この記事を書いてゐる野嵜は、世間の「XHTMLに移行する」事例の多くに疑問を抱いてゐます。「XHTMLへの移行」について、野嵜は決して手放しで賛成・同意できません。
別に、野嵜が「ISO/IEC 15445:2000原理主義者」だから言つてゐる事ではありません。野嵜は特に「XMLに反対してゐる」とか、そんな訣ではないのです。
現状、「XHTMLに移行する」事が屡々「制作者の興味」に基いて行はれてゐます。と言ふより、殆どの場合、「技術的な興味」が「XHTMLに移行する」制作者の動機となつてゐます。
これが気に入らない。閲覧者の都合ではなく、制作者の興味が優先される――。
敢て申し上げるのですが、「PC Tips」を読んで、或は、それ以外の「啓蒙的なサイト」を読んで、「目覚める」人が結構ゐます。或は、既にサイトを持つてゐる人が、矢張り「PC Tips」その他のサイトの記事を読んで「目覚める」――。
かう云ふ人達が、実に屡々、「自分でも啓蒙をしなければならない」と云ふ発想に囚はれてしまふ……。
非常に哀しくなつてくるのですが、さう云ふ人が、既に存在する自分の「ほーむぺーじ」を全否定してしまふ――そんな事が多過ぎるのです。最う何も角も消してしまつて、改めてゼロから出発し直さねばならない。そんな風に思ひ詰めて、で、改めて「すとりくとなさいと」を立上げ直す。当人は嬉しさうなのですが、野嵜は複雑な気分です。
改めて立ち上げたサイトが、先行する「啓蒙サイト」の焼き直しの域に留まつてゐる――それも慥かにちよつと何うかと思ふのですが、けれども問題は「新しい啓蒙サイト」の内容にはない。
「既に存在するサイトを消してしまふ」――それが最大の問題なのです。既存の「ほーむぺーじ」の形式、それには問題があつた。ところが、それを自覚した途端、「ほーむぺーじ」の内容を消してしまふ。
野嵜は「言ひたい事を適切な形式で言ふやうにして貰ひたい――さうすれば、より良く伝はる筈だ」と考へて、それで「PC Tips」でHTML等の記事を公開してゐます。ところが、その野嵜の記事を読んで、「言ひたい事」を捨てて「形式」の話を一生懸命し始める人がゐる。
せつかく読んでくれて、しかも影響を受けてくれた人に言ふのも何ですが、さう云ふ影響なら受けないで貰ひたかつた。既存の記事を全て消して、「啓蒙サイト」を「正しいHTML」でゼロから作るなら、「正しくないHTML」の既存の記事をそのまゝ残してゐる方が実は増しです。
既存の記事を、制作者が「正しくない書き方」をしてゐた――それを自覚させられた時、制作者の採るべき態度は二つあります。一つは「正しい書き方」に書直す事。もう一つは、「いつか正しく書直さう」と思ふ事。「書き方に誤があつたから削除してしまふ」――それは態度として誤つてゐます。
ウェブの文書でより重要なのは、「文書が正しい形式である事」よりも、「内容」です。形式の爲に内容のある文書を削除してしまふ、それは間違つてゐます。
既存の文書を整理整頓し(「削除する」の意味の「整理する」と云ふ事ではない)、読み手に利益を与へる目的で、文書の形式を整へる、といふのだつたら判りますし、実際、野嵜がそれを過去にやつてゐます。
「XHTMLへの移行」が、ただ「正しい形式」を実現するだけの目的で行はれるのならば、それは無駄です。制作者の自己満足に過ぎません。あまつさへ、「移行」に際して既存の記事を全て「なかつたこと」にしてしまふ、と言ふのであれば、それは最う本末転倒であるとしか評しやうがありません。
「何の為にあなたはサイトをXHTML化するのですか?」――それがサイトを構築するサイト制作者の中で、必然的な理由を持ち、サイト全体の中で意義を持つ、それなら「XHTMLに移行する」事は十分あり得る事です。けれども、ただ漫然と「移行してみようか」みたいな態度で「移行する」のであれば、それはサイトの制作として失敗をやらかしてゐると言つて良いでせう。
「サイトを制作する方法」を語りながら、自分では「サイトを制作する」意義を最早持つてゐない。或は、自分では何かを言ふ内容もなくて、ただ規格書の記述をなぞつて「啓蒙サイト」を作つて見る。――「何かが違ふ」やうな気がします。