恆存著『建白書』」「自由」昭和四一年十二月号
木本至
「ダカーポ」一九八二年十月二十日號(マガジンハウス)。雜誌「知性」の事を語つた文章で言及あり。三浦つとむ「スターリンは如何に誤っていたか」、福田恆存「国語改良論に再考をうながす」のような論争的論文が話題をまいたことを私は覚えている。『知性 1957-1997 企画集団知性コミュニケーションズの40年』に再録(42ページ)。
桐原徳重
「すりかえられた『かなづかい論』――福田恆存氏は橋本説を祖述していない――」「文学」昭和三七年二月号。「週刊読書人」昭和三十七年二月十二日號「雑誌から」欄で採上げられ、……ここでは橋本進吉博士の説を擁護するだけに終っているが、「言文一致の問題」等の福田氏の見解を究明する一文を他日に期待したいと指摘されてゐる。
金聖鎮
「白鶴のような哲学者」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
金田一春彦
「福田恆存君を偲ぶ」『THIS IS 読売』(平成七年十二月号・読売新聞社)
久米明
「理事長・恆存先生」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
倉橋由美子
「骨だけの文章」週刊朝日編『私の文章修行』(朝日新聞社)所收。こちらで勝手にお手本に採用してゐる文章の書き手としてイニシャルのみ擧げられてゐる中にT・F氏とある。
郡司勝義
『小林秀雄の思ひ出 その世界をめぐつて』(文藝春秋)
呉智英
文藝春秋2004年9月号で「日本を震憾させた57冊」の一冊。福田恒存『平和論にたいする疑間』 呉智英
http://d.hatena.ne.jp/twoineko/20070119
小泉保
『日本語の正書法』(1978年5月1日初版発行・1988年4月1日再販発行・大修館書店) 「第一章 正書法とはなにか」福田氏は傍点部の「過去の正字法たる歴史的かなづかひ」という表現の中に、現代かなづかいの正書法としての適格性に強い不信を投げつけているとみてよい。 p.p.15-16
越部良一
「福田恆存――『絶対者』のまなざし――」『戦後思想史を読む』(峰島旭雄編著・平成九年・北樹出版)
小島信夫
「云わでものこと――『日本分断を批判する』に答える――」「三田文学」昭和四三年三月号
古田島洋介
「「不亦楽乎」の俗解 : 原文を忘れた漢文訓読の危険性」(『明星大学研究紀要』10、2002年)
http://snob.s1.xrea.com/l/20061114.html
E・サイデンステッカー
『日本との50年戦争』(平成六年・朝日新聞社)
「小林秀雄と私」『新潮』(平成十三年四月臨時増刊)。福田恆存先生の話だが、終戦直後、小林先生から助言を受けたことがあるという。著述というつまらない仕事を辞めて美術商をやりなさい、と。
佐伯彰一
「批評家魂のサムライ」『文藝春秋』(平成七年一月号・文藝春秋)
『人間・この劇的なるもの』解説(昭和三十五年・新潮文庫)
「福田恆存」『國文學 解釋と鑑賞』(昭和三十五年二月号「評論家を評論する」)
坂口安吾
「花田清輝論」『新文學』(昭和二十二年新春號「期待する人」欄)福田恒存などという傑れた評論家に就ても一ヶ月前までは名前すら知らなかつた。たまたま、某雜誌の編緝者が彼の原稿を持つてきて、僕にこの原稿の反駁を書けといふ。讀んでみると僕を無茶苦茶にヤツツケている文章なのだ。けれども、腹が立たなかつた。論者の生き方に筋が通つてゐるのだから。それに僕は人にヤツツケられて腹を立てることは少い。……
坂本多加雄
「『二元論』の逆説」『20世紀の日本11 知識人』(平成八年・読売新聞社)
向坂隆一郎
「遺稿 向坂隆一郎手記」『回想の向坂隆一郎』(昭和五九年十二月・向坂隆一郎追悼集編集会)
佐古純一郎
『文学にあらわれた現代人の不安と苦悩』(昭和三十二年十月一日発行・日本YMCA同盟)
「近代小説の行方」『佐古純一郎著作集第三巻』(昭和三十五年・春秋社)
「文学はやはり自己表現である――『日本文壇を批判する』に答える――」「三田文学」昭和四三年三月号
佐々木基一
「知識人の知識人論」『群像』(昭和三十四年四月特大号)
佐々木奎文
『我が皇國史觀』(昭和五十八年八月十一日發行・曉書房)―― p.11「紀元節復活のために」、p.442「国語と文化」。
沢田允茂
「『言葉の昨日に関する文学的考察』に関する考察――福田恆存著『批評家の手帖』について――」「三田文学」昭和三五年七月号
