ジェイムズ・M・バリ「天晴れクライトン」を下敷にした四幕の喜劇。プロローグとエピローグを附した二百二十枚の長篇戲曲。「潮」千九百六十八年十一月號掲載(未見)。單行本未收録。
- 編集部
- 今月から批評をお二人に向う六カ月お願いするわけですが、まず今月は「潮」の福田恆存作「ドン・キホーテ日本に現わる」四幕から。プロローグとエピローグがついた二百二十枚の長篇戯曲です。一読して、枚数の方を感じたのですが、福田氏のこの前の作品「解ってたまるか!」と比べながらでもひとつ……
- 倉橋健
- 題名はドン・キホーテになっていますが、ほんとうはジェームス・バリーの「あっばれクライトン」が下敷きで、それにドン・キホーテをダブらせているのです。
- 編集部
- 日本人がある島へ流れついたという設定がそうですね。
- 倉橋
- 福田作品の面白さは、セリフのことばや、概念のもっている価値観の論理的なズレや矛盾の指摘――というか摘発ですね。だから筋がわりに単純明快であるほうがそういうものが生きてくる。「堅塁奪取」なんか筋が単純だし、 「解ってたまるか!」にしても原爆の盗難などとシチュエーションの設定が複雑になってくると、生彩を失ってくる。この「ドン・キホーテ」の場合は、二つの作品を下敷きにして、かつ福田恆存のオリジナルな面がそれに絡んで複雑になってきているので、作品としては、着想が未整理に終った感じですね。とくに二人の娘の扱いかたに心理的なモメントが強く入ってきているので、喜劇としてのおかしさが浮び上がってこない。
- 編集部
- あの関係は読んでいてもはっきり浮かんできませんでした。
- 倉橋
- 喜劇の場合、心理的な要因が強いと具合わるいわけですよ。
- 編集部
- そうですね。計算ちがいでしょうか。
- 倉橋
- その必然性が作者の中で熟してない感じですね。パロディの面白さにまでいたっていない。
- 日下令光
- 警句が警句らしく、シビアなものになってない。福田さんの警句がシビアなものをなくしちゃうと、駄洒落みたいになっちゃう。作者の狙いは、親しみやすさとか、大衆性ということなのだろうが、読んだ限りでは魅力に乏しかった。
- 編集部
- 舞台化は、はっきり劇団欅のために書いたものですね。
- 日下
- 欅が舞台化した時、この台本の面白さが生まれるのかどうか。みるまではわからない。このテーマですがね、読んだ限りにおいては、作意がわかりにくいですね。それを掴みえないまま読んでいると、終いにはちゃんと結びのようなセリフがでてきて、これだけのためにこれだけの作品が書かれている。その間が非常に粗いように思うのですね。
- 編集部
- サンチョが太田という運転手ですね。
- 日下
- これはかなり意図的な人間のようですね。
- 倉橋
- たしかに警句が語呂合せになって、またかというようなものがずいぶん多いですね。部分的には面白いのもあるんですが。
- 日下
- 漂流の場面では、飯沢さんの「ヤシと女」を思い出したけれど、あれは舞台的に面白く作り上げられていましたね。ああいう面白さをひっぱり出すエネルギーが、この場面にあるかどうか。この漂流のところは楽しませてくれなけれぱいけないでしょうね。
- 編集部
- そういう意味じゃ、ヴィジュアルな面は弱いでしょうね。倉橋さん、ラ・マンチャが出てきますが、あれは多少刺激剤になっていますか?
- 倉橋
- なっているんじゃないかと思います、プロローグなんか読むと。
- 編集部
- ミュージカルの「ラ・マンチャ」は、うまくできていますがね……
- 倉橋
- うまくできてはいるが、決して知的じゃないと、福田流のいたずらをしたのかな。(笑)ここに出てくる経済学者や医者のタマゴなどのもっている思考の論理構造のズレの面白さは、わりにはっきりと書かれているのだけれども。政治家や実業家である父親たちは底が浅いですね。「あっぱれクライトン」はユーモアだけれど、福田さんのこれはサタイアだから、そういう点をもっと痛烈に書かないと――
- 日下
- ここで民主主義というものね。もっと拡大していえば、平和主義といってもいいかも知れないが、義平に象徴されている民主主義のインチキ性といっちゃわるいけれども、そういったようなものが痛烈に出てこないですね。そこをほんとにきびしくやらないままに、欅あたりで上演させて、喜んでもらえればいいという意図が、かんぐりかもしれないけど見えますから。
- 編集部
- 劇團欅の「ドン・キホーテ日本に現る」、これは先月の戯曲合評で扱ったので、その舞台を……
- 日下
- わからなかったね、これは。(笑)
- 編集部
- その一言で結構でしょう。……。