僕は、他人のHTMLのソースを再利用している例を見たことがありません。
*.cssファイルを再利用してゐる例はあります。「闇黒スタイル」はあちこちのサイトで利用された實績があります。
文書の構造と見た目を分離するのは不可能である、と主張する人がゐます。しかし、既に書籍では兩者が分離されてゐます。
原稿用紙のフォーマットは、20字×10行或は20行に固定されてゐます。しかし、その爲に「表現が制約されてゐる」とは言へません。或は、「制約」であるにしても、本質的な制約とは言へません。
活字の組み方で面白い表現を作り出し、高い評價を受けた作家としては、アルフレッド・ベスターがゐます。しかし、文字アートが『虎よ、虎よ』『分解された男』『コンピュータ・コネクション』の面白さの本質ではありません。當時、ベスターを安易に模倣した作家が澤山出現したのですが、さう云ふ作家はすぐに世間から飽きられて消え去りました。
原稿を印刷して本にするのは印刷所です。印刷所は、大日本印刷とか、図書印刷とか、精興社とか、理想社とか、澤山あり、それぞれ活字やその組み方に癖があります。Aと云ふ作家の書いた原稿は、印刷所によつて異る形で印刷されます。けれども、どんな活字でどのやうな形態で印刷されようが、或はPDF等、電子書籍としてパブリッシュされようと、それは依然、Aの作家の作品のままです。
「文書の構造と見た目との融合」は、「侍魂」のブーム以來、「テキストサイト」系のサイトで熱心に試みられました(別名「フォント弄り」)。しかし、それで「侍魂」並のアクセス數を稼ぎ出したサイトはありません。と言ふか、弄る對象がフォントであつてテキストそのものでないのに、何うして「テキストサイト」なんて言ひ方が出來たのでせう。
檢索エンジンのGoogleが、文書の内容を判斷する爲、マーク附けを參考にする、と云ふ話が以前はありました。
見出しにされてゐたり、強調されてゐたりする語を、その文書における重要なキーワードと見做す、とか、そんな事があつたやうです。
「CSSコミュニティ」等と呼ばれてゐる某方面のサイト――或は、文書の構造に基いてマーク附けを行つたHTML文書と、見た目を記述したCSSファイルとを、意識して作成・利用してゐるサイト――が、Googleの檢索で屡々上位に出現してゐたものです。
SEO(檢索エンジン最適化)の觀點から見ても「正しいマーク附け」は有效である、と言はれてゐました。
で、以下は追記です。
最近(2007年春)、文書構造に頼つた價値判斷がさつぱり當てにならない事に氣附いたのか、Googleの傾向がまた變化してゐる模樣です。「SEO」だの何だのと言つて大騷ぎした結果、テクニックで檢索エンジンでの順位を上げる人が増え捲つて、それで眞面目にやつてゐた人が損をするやうな状況となつてゐます。
實に詰らない結果となつてゐますが、仕方がないのでせう。最早ウェブでは「眞面目にやれ」とアドヴァイス出來なくなつてゐます。少し前まで、一般の社會に比べてウェブはまだ増しな状況だつたのですが、現在は「正直にやつても見返がない」状況が非道くなつてしまつてゐます。
「ブログ」その他のツールによつてウェブサイトを半自動で構成する技術が一般化しつゝあります。斯うした状況下で、敢て嚴密な文書構造と見た目の分離をする事が、殆ど意味をなさない事態が生じつゝあります。
「ブログ」等のサイト構築ツールは、テキストのデータを抛り込めば自動的にそれつぽい見た目のウェブサイトを構成して呉れます。この時點で或意味(ユーザ視點で)文書と見た目との分離は完了してゐるのであり、HTML文書とCSSとによる文書構造とスタイルの分離を意識する意味はなくなつてゐます。
「ブログ」等で特定のサーヴィス(「はてな」のやうな)に依存した「スタイル」が配布され再利用される一方、一般的な構造の文書に適用されるべき汎用的なスタイルシートと云ふものは全く存在價値を認められてゐません。「闇黒スタイル」(「言葉 言葉 言葉」「PC Tips」で使用されてゐるスタイルの通稱)はその種の汎用スタイルですが、かうした沒個性的スタイルに何の價値も見出さないデザイナは非常に多いやうです。
CSS Zen Gardenのやうな「お遊び」は、スタイルシート・デザインに興味のある一部のデザイナの知的關心を引いてゐますが、一般には只のお遊び以上のものと思はれてゐません。
大體、「idに依存したデザイン」は、「文書構造を意識したスタイル作り」と全く關係がない物です。個人的にこのCSS Zen Gardenのやうな試みは、多くの「ブログ」サーヴィスに見られる「スタイルシートによるカスタマイズ」と同樣、「文書構造と見た目の分離」としての「HTMLとCSSの分離」と異質のものだと感じてゐます。(詰り、個人的には全く興味を持てない)
スタイルシートを取替へるだけでウェブサイトの見た目が全く變つてしまふのをCSS Zen Gardenではエキサイティングな事だ云々と言つてゐますが、別に大した事ではないやうに思はれます。Xoopsなんかでも、「あつと言ふ間に見た目が變る」と云ふのを實現してゐます。自動でウェブサイトを生成するツールでは、CSSに頼らなくても、見た目を簡單に變へる事が出來るのです。font要素やtable要素等を驅使したレガシーな方法は、手書きでHTML文書を書いてゐると面倒な代物ですが、プログラムで出力するのなら豫めプログラムしておけば良いだけの話ですから簡單です。
嚴密な「HTMLとCSSの分離」の主張は、現在、ただただリゴリズム的であるだけと云ふ事になつてしまつてゐます。其處にメリットが感じられないのならば、特に商用サイトでは積極的に採用されない事が豫想されます。
單に「文書の構造と見た目は分離可能か?」と云ふ質問に答へるならば、「やりやうによつては可能である」と簡單に答へられます。けれども、「メリット」とか云つた話が絡んでくると、私には最早、説得的な囘答を提示する事が出來ません。自分自身のサイト制作の範圍で、メリットは大變「ある」のですが、私以外の人に全て共通して一般論的に「メリットがある」と主張するのは、反感を買ふだけで、私にとつて何も良い事等ないでせう。