三角帽子
「福田恆存のあいまいさ」『批評 ‘五八〜‘七〇文学的決算』のなかの「付録・メタフィジックの批評の旗の下に」(昭和四十五年・番町書房)
塩野七生
「福田先生のこと」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
篠田一士
「福田恆存『批評家の手帳』――文学の貧困を諭告」『昭和の名著 教養のための百選』(昭和三九年六月・弘文堂)
柴田錬三郎
「福田氏に反論する――『日本分断を批判する』に答える――」「三田文学」昭和四三年三月号
清水幾太郎
「誤まれる平和論」『知性』(昭和三十年四月号)
『わが人生の断片』(「諸君!」連載・單行本は文藝春秋より昭和五十年刊・文春文庫版は昭和六十年十月刊) 時々名前が出て來る。
上丸洋一
『『諸君!』『正論』の研究――保守言論はどう変容してきたか』(2011年6月29日・岩波書店)
神西清
『龍を撫でた男』解説(昭和二十七年・池田書店)
「演戯の人・福田恆存」『俳優座第二十四回公演 現代の英雄パンフレット』(昭和二十七年・三越芸能部編集)
菅井幸雄
「福田恆存論」『リアリズム演劇論』(昭和四十一年・未来社)
杉森久英
『私の国語教室』解説(昭和三十六年・新潮文庫)
杉山つとむ
『日本語再発見』(昭和三十五年・現代教養文庫)。「倉石・福田両氏の論争」「福田恆存氏の考え」「福田恆存氏の大きなあやまり」
杉山誠
「演劇書紹介 福田恆存『劇場への招待』」『新劇』50(昭和三十三年二月號・白水社)
鈴木邦男
『行動派のための読書術――よりよい<知的生活>のために――』(1980年3月20日初版発行・1985年5月10日三版発行・長崎出版)p.110
瀬戸内寂聴
「『伸子』と駄菓子」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
「伸子と百合子」『ちくま』(平成九年一月号・筑摩書房の広報誌)
瀬沼茂樹
「戰後の文學者と社會」『群像』()昭和四十年新年特大號)
高井有一
「国語問題と『キティ颱風』」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)
高澤秀次
「論争家 福田恆存の戦い」『諸君!』(平成七年二月号・文藝春秋)
「戦後知識人の系譜 福田恆存」『発言者』(平成七年二、三、四月号)
高橋英夫
「福田恆存――批評における正義」『中央公論』(1969年4月号)。『批評の精神』(昭和四十五年・中公叢書) ※岩本真一『超克の思想』p.144
高橋康雄
「福田恆存論――アイロニーにみる自我の連続性」中島誠編『現代思想家論』(昭和四十七年・第三文明社)
高見順
「藝術とはなにか」(「展望」昭和二十五年十月號)書評。
竹内洋
「革新幻想の戦後史(15)」(「諸君!」2009年2月号掲載 「平和論の進め方についての疑問」は”剽窃”か)及び同(16)(「諸君!」2009年3月号掲載)
「今に問う言葉」(讀賣新聞 2010年6月21日 「教育改革に関し首相に訴ふ」の言葉を紹介してゐる)。
竹越和夫
舞臺評 ――文學座――「『武藏野夫人』舞臺化の功罪」「悲劇喜劇」(1951年7月號)
竹田青嗣
「福田恆存 人間・この劇的なるもの」『流動 特集戦後思想の44人』(昭和五十六年・流動出版)
田中克彦
「『宗主国家語』をこえて」『国家語をこえて――国際化のなかの日本語』(平成元年・筑摩書房)
田中美知太郎
「最悪にして最上の時代」『時代と私』(昭和四十六年・文藝春秋)
谷崎昭男
「福田恆存」『ポリタイア』1969年冬季号 ※岩本真一『超克の思想』p.159
「ツルのように」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
谷沢永一
「福田恆存」『人間通でなければ生きられない』(平成八年・PHP研究所)
「文藝評論畏るべし(『作家の態度』について)」『雑書放蕩記』(平成八年・新潮社)
「福田恆存 戦後精神史への痛烈な批判」『達人の智恵』(平成七年・PHP研究所)
「現代文学史把握の諸形態 小田切秀雄 福田恆存 伊藤整 平野謙」『日本近代文学研叢 第五巻 書誌学的思考』(平成八年・和泉書院)
谷沢永一・向井敏共著『読書巷談 縦横無尽』(昭和五十五年・日本経済新聞社)。173頁「ローレンスについて」にて言及。
「村八分」。週刊朝日(昭和五十五年十二月二十六日)。『あぶくだま遊戯』(1987年6月20日第1刷・文藝春秋)所收。
