太宰治全集第十一卷より

書簡

五百八

 また、くさつてゐる御樣子。もつとも人生、それこそ生れて來なければよかつたやうなもので、もともと地獄で、たのしい筈が無いんだがね。

 このごろの「文化人」共の馬鹿さ加減、どうかしてゐるんぢやないか? 眼の色がかはつてゐますよ。

 龜井には私から問ひ合せました。枚數の關係で私のたのんでやつた「リベラル」には無理の由、他に心當りのところもある樣子。そのうち君からも樣子をたづねてごらん。何事も七度の七十倍さ。根と鈍ださうだ。選擧は、僕は一つとして手傳はず、ただドサクサにまぎれて酒ばかり飮み、大いに皆にヒンシユクされた。毎日、奥にとぢこもり原稿を一枚か二枚づつ書き、いそがしいいそがしいと言つてゐる。あわてる事はない。ゆつくり書いて行きます。

 今「未歸還の友に」といふ、三十枚くらゐ見當のものを書いてゐる。これがすめば、「大鴉」といふ題でインチキ文化人の活躍(阿Q正傳みたいな)を少し長いものにして書かうかとも思つてゐる。それからまた、「春の枯葉」といふ三幕悲劇も書くつもり。それがすむといよいよ「人間失格」といふ大長篇にとりかかるつもり。これだけでもう三十代の仕事、一ぱいといふところです。

 前に書いた「冬の花火」といふ三幕悲劇、これは實に凄い大悲劇(笑つてはいけない)。劇界、文學界に原子バクダンを投ずる意氣ごみ、これは既に筑摩書房から出てゐる「展望」に送りました、六月號に掲載される事になつてゐます、いまのところ「展望」などが一ばんいい雜誌といふ事になつてゐるやうです。でもこの頃の雜誌の出る事のおそいのには、おどろきます。たいてい原稿を發送してから三、四ヶ月目に、それが印刷されて市に出るのですからね、氣拔けします。別紙、あまりヲカシク? 同封しました。やつぱりジツドは氣がきいてゐますね。

 フランスがドイツにまけた時、やはりこの敗北責任者騷ぎがあつたやうで、その時ジツドは、次のやうな、うまい諷刺を言つた。

 コンゴー地方の土人の寓話だが、或る大きな河を渡らうと、澤山の人が大きな船に折り重なつて乘つてゐた、超滿員で船は淺瀬へ乗り上げてしまつた、誰かを船からおろしにかからねばならぬ、誰を狙つていいかわからない、そこで先づ太つた商人と三百代言と惡い金貸しと女郎屋の女將をおろした、船はやつぱり泥にひつかかつてゐる、それからまた、賭博場の親方と奴隷買ひと、堅氣の人さへ何人かおりたが一向に動き出さない、ところが船は段々輕くなり、針金のやうに痩せこけた一人の宣教師がおりた途端、何と船は浮きあがつた、すると土人たちは大聲に、「あいつだ! あれが重りのぬしだ、やつつけろ!」

「世界文學」創刊号所載

 この津輕を引上げるのは、いつになるか、見當もつかないが、いづれ引上げなければならぬ。京都へ移住しようかとも思つてゐる。しかし家が無いだらうね。どんなもんだらう。