太宰治全集第十一卷より

書簡

四百八十六

 拜啓 新年おめでたうございます。またいたづらに馬齡を一つ加へました。(この原稿用紙は、この町のお寺の和尚さんから借りました。馬寒庵といふ雅號らしいですね)このごろの雜誌の新型便乘ニガニガしき事かぎりなく、おほかたこんな事になるだらうと思つてゐましたが、あまりの事に、ヤケ酒でも飮みたくなります。私は無頼派(リベルタン)ですから、この氣風に反抗し、保守黨に加盟し、まつさきにギロチンにかかつてやらうかと思つてゐます。フランス革命でも、理由はどうあらうと、ギロチンにかけたやつは惡人で、かけられた貴族の美女は善人といふ事に、後世の詩人は書いてくれます。金木の私の生家など、今は「櫻の園」です。あはれ深い日常です。私はこれに一票いれるつもりです。井伏さんもさうなさい。共産黨なんかとは私は真正面から戰ふつもりです。ニツポン萬歳と今こそ本氣に言つてやらうかと思つてゐます。私は單純な町奴です。弱いはうに味方するんです。

 また文學が、十五年前にかへつて、イデオロギイ云々と、うるさい評論ばかり出るのでせうね。うんざりします。私はこつちへ來て、「パンドラの匣」といふ長篇一つと、それから女の惡口などを書いたコント三つ四つ、今月はまたそんなコント二つ三つ書いて、それから六月頃までに五六十枚のものを二つ書くつもりです。ジヤーナリズムにおだてられて民主主義踊りなどする氣はありません。

 龜井君の惡口を書いてゐる雜誌二つ三つ見ました。しかしきつといまに龜井も應酬するでせう。「新潮」十一月號に龜井が島木をいたむ文章を發表してゐましたが、いいものでした。飛躍といつては大袈裟だけど、マンネリズムではありませんでした。戰爭中には日本に味方するのは日本人として當り前で、馬鹿な親でも他人とつまらぬ喧嘩してさんざんに毆られてゐるとやつぱり親に加勢したくなります。默つて見てゐるなんて、そんな人間とは、おつき合ひごめん。

 ○○○○なんて、いつたいあれは何を言はんとしてゐるのか。日本の文化とかいふものを、こんなに輕薄にキザにしたのは、あいつらです。あいつらの考へてゐる「サロン文化」と、戰ふべきかと思ひます。○○醫學博士だの、なんだの、ウヨウヨゐます。

 保守派をおすすめします。いまの日本で、保守の態度が一ばん美しく思はれます。

 日本人は皆、戰爭に協力したのです。その爲に マ司令部から罰せられるならば、それこそ一億一心みんな牢屋へはひる事を希望するかも知れません。御心配御無用です。

 そちらはあたたかいでせうね。私のはうは寒くて寒くて、あまり寒くて頭が痛くなるほどです。三月頃いちど上京して、東京の住居食料のあんばいを見て來るつもりです。しかし、私はこんどは小田原か三島あの邊の田舎に小さい家を借りて定住しようかと思つてゐます。七月か八月頃、など考へてゐますが、どうなりますか。

 伊馬君はどうしてゐるでせうか。未歸還の友人が氣になつていけません。

 お宅では皆樣お丈夫ですか。私のところも、おかげさまでどうやら、酒もありタバコもありますが。戀愛の眞似事でも出來さうな女性がひとりも見つからず。ムシヤクシヤしてゐます。私ももう三十八になりましたけど。

 では皆樣お大事に、末筆ながら御奧樣に山々よろしく御鳳聲下さいまし。敬具。