「常識切る辛口コラム」。讀賣新聞夕刊(大阪版・昭和五十五年十月九日)。『あぶくだま遊戯』(1987年6月20日第1刷・文藝春秋)所收。
「盗用以下」。日本経済新聞(夕刊・昭和五十六年四月二十一日)。『あぶくだま遊戯』(1987年6月20日第1刷・文藝春秋)所收。
「「常用漢字表」のベクトル」。プレジデント(昭和五十六年六月一日)。『あぶくだま遊戯』(1987年6月20日第1刷・文藝春秋)所收。
檀一雄
「青春放浪」『讀賣新聞』1961年1月22日-12月4日。『太宰と安吾』(1990年・沖積舎)に再録。 ※岩本真一『超克の思想』p.158
千谷道雄
「秀十郎拾遺」。『秀十郎夜話』(一九九四年九月十五日第一刷発行・冨山房百科文庫46・冨山房)所收。
陳鵬仁
「福田恆存先生の思い出」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
辻村明
「偽善との戦い――孤高の精神 福田恆存――」『自分と戦った人々』(平成五年・高木書房)
坪内祐三
「『保守反動』と呼ばれた正論家」写真共『諸君!』(平成八年七月号・文藝春秋)
「一九九七年の福田恆存」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
「福田氏の残した『遺言』とは?」『古くさいぞ私は』(平成十二年・晶文社)
「生き方としての保守と主義としての保守――福田恆存と江藤淳」『後ろ向きで前へ進む』(平成十四年・晶文社。初出は、『諸君!』平成十一年十月号)
「一九八二年の『福田恆存論』」(同右。初出は、昭和五十七年度早稲田大学第一文学部卒業論文)
「私小説とは何か」(「新しい福田恆存論を語る必要を感じてゐる」旨の発言が最後にある。同右。初出は、『文學界』平成十三年十月号)
『福田恆存文藝論集』解説(平成十六年五月・講談社文藝文庫)
寺田透
「福田恆存『現代作家』」(「読売新聞」昭和二十四年三月十六日初出・『寺田透・評論I』昭和四十四年・思潮社)
十返肇
「福田恒存論」(「近代文學」昭和二十八年四月號)
戸板康二
「觀客・劇團・俳優」、「演劇」(昭和二十六年七月號・白水社)「演劇時評」欄に掲載。文學座における俳優間の力關係が垣間見え、同時にその關係の變化も見られる芝居だつた、「武藏野夫人」は、劇團のひとつの轉機になりはしないかとさへ思はれる、と述べてゐる。
『わが人物手帖』(昭和三十七年・白鳳社)
「わが交友記(下)」『回想の戦中戦後』(昭和五十四年・青蛙房)
東郷克美
「『太宰と芥川』解説」(近代作家研究叢書38 昭和五十九年・日本図書センター)
時尾五郎
「『キティ颱風』をめぐつて」(「劇作」29 昭和二十四年四月號「バルコン」欄)だが『キティ颱風』の觀客が家に歸つてマルクスを開き、キエルケゴールを讀みサルトルに接して、あの劇場での笑ひが耳底に邪魔して、どうしても讀みとれなかつたといふ事が果してあつたかどうか?『キティ颱風』はまさしく一晩の劇場限りの笑ひの嵐に終つたのであり、ひたすらに求めて止まぬ若い魂を搖すぶる芝居ではなかつたのだ。云々。
富岡幸一郎
「『近代の超克』とポストモダン――福田恆存と現在」『諸君!』(1988年1月号〈特集 戦後派世代が読む福田恆存〉)。『批評と現在』(平成三年・構想社)
「福田恆存と戦後 日本という『家』 アメリカニズムと文学」『発言者』(平成七年一月号)
「戦後日本人の悲喜劇 福田恆存の戯曲を通して」『言葉 言葉 言葉』(平成十一年・秀明出版会)
中島健蔵
「一人の平和主義者から福田恆存へ」『中央公論』(昭和三十年三月号)
中島岳志
「空想書店」(2012年8月5日読売新聞)。『人間・この劇的なるもの』をとりあげてこの本は、私の人生において決定的だった。と述べてゐる。
中田耕治
「田中千禾夫・福田恆存・木下順二・安部公房入門」(昭和四十二年・講談社『日本現代文学全集 第一〇三巻』)
中野重治(なかの・しげはる)
「現代日本の知的運命」について「いいことだ」「文學界」(昭和二十七年二月號)同誌一月號の座談會「現代日本の知的運命」を讀んだ感想。「天皇制の問題」に關して福田の發言、政治制度としての天皇制は、勿論否定しますけど、象徴としても、天皇を國民道徳の象徴として見るというような氣持も全然ない。僕自身の生活感情から言いますとね、天皇に對して全然なんにもないですね(中略)天皇陛下に對して何んにも感じてない。そういう人も相當あるんじゃないかな。を引いて、ちよつと考えてくれるといいと思うと述べ、ついでに、『部落研究』で被壓迫部落に對する差別問題について人々の答えを求めた時に福田が自分はそんなことを知らぬ、また考えることもできぬ、という意味のことを書いていた事について觸れ、無責任だと非難してゐる。
