制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
?(忘れるくらゐ昔)

ウェブサイト構築の論理・概論

まづはじめに

あなたはなぜウェブサイトを作るのですか?

「せつかくインターネットをはじめたのだから、ホームページも作つてみたい」?──嘘ですね。インターネットに接續出來るやうになつても、ウェブサイト作りに手を出さずに幸せでゐる人は澤山ゐます。掲示板にも書込まず、ひたすら「ネットサーフィン」するだけのユーザは山ほどゐます。そしてさう云ふユーザは、「アクティヴ」なユーザよりも餘程「インターネット生活」を滿喫してゐるものであります。

掲示板に積極的に書込みを行つたり、ウェブサイトを立ちあげて情報を發信したりしてゐる人──かう云ふ「アクティヴ」なユーザが、いつまでもインターネットで樂しんでゐられる譯ではありません。少しでも自分から他者にアプローチをしようとすれば、間違ひなく不愉快な思ひを味はふのが人間社會と云ふものであります。「ROM」の域を脱したネットワーカは、必ず不愉快な思ひを繰返し味はつてゐるものです。

私はウェブサイト作成の奬めを説きません。むしろ、ウェブなどに手を出すのは、普通の人は止めておきなさいと申上げたいのです。あちこちのサイトをただ第三者として見てまはつて、それで滿足しておく方が安全です。

さうまで言はれて、それでもやはり自分はウェブサイトを運營してみたい──さう思つた人は、ゐるでせうか? 當然ゐるでせう。いやいや實は、さう云ふ人にはウェブサイトを作る動機があるのです。もしあなたに動機があるのならば……大丈夫です。ウェブサイトを作る動機があつて作るのならば、よいのです。ただ漫然とhtmlの勉強をしたつて駄目です。重要なのはこの動機と云ふ奴であります。

何をやりたいのか?

ウェブサイトを運營する上で大事なのは、ただウェブサイトを運營する必然性がある事だけです。あなたは何を目的としてウェブサイトを作るのか? あなたは最初に自分のやりたい事をはつきりさせる必要があります。目的によつて、ウェブサイトの運營の仕方は異ります。

肝心なのは、何をやりたいのかと云ふのが明確になつてゐる事であります。自分の趣味を情熱をもつて多くの人に語りたいのか、誰かに見られてゐる事を氣にせずにただ漫然と感じた事を綴つていきたいのか──後者だつて構はないのです。それはそれでウェブサイトの運營方針としては正しい。サイトをやつてゐる本人だけが滿足できればそれで良いと云ふのも、立派な方針であります。

ただし、方針を決めたならば、それを徹底しなければいけません。唯我獨尊ならば唯我獨尊のスタイルを極めませう。それは或意味coolな事です。他人が見れば詰らないであらう事を適當にだらだらと書込んで、反論も受付けない──そんなサイトに人は集らないでせうが、人に見てもらはなくてもいいと管理者が最初から考へてゐるならば、そのサイトの意圖は達成されてゐる譯です。

對象となる閲覽者

上の前置きは、人に見られたいと思ふのならば、それなりの事をすべし、と云ふだけの事ですから、普通の人は忘れても結構です。しかし世の中、普通の人なんてゐやしないので、わざわざしつこく書いた譯です。

人に見てもらひたい、閲覽者を増やしたい、常連を集めたい──それがまあ普通の管理者の願ひだと思ひます。しかし、その「人」とは誰の事ですか? あなたはどんな人に見てもらひたいのですか? どんな閲覽者を増やしたいのですか? どんな人に常連さんになつてもらひたいのですか?

