制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-07-19
改訂
2001-07-22

規格の意味

以前友人に「非推奨タグを使用してなくても、Transitional にしておいたほうが安心だよ。Strict な HTML 4.01 で書くと規制が多いので、何かあった時に表示されなかったりするし面倒だよ。もしやるとしても遠い未来でいいのでは?」と言われました。

曖昧な言葉遣ひで説明したり、理解しようとしたりすると、正邪が逆轉すると云ふ話。

HTML 4.01 Strictで制約されるのは文書の形式で、ブラウザの機能が制約される譯ではありません。何の制約なのか、をこの友人氏は理解してゐませんし、説明しようとしてゐません。

安全性の高いシンプルなデータ

HTML 4.01 Strict準據の文書の方が、文書の構造がシンプルなので、HTML 4.01 Trantisional準據で所謂「非推奬」の要素をバンバン使つた複雜な文書よりもブラウザ等のUser Agentは解釋し易くなります。ブラウザに表示され易い文書は、Transitional準據で複雜な文書ではなく、Strict準據でシンプルな文書です。

もつとも、Strict準據だからその文書はシンプルであり、Transitional準據だからその文書は複雜である、とは言へません。書き方次第で、Transitional準據であつても驚くほど美しいソースのHTML文書、と云ふものはあり得ます。Strict準據であつても、tableを使ひ捲つてゐれば、その文書はシンプルな文書とは言へないでせう。

しかも、「非推奬」の要素を全く使つてゐないからといつて必ずStrictの文書型宣言を書かなければならない、と云ふ譯でもないのであつて、Transitionalの文書型宣言を書いておいても全然問題はありません。(逆は駄目です)

問題は、HTML文書の記述が「お行儀の良い」ものであるかどうかなのであつて、文書型宣言を何う書いたかではありません。はじめにテキストありき、なのであり、マーク附けの結果、どのやうな文書が出來上がつたのかを明示するのが文書型宣言であるに過ぎません。

實際のところ、HTML 4.01 Strict準據でシンプルな文書が、何かあってブラウザで表示されない、と云ふ事は絶對にあり得ないのであつて、HTML 4.01 Transitional準據ではあつても複雜怪奇なスパゲッティ状態の文書が全てのブラウザで確實に表示される事もあり得ません。寧ろ、後者の方が、餘程表示されない危險性は高いと言へます。

複雜なデータが障壁になる對象

HTML 4.01の仕樣を無視した譯のわからない文書でもInternet Explorerでは「きちんと」表示されるぢやないか、それで十分ぢやないか、と非常に多くの人が言ひます。しかし、さう云ふ人の作つてゐる文書を表示出來るやうなブラウザを、Microsoft以外のヴェンダは最早作り得ない状態になつてをります。MicrosoftのInternet Explorerによるユーザの「圍ひ込み」は完成したのであります。HTML 4.01 Strict等のW3Cの規格を排撃する人は、このMicrosoftの「圍ひ込み」を支持してゐるのも同然なのであつて、Microsoftの獨占を率先して支持してゐるとも言へるのであります。

彼らには、Microsoftの獨占を指彈する資格がありません。

仕樣とか規格とかの存在意義は、皆が對等の立場で競爭出來る、と云ふ事にあります。同時に、それを皆が遵守する事によつて、誤解を避ける事が出來る、と云ふ事にあります。個人の好みや、「このくらゐ解るだらう」と云ふ思ひ込みに基いた、符牒的な言ひ方は、もちろん或程度まではフォローされますが、それでも屡々誤解やトラブルを誘發します。

そして、その時に、仕樣に從つてゐない人は「なんで俺の言つた事がわからないんだ」と抗議する事が出來ないのであります。逆に、仕樣に從つてゐる人は、その仕樣を根據に誤解を解いたり、トラブルを囘避したりする事が出來ます。

仕樣は交通整理のやうなもの

現状、インターネットに於て、仕樣は全ての人が守つてゐるものではないし、全てのヴェンダが從つてゐる譯でもありません。しかし、それは現實の社會にも言へる事であります。

交通規則は、全ての人が守つてゐる譯ではありません。刑法は、全ての人が守つてゐる譯ではありません。しかし、だからと言つてあなたは交通違反をやらかして良い譯ではありませんし、餘所の家に泥棒に入って良い譯でもありません。逆に、交通規則を以て事故の加害者に抗議をしたり、刑法で以て泥棒を裁判にかけたり出來ます。

規則やルールは、必ずしも守られないがゆゑに、守る價値があるものです。規格は制約であるがゆゑに、自己の思想を精密に表現する手段となり得ます。