中野翠
「福田恆存 大きくて懐かしい思索の森」『会いたかった人』(平成八年・徳間書店)
「不幸にたえる術としての幸福論」『私の幸福論』解説(平成十年・ちくま文庫)
『ムテッポー文学館』
p331〜p334福田全集について(正味2ページちょっと)
p450羽仁五郎批判の「一読三歎〜」に言及(6行ほど)
『ふとどき文学館』
p149『日本への遺言』に言及(12行)
p212(小さく3行)
p214『日本への遺言』半ページ
p242〜p246『日本への遺言』
p345『日本を思ふ』(「厳選文庫50冊」の一つ)
『あやしい本棚』は文庫解説(『私の幸福論』解説)を再録
『あんまりな』p260「風貌のいい男80人」福田の言葉を引用(3行ほど)
http://d.hatena.ne.jp/twoineko/20070119
「死ぬまでに絶対読みたい本大アンケート読書家52人生涯の一冊」(文藝春秋 2008年12月號)で『福田恆存全集』を擧げてゐる。(文藝春秋|雑誌|文藝春秋|081201)
中野好夫
「昭和二十二年の文學」その二『新文學』(昭和二十二年十二月號)。『昭和二十三年度文藝評論年鑑』に再録。
中橋一夫
「福田恆存著『現代作家論』『白く塗りたる墓』」(「書評」昭和二十四年四月號)
中村眞一郎
T.S.エリオット・福田恆存譯『カクテル・パーティ』書評。「演劇」(昭和二十六年六月號=創刊號・白水社)「演劇圖書館」欄。詩劇である原作を散文譯にしてしまつてゐるので、中村氏は肩透かしを食つたやうに感じた模樣。
「觀劇旅行のあとで……」「演劇」(昭和二十六年八月號・白水社)『キティ颱風』の一人物は、岩波文庫を賣り拂つて、行動家に轉向すると云つて、僕らをふきださせたが云々。
中村秀吉
「福田恆存氏における論理の破綻――論理学の常識に還れ――」『中央公論』(昭和三十六年六月号)
中村光夫
「福田恆存」『自分で考える』(昭和三十二年・新潮社)
「散文藝術の一面」(『私の国語教室』について)『百年を単位にして』(昭和四十一年・芳賀書店)
「『マクベス』の妖婆」(「前衛藝術否定」について)(同右)
中村保男
「福田恆存」『言論は日本を動かす 第2巻』(昭和六十一年・講談社)
「福田恆存先生を惜しむ」『英語青年』(平成七年三月号・研究社)
「追想・福田恆存」『三省堂ぶっくれっと』(平成十二年〜・三省堂)これに加筆して『絶對の探求 福田恆存の軌跡』(平成十五年・麗澤大学出版会)
中村雄二郎
「福田恆存論の試み」『日本』(1965年1月号)。『日本の思想界――自己認識のために』(1969年・勁草書房)に再録。 ※岩本真一『超克の思想』p.144
「福田恆存氏と社会科学論」(対談とエッセイ)『日本文化の焦点と盲点』(昭和三十九年・河出書房新社)
那須國男
「福田恆存氏はどこにいる?――自由はわれらすべてのものなるに」「近代文学」昭和三二年一月号
難波田紀夫
「福田恆存とシェイクスピア――せりふ劇を通しての近代の確立と超克」(安西徹雄編『日本のシェイクスピア一〇〇年』荒竹出版・平成元年)
西義之
「福田恆存という『存在』――個人的な、余りに個人的な回想」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
西尾幹二
「福田恆存」『悲劇人の姿勢』(昭和四十六年・新潮社)
「福田恆存」『知恵の凋落』(平成元年・福武書店)
「福田恆存・人と作品」『昭和文学全集 第二十七巻』解説(平成元年。小学館)
「現実を動かした強靭な精神」『朝日新聞』(平成六年十一月二十二日夕刊)『自由の恐怖』(平成七年・文藝春秋)に収録
回想・戦後五十年「懐疑と侮蔑のはざまで 戦後潮流と個人的体験」「正論」1995年2月号掲載。一方、雑誌「聲」を出し始めた福田恆存、中村光夫、吉田健一、三島由紀夫の面々に、加えて小林秀雄、河上徹太郎、山本健吉らの批評家の仕事に敬意と関心を抱き始めた。云々。
『自由と宿命・西尾幹二との対話』(平成十三年・洋泉新書・池田俊二氏と、三島事件によって、福田恆存が精彩を欠くやうになつたと発言)
「林健太郎先生のご逝去」『国家と謝罪』(第1刷 2007年7月31日・徳間書店)所收。初出は「西尾幹二のインターネット日録
