制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2002-04-29

ウェブを席捲する初心者のセンス

1

初心者はとかく、工夫をしてしまふ。必要以上に工夫をしてしまふ。

自分の手許で實驗をしてみるのは良い事だ。しかし、實驗を公開の場で行つて、襃めて貰はうとするのは良くない事だ。

そもそも、その實驗自體が愚かしいものであるならば、襃めて貰へないのは當然の事なのだが、初心者は「實驗をやつた」と云ふ事を襃めて貰はうとする。

2

「實驗」で苦勞をした――それは結構な事だ。だが、自分の苦勞を他人に見せ附け、歡心を買はうとするのはさもしい根性だ。苦勞は匿さなければならない。表現に於て、これ見よがしにする事がそもそも、みつともない事だ。

初心者ならば、さう云ふ事をしてしまつても仕方がないと言へば仕方がない。だが、いつまでも人は初心者でゐてはならない。人は初心者の域を脱すべく、努力しなければならない。初心者の持つ固定觀念を、人はいつか捨てなければならない。

初心者の作品の持つ泥臭さは、多くの場合、素人臭さと同義である。その素人臭さは、常に「達成感」に基いてゐる。「こんなことができた!」と云ふ喜びを、初心者の作品は發してゐる。その喜びを隱すやうになつて初めてその人は初心者の域を脱する。

だが、ウェブでは何故か、感情を剥き出しにする事が常識と化してゐる。

3

ウェブサイトは、ごてごてしてゐれば良いのではない。逆に、ただ單にシンプルであれば良い譯でもないのだが、どうも裝飾過多の傾向がウェブには見られる。

初心者のサイトが屡々やたらと派手なのは知られた事實だが、プロのウェブデザイナーの作るサイトも、別の意味で裝飾過多である。ウェブデザイナーの作る「センスの良いサイト」も、「技術の見本市」である點で、初心者の作る「ほーむぺーじ」と全く同じである。

初心者のセンスもプロのウェブデザイナーのセンスも、私には同じもののやうに見える。何でも見せびらかせば良いと云ふものではない筈なのだが、ウェブではどうしてかうも「つつましさ」が輕視されるのだらうか。