……(昭和)二十三年には戲曲「最後の切札」を書き、椎名麟三、船山馨の二人が編緝する雜誌「次元」に一擧百五十枚を掲載し、第四號五十六頁をまるまるこの作品ひとつで埋めてくれたのを覺えてゐる。
一擧百五十枚と書いてゐるが、雜誌には
一八〇枚と原稿の枚數が記載されてゐた。
「次元」昭和二十三年九月號卷末の「編緝ノート」に編集者が以下のやうに記してゐる。
今月は福田恒存氏の戲曲にあはせて新人として茂原二郎氏の評論を掲載する豫定で、その手筈をしてあつたのだが、編輯時務の手違ひで未掲載となりページ數も少し減つてしまつた。もともとこの雜誌の最大の關心事は、新しい世代の發掘であり、われわれの希求は、その新しい世代との提携にあるのだから、茂原氏の原稿が組置きになつたのは、甚だ遺憾な手落ちである。旅先きから戻つて、初めてそのことを知つたが、いまからではたうてい間にあはない。同氏にもお詫びを申上げる。
……。
福田恒存氏の作品については、編緝者が蛇足的な饒舌を弄することはないであらう。ただ、これはたんに戲曲と云ふだけでなく、ドラマの形式によつて展開された福田氏の評論でもあることを、ことはつて置くにとどめる。いづれにもせよ、この作品は最近に於ける大きな問題となるであらう。
……。
單行本化について觸れて、福田氏は以下のやうに書いてゐる。
……意外なことにそれを讀んでひどく感心してくれたのが、戰爭中「行軍」といふ長篇小説を書いて文學報國會賞を貰つた豐田三郎である。文學報國會賞を貰つたといつても、「文學をもつて祖國に報ずる」といふ便乘的な小説ではなく、如何にも彼の人柄がよく出てゐる温厚な作品で、私もそれは高く評價してゐる。その豐田三郎が私の知らぬ間に文潮社といふ出版社から單行本として出版するやう勞を取つてくれたのである。これは大層ありがたいことで、戲曲を一册の本にするといふのは、今ももちろんさうだが、その頃でも他にあまり例のないことであり、彼の好意には深く感謝してゐる。