「高井有一さんの福田恆存論」『国家と謝罪』(第1刷 2007年7月31日・徳間書店)所收。初出は「西尾幹二のインターネット日録
西部邁
「福田恆存論」『諸君!』1985年4月号。『幻像の保守へ』(昭和六十年・文藝春秋)に再録。「福田恆存論 保守の真髄をもとめて」 ※岩本真一『超克の思想』p.144
「福田恆存氏の逝去を悼む」『産経新聞』(平成六年十一月二十一日)
「福田恆存――その構えはつねに物事の『論じ方』を正すことにあった」『学問』(平成十六年四月・講談社)
野原一夫
「太宰治と聖書」『新潮』(平成九年十二月号)太宰治と福田恆存との対談を企画したが、太宰が断ったとの記載がある。
早川清
「悲劇喜劇」一九七七年二月号編集後記。『編集後記 悲劇喜劇1966-1993』(一九九四年七月一日発行・早川書房)に再録。
林健太郎
「『戦後』の意味」『自由』(昭和四十一年八月号)/関嘉彦・林健太郎『戦後日本の思想と政治』(昭和四十六年三月十五日第一刷発行・自由社)に再録。
「教育と文化的伝統」講演「歴史と教育」(昭和五十二年十月二十八日・十和田市)。『歴史の精神』(昭和五三年七月二〇日第一刷発行・実業之日本社)所收。
「『浅薄さ』に抗した思想的営み」『毎日新聞』(平成六年十一月二十二日夕刊)
「霊に捧ぐ」『諸君!』(平成七年一月号・文藝春秋)
「弔辞」『文學界』追悼福田恆存(平成七年二月新春特別号)
林達夫
「現代日本の知的運命」について「妄人妄語」「文學界」(昭和二十七年二月號)同誌一月號の座談會「現代日本の知的運命」を讀んだ感想。私はあのフォーラムを、期せずして曾ての「世界」で企てられた平和の鬪士たちのキャバルケイドに較べてみる衝動を禁じ得ませんでした。あの興行の善意と眞摯とを誰しも疑ふものはないでせう。しかしあそこの立役者たる「啓蒙家」たち――とは福田恆存氏の呼び名で、私も實はその名で呼んで貰つて一向差支へない一人でありますが――の演技には、隨分氣になるものがありました。
幡掛正浩
「皇家第一の重事――その意味と重さ――」神社本庁編『第六十回神宮式年遷宮記念論文集 神國の理想』(昭和四十八年十二月一日発行・神社本庁)
久間十義
「小林秀雄観変転」『新潮』(平成十三年四月臨時増刊)。福田恆存が三百人劇場に(小林)氏を招いて行った講演会を聞きにいったのである。
檜山久雄
「福田恆存と竹内好の場合――戦後ナショナリズム論の二つの系譜――」「現代の眼」昭和四一年五月号
平田次三郎
「不毛の対話――福田恆存と矢内原伊作の対話――」『人間』(昭和二十四年五月号・鎌倉文庫)
平野謙
「追悼」『知性』(昭和三十年四月號)「坂口安吾の死を悼む」。戦後、ジャーナリズムが復活してまもなく雑誌{新小説」の主催にかかる大衆文学の座談会があった。どういうわけだか、私と福田恒存とが司会者にえらばれ、江戸川乱歩という高名な文学者にもはじめて逢った。等々。
深澤成壽
「『諸君!』『文藝春秋』がをかしい」(「國民新聞」二千九年一・二月新春合併號)及び「福田恆存『剽窃疑惑』の怪」『WiLL』2009年4月号(ワック出版)。竹内洋「革新幻想の戦後史(15)」(「諸君!」2009年2月号掲載 「平和論の進め方についての疑問」』は”剽窃”か)及び同(16)に對する批判。
福田和也
「『戦後』の『批評』家」『諸君!』(平成七年一月号・文藝春秋)
「『見えぬ目』求めた批評精神」『読売新聞』(平成六年十一月二十八日)
福田逸
「父の肖像 福田恆存」『かまくら春秋』(平成十四年十月号・十一月号)
福原麟太郎
「うしろ姿」「表現の深淺」『文學界』(昭和三三年七月號、八月號)『福原麟太郎隨想全集2』(昭和五七年)福田恆存の『ホレイショー日記』について感想が示される。
堀米庸三
「自決と殉教――三島由紀夫とトマス・ベケット――」『潮』(昭和四十六年二月号)
本多秋五
「実生活と藝術の混同を斥ける福田恆存」『物語戦後文学史』(1960年・新潮社/1992年・岩波書店) ※岩本真一『超克の思想』p.169
前田純敬
「批評 戲曲 讀後印象」「演劇」(昭和二十七年二月號・白水社)「龍を撫でた男」は、正直なところその意圖がはなはだ分りにくい戲曲でした。大木直太郎の「鑑賞」を讀んで、福田恆存のこの戲曲を直ちに理解した人があれば、お眼にかかりたい位です。云々。
松坂忠則
『國語國字論爭 復古主義への反論』(1962年1月25日発行・新興出版社)
松原正
「福田恆存氏の逝去を悼む」『産経新聞』(平成六年十一月二十一日)
