太宰治全集第十一卷より

書簡

四百八十九

拜復 とにかくご無事の御樣子、何よりです。こちらは浪々轉々し、たうとう生れた家へ來ましたが、今年の夏までには、小田原、三島、または京都、なんて考へてゐる。東京には家が無いだらうから、東京から汽車でニ、三時間といふところ、そのへんに落ちつく事になるだらうと思つてゐる。

 天皇が京都へ行くと言つたら、私も行きます。このごろの心境如何。心細くなつてゐると思ふ。苦しくなるとたよりを寄こす人だからね。

 このごろの日本、あほらしい感じ、馬の背中に狐の乘つてる姿で、ただウロウロ、たまに血相かへたり、赤旗をふりまはしたり、ばかばかしい。

 次に明確な指針を與へますから、それを信じてしばらくゐる事。

一、十年一日の如き不變の政治思想などは迷夢にすぎない。二十年目にシヤバに出て、この新現實に號令しようたつて、そりや無理だ、顧問にお願ひしませう、名譽會員は如何。

 君、いまさら赤い旗振つて、「われら若き兵士プロレタリアの」といふ歌、うたへますか。無理ですよ。自身の感覺に無理な(白々しさを感ぜしむる)行動は一さいさける事、必ず大きい破たんを生ずる。

一、いまのジャーナリズム、大醜態なり、新型便乘といふものなり。文化立國もへつたくれもありやしない。戰時の新聞と同じぢやないか。古いよ。とにかくみんな古い。

一、戰時の苦勞を全部否定するな。

一、いま叫ばれてゐる何々主義、何々主義は、すべて一時の間に合せものなるゆゑを以て、次にまつたく新しい思潮の臺頭を待望せよ。

一、教養の無いところに幸福無し。教養とは、まづ、ハニカミを知る事也。

一、保守派になれ。保守は反動に非ず、現實派なり。チエホフを思へ。「櫻の園」を思ひ出せ。

一、若し文獻があつたら、アナキズムの研究をはじめよ。倫理を原子(アトム)にせしアナキズム的思潮、あるひは新日本の活力になるかも知れず。(クロポトキンでも何でも、君が讀んだあと、僕に貸してくれ。金木のはうへ送つて下さい。)

一、天皇は倫理の儀表として之を支持せよ。戀ひしたふ對象なければ、倫理は宙に迷ふおそれあり。

 まだいろいろあり、まあ徐々に教へてあげる。とにかく早まつてはいかん。

 僕はいま、注文毎日殺到だが、片端から斷り、斷りの葉書や電報を打つのに一仕事なり。まあ、ことしの夏あたりから、日本人も少しづつ沈思力行の人物が、ほの見えるやうになるだらう。

 斷り切れない義理あるところに、二、三作品を發表しなければならぬが、しかし、四月頃から「展望」に戲曲を書く。それから或る季刊雜誌に長編「人間失格」を連載の豫定なり。その季刊雜誌は、僕がその長編執筆中は、他のどこにも書かずとも僕の生活費を支給してくれるらしい。僕も三十八だからね、(君ももういいとしになつたらう)四十までには、大傑作を一つ書いて置きたいよ。しかしそれは、心意氣で、どうなるかね。

 ゆつくりやつて行くつもり。

 お金がかかるね。僕はもう闇タバコ一萬圓くらゐ吸ひました。

 奧さんはじめ皆さんによろしく。

 子供お大事に。敬具。

 文治さん、代議士選擧に打つて出るさうだ。愚弟も演説しなければならぬかね。