Flashは、ウェブと云ふ媒體の性質を良く考慮して作られてゐます。使ひ方によつては、Flashで、閲覽者に極めて有效にアピールする事が出來ます。Flashの特徴はいろいろあります。
もちろん、これらのほかにも特徴はいろいろとあるでせう。
これらの性質から、Flashには「正しい使ひ方」「間違つた使ひ方」のある事を我々は推測しなければなりません。
Flashの使ひ方を誤ると、色々と問題を生じます。何でもかんでもFlashにすれば良い譯ではありません。
「間違つた使ひ方」の代表例が、サイトのナヴィゲーションをFlashに依存する事です。
アニメーションを表示出來たり、マウスによる入力を受附けたり出來るからといつて、Flashをナヴィゲーションの爲の手段としなければならない理由はありません。むしろ、ナヴィゲーションの手段としない方が、メリットは多いのです。
「スプラッシュスクリーン」(所謂「入口」)にFlashを使つてゐるサイトがあります。かう云ふサイトを見に來た閲覽者は、必ずFlashを經由してウェブサイトに進入しなければなりません。
メニューがFlashで作られてゐるサイトもあります。この場合、閲覽者はFlashを操作してウェブサイトの中を行つたり來たりしなければなりません。
この時、閲覽者は屡々「鬱陶しい」と感じます。
すべて、HTML文書にテキストのメニューや代替アンカーが記述されてゐれば、閲覽者は一應「いらいら」を避ける事が出來ます。
しかし、そこまで徹底的にサイトをFlash化しても意味はないやうに思はれます。メニューが作品である、と云ふのは、少し寂しく感じられます。
また、Flashで作成されたメニューは非常に派手なのに、メニューを選擇してコンテンツを開くと、妙に貧相な「ぺーじ」が待受けてゐる、と云ふ事もたまにあります。
メニューに力を入れ過ぎて、肝腎なサイトのコンテンツそのものは貧弱と云ふ例ですが、制作者はそれで良いのでせうか。
サイトの個々のコンテンツとして、Flashの作品を公開するのには、何の問題もありません。
作品の出來が素晴らしいものであれば、閲覽者は樂しんでくれるでせう。工夫して、良い作品を作つて下さい。ただ、閲覽者が作品を見る氣を失ふやうなサイトの作りになつてゐたら、どんなに努力をしても、報いられる事がありません。
Flashの作品に、閲覽者が注目するやうにしておく事、作品に閲覽者が容易に辿り着くやうにしておく事は、重要です。
案外Flash制作者は氣附かないのですが、Flashによるナヴィゲーションに閲覽者は屡々混亂します。Flashによるナヴィゲーションの場合、サイトによつて表現がまちまちとなり、閲覽者は一般的・規則的なナヴィゲーションの規則を發見出來ません。閲覽者はナヴィゲーションをFlashに依存したサイトを閲覽する度に、毎囘方法を發見しなければなりません。それは、閲覽者にとつて手間となります。
どう云ふ譯か、Flash制作者は閲覽者に手間をかけさせる事が良い事だと信じてゐるのですが、さう云ふ確信犯を養成する組織か何かがあるのでせうか。
多くの檢索エンジンは、テキストをデータベース化しますが、Flashの内容はデータベース化しません。
そのため、Flashに依存したサイトを作ると、檢索エンジンでヒットし難くなります。他人に見て貰へるチャンスが少くなります。
さう云ふ「Flashサイト」の制作者は、高度な、或はとても面白い内容のFlash作品を作つて評判になるやうにしたり、努力をする必要があります。もちろん、それはそれで良いのですが、問題は、Flashを作るよりも、宣傳に力を入れる手間の方がかかるかも知れない、と云ふ事です。
また、閲覽者は、Flashのコンテンツをブラウザの「お気に入り」「ブックマーク」に登録出來ません。Flashの中の或記述を引用したり、Flashの中の特定の位置にリンクを張る事も出來ません。制作者の一部にはそれを「メリット」と感ずる人もゐますが、閲覽者にとつては當然、デメリットとなります。
「Flashサイト」だからといつて、全てをFlashに依存する必要はありません。それだけは強調しておきます。何が大事なのかを、制作者は良く考へなければなりません。
また、Flashで全てのコンテンツを作るのは、その行爲自體が閲覽者に負擔をかける事です。Flashで全てのコンテンツを作るのは、この世に存在しない全く新しいGUIを構築する事と同義です。Flashで作られたコンテンツを閲覽する際、閲覽者は全く見知らぬ操作體系を發見しなければなりません。
しつこいやうですが書いておきます。多くのFlash制作者は閲覽者に手間をかけさせる事が良い事だと信じてゐます。その考へ方は間違つてゐます。
「cool」なデザインなんぞ、目指してはいけません。
念の爲、書いておきます。