『人間・この劇的なるもの』解説(昭和五十年・中公文庫)
『藝術とは何か』解説(昭和五十二年・中公文庫)
松本克平
「福田さん」『俳優座第二十四回公演 現代の英雄パンフレット』(昭和二十七年・三越芸能部編集)
松本健一
「孤絶したリベラルの清々しさ」『産経新聞』(平成六年十一月二十七日)
「批評する精神 福田恆存の反時代性」「正論」1995年2月号巻頭言
丸谷才一
「福田恆存『私の国語教室』」『近代日本の百冊を選ぶ』(平成六年・講談社)
三島由紀夫
「角川書店『昭和文学全集』解説」『三島由紀夫評論全集』(昭和四十一年・新潮社)
「福田恆存氏の顔」『三島由紀夫評論全集』(昭和四十一年・新潮社))
「『有間皇子』について」(同右)
「新潮文庫『龍を撫でた男』解説」(昭和三十年・新潮社)
「福田恆存――今日の人」『演劇グラフ』(昭和二十八年)
水村美苗
『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』(筑摩書房) 第七章
宮内豊
「批評の冒険V 一匹と九九匹と――福田恆存をめぐって」「三田文学」昭和五十年八月号
宮本顕治
「その正体について」『宮本顕治文芸評論選集 第二巻』(昭和四十一年・新日本出版社)初出は、『人間』(昭和二十六年六月号)
宮本百合子
「下じきの問題――こんにちの文學への疑ひ――」「人間」昭和二十六年一月號
人間性・政治・文学(1)
村松剛
「福田恆存論」「三田文学」昭和二九年五月号
森毅
「二大スター、花田清輝と福田恆存」他『ゆきあたりばったり文学談義』(平成五年・日本文芸社/平成九年・ハルキ文庫)
森茉莉
「英国背広の福田恆存 私の人物スケッチ(5)」『私の美男子論』(平成七年四月・筑摩書房)
「ほんものの贅澤」日本語とフランス語。『森茉莉・エッセーII』(昭和五十七年四月・新潮社)。『私の美の世界』(昭和五十九年十二月二十日發行・新潮文庫)に再録。
森嶋通夫
「福田氏に答える」『文藝春秋』(昭和五十七年三月特別号)
『日本の選択』(平成七年・岩波書店「同時代ライブラリー」)
諸井薫
「『福田恆存全集』」『朝日新聞』コラム「味読熟読」(昭和六二年十一月三十日朝刊)
矢代静一
「福田さんと芝居」『新潮』追悼福田恆存(平成七年二月号・新潮社)
安岡章太郎
「干渉と愛撫のためのライフル銃について『日本分断を批判する』に答える――」
「三田文学」昭和四三年三月号
矢留一太郎
「『主人持ち』の反共・反動『理論』――福田恆存批判」「前衛」昭和四十年十一月号
矢内原伊作
「福田恆存の芸術観――『藝術とはないか』――」『実存主義の文学』(昭和三十年四月・河出新書)
矢野誠一
『戸板康二の歳月』(平成八年・文藝春秋)
山下久樹
「福田恆存の戦後」『解釈と批評はどこで出会うか』(平成十五年十二月・砂子屋書房)
山田博光
「福田恆存」『國文學 解釋と鑑賞 特集戰後批評の展望』(昭和四十七年五月号・至文堂)
山本健吉
『現代文學覺え書』(「新潮」昭和31年4月〜12月連載/昭和32年2月28日發行・新潮社)
吉田健一
「知識人批判」『日本について』(昭和三十二年・講談社)
「万能選手・福田恆存」(昭和三十年八月「別冊文藝春秋」第四十七号掲載)。「福田恆存―平衡感覚の万能選手―」の題で十返肇編『作家の肖像 人・作品・生活』(昭和三十一年一月・近代生活社)に収録。「福田恆存」の題で『三文文士』(平成三年・講談社文藝文庫)に收録されてゐる。
『西欧作家論』解説(昭和二十六年・創元文庫)
ヨゼフ・ロゲンドルフ
「伝説「ジェズイット考」」『イエズス會』(昭和33年12月3日発行・エンデルレ書店)
鷲田小彌太
「『人間不在の防衛論議』福田恆存 『体制派』批判の国防存在根拠」『書評の同時代史』(昭和五十七年・三一書房)
「『福田恆存全集』」『書物の戦場』(平成元年・三一書房)
「二十一世紀を拓く思考――戦後思想の目録 2デモクラシー――大西巨人と福田恆存」『日本資本主義の生命力』(平成五年・青弓社)
和田正美
「或る文學者の覺書 : 福田恆存素描」『明星大学研究紀要 【日本文化学部・言語文化学科】』第一號 一九九三年 ※CiNii 論文 - 或る文學者の覺書 : 福田恆存素描
「文章の作法に關する一つの考察」『明星大学研究紀要 【日本文化学部・言語文化学科】』第七號 一九九九年 ※CiNii 論文 - 文章の作法に關する一つの考察
渡部晋太郎
『国語国字の根本問題』(平成七年・新風書房)

