公開
2007-01-03
改訂
2011-06-16

福田恆存『武藏野夫人』

關聯書籍・掲載誌・刊本

大岡昇平『武藏野夫人』
昭和二十六年一月二十日發行・大日本雄辯會講談社
大岡昇平の原作は、劃期的な戰後小説として當時、評判になつてゐた。刊本でも帶に讀賣新聞社1950年度の文學ベスト・スリーに第一位獲得の問題作青野季吉、伊藤整、龜井勝一郎、神西清、福田恆存、三島由紀夫、中村光夫、本多秋五、山本健吉、小林秀雄、西村孝次、中島健蔵、平野謙、中野好夫、荒正人、その他各氏激賞!文學座公演・映畫化決定作品と謳つてゐる。
「演劇」昭和二十六年六月・創刊號
戲曲「武藏野夫人」は雜誌「演劇」創刊號(發行は白水社)に一擧掲載された(文學座五月公演脚本)。「演劇」は岸田國士等が結成し福田も參加してゐた團體「雲の會」の雜誌。
卷頭に文學座「武藏野夫人」稽古場にてなる寫眞が掲げられてゐる。寫つてゐるのは、福田、大岡のほか、中谷昇、杉村春子、芥川比呂志等出演俳優。キャプションには勉の衣裳(航空服)を着た大岡氏にご注意下さいとある。
戲曲の末尾には大岡の挨拶文「戲曲『武藏野夫人』を讀んで」がある。大岡の書出し福田さん、長々どうも御苦勞さまでした――引揚者への挨拶みたいで恐縮ですが、これは去年僕が小説「武藏野夫人」を書き終つた時、あなたから戴いた御言葉で、それをそつくりお返しするわけですは、「群像」昭和二十五年九月號掲載の福田「『武藏野夫人』論」の書出し長いあひだほんとに御苦勞さまでした――引揚者へのあいさつみたいで恐縮ですが、ぼくの眞意を誤解しないでくださいを受けたもの。
大岡昇平原作・福田恆存脚色『戲曲 武藏野夫人』
昭和二十六年五月二十五日・河出書房・市民文庫
「演劇」創刊號掲載の戲曲と大岡の文章を再録。

評判・評價

雜誌「演劇」の「戲曲時評」

雜誌「演劇」創刊號掲載の福田「武藏野夫人」は、翌月號(昭和二十六年七月號)の「戲曲時評」欄で早速俎上に載せられてゐる。評者は匿名(署名は「N」となつてゐる)。

劇化し難い原作を兎にも角にも芝居として成立させてゐる點は評價出來るとする。一方、人物の造型には良い點も惡い點もあると指摘。最大の缺點は原作の會話をそのまゝ採用してゐる事だと述べ、怠慢と言つて強く非難してゐる。

導入部と終盤は拙いと評價されてゐる。特に結末の部分が惡いとされる。その理由は、原作で描かれてゐる人物間の關係について戲曲で描寫が一部省略され、その爲、人物の動機が原作と違つて淺薄にしか見えなくなつてゐる、と云ふもの。

各場面の構成は二幕と三幕が成功しているが、第一幕は無駄が多く必要なものが缺け、第四幕はあくどすぎる。自殺者の枕頭でのあのいざこざはなんとしてもどぎつい。しかも結局、道子自殺の動機は棄てられた女の哀しみであるような錯覺を避け得ない。このどぎつさは、原作を越えて戲曲の限界まで書き盡そうという、それこそ脚色者の野心であつたかも知れぬが、結果は退屈な惡趣味に終つた。

以上、缺陷を多くあげたが、總括的にはまず成功した脚色であり、劇作家福田恆存の生長を見るに足る力作であると纏めてゐるが、貶しても最後に持上げるのは社交辭令の一種だらう。全體として「戲曲としては出來が良くない」と云ふ評價であると言つて良い。

雜誌「演劇」の「二重座談会」

雜誌「演劇」昭和二十六年八月號(白水社)「二重座談会」で、文學座によつて行はれた公演の事が俎上に乘せられてゐる。

中村光夫・神西清・大岡昇平・福田恆存・三島由紀夫「劇壇に直言す」では「武藏野夫人」の失敗は舞臺にあり、内村直也・田村秋子・千田是也・杉村春子・菅原卓「直言に答う」では「武藏野夫人」の失敗は脚色にありと云ふ小見出しが附けられてゐて、それぞれの座談會の出席者の間で意見の對立があるやうに纏められてゐる。

杉村は、福田の意圖は解るとしながらも、如何にやつてみても「勉」の長丁場をどうにも保てようがない。それで觀客に訴えてこないのですよ。そう言つてはいけないかも知れないけれども、實際それはちよつと不可能だと思うのよ。そういうことをどうしたらばいゝかわからないので、困つたわ、私。と具體的に「演ずる側の困つた事」を述べてゐる。

大岡のボロは脚色の本にはまだ出なかつたけれども、舞臺へは出た。と云ふ發言には、内村が……、ぼくは、こいつは文學座のためにひとこと言いたいな。云々と苦情を言つてゐる。菅原はあの對話のない原作から、あれだけの對話劇にしたということについては、一應敬意を表するのだ。と述べるものの、だけれども、「道子」にしても「勉」にしても、言葉としては生きていると思うが、福田君の知つている戲曲の構成だとか發展だとか、人間の絡み合いということに演劇性を出すという點では、失敗だと思うし、そういう點でボロが出たと思うのだ。と指摘してゐる。

雜誌「悲劇喜劇」の「舞臺評」

雜誌「悲劇喜劇」1951年7月號(早川書房)の「舞臺評」でも採上げられてゐる。

竹越和夫が「『武藏野夫人』舞臺化の功罪」と題して文學座の公演を批評してゐる。

竹越は、福田が舞臺の熟練工でないだけに却つてその脚色に期待したが、福田の才腕をもつてしても、この困難な小説の立體化は成功を見ることが出來なかつたまつたく殘念である、と述べてゐる。(立體化は「雲の會」のスローガン「立體化運動」に基くものか?)

ヨーロッパの心理小説的な大岡の原作とは雰圍氣が異り、奇知、諷刺、皮肉が盛られた福田らしい芝居になりさうであつた、と竹越は述べる。しかし、樂しめるのは前半のみで、後半は面白くない。終盤の演出――カットバック・暗轉・スポットライトの使用――は安易である。

原作の意圖とは異るものを求めた筈なのに、結局は原作に縛られて批評家としての眼が曇つてしまつた、それは脚色者の誰でもおちいり易いことであるが、福田恆存だけに殘念に思へてならない、と竹越は結論してゐる。