制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2000-09-04
改訂
2000-12-24

ウェブサイト構築は表現過程である事

ウェブ構成説

「ホームページ」はJavaScriptや畫像、或はタグと云つた部品を組立てて作るものだ──と云ふ考へ方がある。材料を構成して、一つの「作品」を仕上げるのだから、これを「ウェブ構成説」と呼ぶ事にする。

この考へ方に基いて、GeoCitiesなどで採用されてゐる「ビルダー」や、GaiaX系のコミュニティサイトと云つたサーヴィスは提供されてゐる。

また、「手書き」でhtml文書を書いてゐる人でも、屡々「素材集」から畫像を拾つてきたり、「タグ」の「テクニック」を取込んでみたり、スクリプトを探して來たりする。かうした材料を組合せる事が、「ホームページ」作りの本質だと考へるからである。

Netscapeが以前のNavigator(Mozilla Classic)で獨自のタグセットを提供したのは、この「ウェブ構成説」を採つてゐたからである。タグを組合せて「ホームページ」を作つて欲しい、と、Netscape社は考へた。

この「ウェブ構成説」は、多くの人に受容れられやすい。何も理解しないで「ホームページ」を作れるからである。だが、この「ウェブ構成説」に基いたウェブサイト構築には問題がある。

  1. 部品集め、材料集めに一生懸命になると、結果として「ホームページ」が支離滅裂になり易い。
  2. 部品の意義を輕んじ、結果・效果だけを重視するやうになる。

或は、タグや畫像、FlashやQuickTimeと云つたプラグイン、JavaScriptやActiveXなどのスクリプトは、それ自體に意味はなく、ただそれらによつて演出せられた結果だけが重要である、と云ふ考へ方が、「ウェブ構成説」である。

かうした考へ方を採つてゐる制作者にとつて、blockquote要素と「インデント」の間の因果關係はどうでも良い問題となる。ただ彼等は「インデント」だけを實現したいのである。

だが、「ウェブ構成説」に從つてウェブを構築してゐる限り、その制作者はウェブ作りの意義を見出せない事になる。ウェブとは何かを制作者は理會する事がない。或は、ウェブで公開する文書に關して、ウェブ制作者は意識的でなくなる。

ウェブ過程説

ウェブとは個々の人間の思想を表現し理解する過程である、と云ふ立場を私は取る。假に「ウェブ過程説」と名附ける考へ方である。

「ウェブ過程説」では、表現者が自分の言ひたい事をhtml文書として公開する事に加へて、その文書を見る閲覽者がその文書の意圖を理解するまでをウェブの存在意義だと考へる。即ち「言ひつぱなし」の思想の一方通行ではなく、相互理解・コミュニケーションを第一義に置いたウェブサイト構築を「ウェブ過程説」は要求する。

ウェブサイトの制作者は、或理想の形を念頭に置きつつ、ウェブサイトを構築していく。その際に、ウェブの或要素に於る意圖は明確である。最終的に表現したい思想に基いて、制作者は各要素を配置する。

即ち、その制作者にとつて自己の思想と要素とは直結してゐる。引用だからその部分をblockquote要素とする。全ての要素は論理要素となる筈である。

かうした發想法は、一旦構成的な考へ方に慣れた精神には極めて受容れ難いものであらう。だが、既に示した通り、「ウェブ過程説」的な發想によるhtml文書のマークアップは自然なものである。

また、「ウェブ構成説」に基く「物理タグ」を、W3Cは否定してゐる。「論理マークアップ」を推奬するW3Cは、はつきり言つてゐないが、「ウェブ過程説」の立場を採つてゐると言へよう。