對談

小林秀雄・坂口安吾「伝統と反逆」
「作品」昭和二十三年八月・第一號(創藝社)
『小林秀雄對話録』(昭和二十四年二月十五日發行・創藝社)に再録。
『小林秀雄対話集』(昭和四一年一月二〇日発行・講談社)に再録。
小林秀雄・正宗白鳥「大作家論」
「光」昭和二十三年十一月號
『小林秀雄對話録』(昭和二十四年二月十五日發行・創藝社)に再録。
『小林秀雄対話集』(昭和四一年一月二〇日発行・講談社)に再録。
内村直也・田村秋子・千田是也・杉村春子・菅原卓「座談・『直言』に答う」
「演劇」昭和二十六年八月號(白水社)。「二重座談会」で「劇壇に直言す」とセット。
三島由紀夫・芥川比呂志「演劇と文學」
「文學界」昭和二十七年二月號(文藝春秋新社)。三島:……たとえば、福田恆存さんは、いつも、現代は喜劇だと言うけれども、現代には悲劇の可能性は全然ないかね。
芥川比呂志・菅原卓・杉山誠「創作劇を待望す」
「新劇」18 昭和三十年九月號(白水社)。昭和三十年六月十六日にラジオ東京より放送された座談會の筆記。前週に放送された座談會「新劇をなぜ書くか」を受けたもの。
小場瀬卓三・茨木憲・菅井幸夫・高山図南雄「座談会 混迷するドラマ」
「テアトロ」No.173 昭和三十三年二月号。歌舞伎と新劇の間の俳優の交流に關する話の中で福田「明暗」に言及あり。また、當時問題となつてゐた「ドラマトゥルギー」の問題に關して論ずる中で、社會の矛盾・對立を現代の演劇は扱ふべきだと主張する小場瀬が福田や山本健吉が演劇の起源は祭祀だということを強調している事に觸れ、それでは新しい演劇を作らうとして歌舞伎の世界に歸つてしまふのではないかと危惧を表明。
清水幾太郎・川上源太郎「二十世紀研究所」
季刊社会思想 1-3 '71。研究所員の名前で出て來るのみ。
今東光・中河與一・堀口大學・前川佐美雄・保田與重郎・池田榮三郎・司會:林房雄「大和路の萬葉歌碑」
「浪漫」昭和四十八年一月號。櫻井市の萬葉歌碑。その歌は萬葉集のみならず記紀や懐風藻からも選ばれてゐる。保田:……記紀も入れよと言つたのは、川端(康成)さんです。……。林:福田恆存君は、懐風藻でしたね。保田:そうです。どうしても詩を併記したかったと言っていました。以前から大津皇子が好きだったそうです。 (桜井市観光情報サイト | 万葉歌碑めぐり |金烏臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向)
三浦雅士・蓮實重彦・柄谷行人「昭和批評の問題 一九六五-一九八九」
柄谷行人編『近代日本の批評・昭和編(下)』(1991年・福武書店) ※岩本真一『超克の思想』p.144
谷沢永一・山野博史・加地伸行「支点の人 福田恆存」
『三酔人書国悠遊』(平成五年・潮出版社)。
谷沢永一・渡部昇一『人生は論語に窮まる』
『人生は論語に窮まる』(1997年3月・PHP研究所)。
谷沢永一・中川八洋「福田恆存『平和論にたいする疑問』――先見力の正統派知識人」
対談集『「名著」の解読学』第三章(平成十年・徳間書店)。
樋口覚・奥泉光・井上ひさし・小森陽一「大岡昇平――戦後派、死との全面戦争――」
『すばる』平成十二年七月号。福田恆存の「某月某日」について、批判的に論及してゐる。
丸谷才一・渡辺保「芥川の『ハムレット』を観ましたか」
芥川比呂志・丸谷才一編『ハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選』(二〇〇七年一月一〇日發行・講談社文芸文庫)。解説的対談。

福田論・單行本

井尻千男
『劇的なる精神 福田恆存』(平成六年・日本教文社)
金子光彦
『福田恆存論』(1996年5月・近代文藝社)
土屋道雄
『福田恆存と戦後の時代――保守の精神とは何か』(平成元年・日本教文社)
『小原台の青春――防衛大学生の日記』(平成九年・高木書房)後半は、福田恆存との出会ひの頃のことが書かれてゐる。
『新たなる出発――我が半生』(平成十八年・笠原書房)
中村保男
『絶對の探求 福田恆存の軌跡』(平成十五年・麗澤大学出版会)
前田嘉則
『文學の救ひ ―福田恆存の言説と行為と―』(平成十一年四月八日 第一刷発行・郁朋社)
岩本真一
『超克の思想』(二〇〇八年一二月二五日第一版第一刷発行・水声社)
遠藤浩一
『福田恆存と三島由紀夫 1945-1970』(2010年5月・麗澤大学出版会)
持丸博 佐藤松男
『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(二〇一〇年一〇月三〇日 第一刷発行・文藝春秋)
浜崎洋介
『福田恆存 思想の<かたち> ― イロニー・演戯・言葉』(2011/11/26 新曜社)
「戦後民主主義×福田恆存 「常識」に立つ覚悟 必要」(平成二十四年八月二十日 読売新聞朝刊「時事×思想」)

新聞

朝日新聞
「文化人と政治意識」(昭和三十年二月一日) もっとも、文化人の間にも二色あることが、近ごろ特にはっきりした。評論家福田恆存氏が「平和論への疑問」という論文を発表し、その論文をめぐって意見が二つに分れて以来のことである。福田氏はその論文で、いわゆる平和論を「飛躍的な公式主義」ときめつけた。福田氏の意見には反対者も多いが、支持する人も、それにおとらないようだ。しかし賛否いずれにしろ、論争を通じてみられることは、文化人が政治に対して関心を強く持っているのを物語っていることだろう。云々。
「『個』と戦後(8) 福田恆存」(平成七年八月十日夕刊)
産経新聞
「"嫉妬"と言論」「斜断機」(平成九年四月二十六日)
毎日新聞
「討論・現代知識人の役割――福田恆存氏の論文をめぐって」(昭和四十三年三月、七回にわたって掲載された座談會)
東京新聞
佐度勇「サルの尻笑い」(昭和三十年十一月二十七日・匿名批評)新聞がすぐ文化人に「御意見伺ひ」するのを批判した福田を「文化人批判をする超文化人」等と嘲つたもの。その異常な論法は「文學界」三十年一月號の赤木赤吉「名文・珍文・惡文」(匿名欄)で採上げられ批判された。
讀賣新聞
検証 日露戦争(2004年1月28日〜2005年5月27日連載)。「『無能』論という神話――乃木希典」の回にて、司馬作品の圧倒的な存在感の前で一般にはさほど注目されなかったとはいえ、乃木を擁護する反論は、実はこれまでにもしばしば行われてきたのである。/その嚆矢は、戦後を代表する保守派文化人として知られた評論家の福田恆存氏が「坂の上の雲」の新聞連載が終わった翌年の一九七三年に刊行した『言論の自由といふ事』(新潮社)。/旅順攻略戦にかかわる史実をたどりながら、福田氏は乃木無能論に逐一反論し、さらには火を吐くような苛烈な批判を司馬氏にぶつける。として「乃木将軍と旅順攻略戦」が紹介・引用されてゐる。
不明
「著者を描く 福田恆存 劇作・戯曲に示す本領 アブクのように消えた平和論」初出紙等不明。署名は(文)福田恆存の「平和論の進め方についての疑問」は昨年十二月号の中央公論に出て騒がれたが、さきごろ中島健蔵にとどめをさされたかっこうでアブクのように消えた。当りまえのようなものだが、これをたちまち一冊にまとめているところなど、なかなか抜け目がない。平和についての発言を、才子の清水幾太郎などが代表していたから、エサにされただけの話で、三好十郎の絶対平和論や、小田切秀雄の協力平和論などがもっと前面に出ていたならば、いかに福田といえども、あんな手軽な議論でタバコはふかせなかった。云々。

小説

遠藤周作
『深い河』五十歳ほどの「美津子」という登場人物に二度にわたって福田の『ホレイショー日記』の一節を讀ませる。遠藤がどういう意図で福田を引用したかは定かではない。が、その理解はやはり遠藤自身の「誤讀」ではなかったか。登場人物、美津子の誤讀ではない。遠藤の死後出版された創作日記によれば土屋『福田恆存と戰後の時代』からの孫引きであるとの事(前田『文學の救ひ』百八十三〜百八十四ページ)。

その他

「公開質問」欄
「群像」昭和二十五年九月號。十八歳の學生から寄せられた椎名麟三の文學に關する質問。福田の囘答も掲載されてゐる。福田論でも何でもないが、學生が椎名麟三のことを福田恆存に訊ねた事自體に注目して茲で紹介しておく。

出典

基本的に前田氏の記述をそのまゝ轉載。但し、オリジナルのデータが非道い状態で提出されてゐる爲、當方で並べ直し、整理した。

なほ、當方で見附けたデータを追加してゐる。

その後、鳩笛雑記帳を參照した。

また、岩本真一『超克の思想』の註釋を參照した。大變な勞作であり、資料調べだけでも相當の苦勞があつたものと想像される。同書の記述に據つた項目は「※岩本真一『超克の思想』……」と明記した。

外部リンク

福田恆存氏のゐる風景
福田さんに言及した文章を紹介してゐる。