もちろん、インターネットには現實社會と同じやうに、自分と氣の合ふ人もゐれば合はない人もゐます。そして現實社會と同じやうに、氣の合ふ人とだけ付合つてゐればよいと云ふものでもありません。しかしながら、八方美人でやつていけないと云ふ事もまた、インターネットは現實社會と同じです。自分の立場を最初に確定しておくべきだと云ふ事です。明確な敵も出來れば身方も出來るでせう。それでよいと思ひます。

そして、あなたは自分の身方になるであらう人に向けて、メッセージを送る積りで自分のウェブサイトを作ればよいのであります。否、もちろん敵に對するメッセージでも同じです。敵の敵は身方──敵の姿が明確であれば、身方は現はれるものです。無關係の人間はいつまででも無關係のままです。敵とか身方とか云ふのは人間關係です。人間關係があれば、人は近づいてくるか遠ざかつていくかします。人を近寄らせたかつたら、人間關係を結ばうとすればよい。そのためには、あなたは自分の姿を隱してはならない──或は、自分の姿を隱さうとする事で、逆にあなたらしさを顯はにしなければならないのであります。

インターネットでは、否、現實の社會でも、人は相手の人間性を見て近づいていくものです。何かしら魅力的なものがある時、そこに人は惹かれるのであります。ならば、人を集めたければ、己の魅力を示さなければならないのは當然の理です。しかしそれは容易な事ではない。そしてここでそれを説明し切れるものでもない。

コンテンツの充實

一般的には、自分の好きな事を徹底して掘下げてゐると、そこに人は興味を感ずるものであります。あなたがlainのファンだつたら、lainに對するあなたの關心を徹底的に追求してみませう。古本のマニアならば、自分の古本に對する關心がどこにあるのかをひたすら追求してみませう。そしてそれをそのまま、ウェブサイトに反映させればよろしい。いや、俺は別に何かが好きなのではない、とにかく誰か友達を作りたいのだ──それはそれで結構、その事をウェブサイトでがんがんアピールしませう。

重要なのは、自分に對して他人が興味を持つてくれる事であります。ですから、他人が自分の事を知るに足るだけの情報を、ウェブサイトでは提供しておかなければならないのであります。「まだ何もありません、すみません」では駄目です──もちろん、誰かに興味を持つてもらはうと思つてゐないのならば構ひませんが、さうでないのならば、最初から自分をアピールしなければなりません。

「取敢へず」は駄目です。最初から自分のやりたい事を明確にしておきませう。そしてそれをウェブサイトで宣言しませう。まだ何もコンテンツがなくとも、自分のやりたい事を示せば、わかつてくれる人もゐるんです。その時點で身方になつてくれる人は、本當の身方です。そして、さう云ふ身方を得る事が、インターネットの醍醐味の一つでもあります。

そして可能な限り早いうちに、自分のやりたい事が明確にわかるやうに、コンテンツを充實させませう。途中で、興味の對象が變つても構ひません。しかし何らかの意味で、サイトには一貫性を持たせなければなりません。もちろん、一貫性がない、と云ふ事もまた一貫性の一種です。一貫性のなさで人を惹きつける事が出來る人もゐます。しかし、自分のやつてゐる事に、能ふ限りの一貫性を與へようと努力する事は大事です。いづれにしても、サイト管理者の性格が、人を集めるのです。いかなる人間も、何らかの意味で一貫した存在である筈です。管理者の人間性をウェブサイトは反映するものです。人が集るか集らないかは、サイト管理者が魅力的か魅力的でないかを示してゐると言へます。

宣傳をする前に

實を言ふと、コンテンツさへ充實してゐれば、宣傳は必要最小限で事足ります。そして、よくある「アクセス向上の爲のガイド」は、その「必要最小限」から先の話である場合が殆どです。ここではその「必要最小限」の「宣傳」について述べます。

普通の人が興味を持つ事と云つたら、それほど世間離れしたものである筈がありません。言ひ方を變へれば、自分が興味を持つてやりはじめた事には、たいてい先驅者がゐるものなのです。そして、最初の「宣傳」は、さう云ふ同好の士に對するアピールである筈です。

宣傳よりも先に、ウェブサイト管理者は調査をやらねばならないのです。自分の興味を持つてゐる事を、誰かが先にやつてゐないか。檢索サイト(Yahoo!でもInfoseekでも構はない)で調べませう。いく通りかのやり方で、自分の興味と何らかの意味で關聯のありさうなサイトを探してごらんなさい。そして常にさう云ふサイトが見つかるでせう。そこは自分が常連となるべきサイトです。自分のサイトに常連を呼込む前に、あなたはどこかのサイトの常連とならなければなりません。そして、あなたは「後輩」として謙虚でゐなければなりません。

そしてそのサイトで自分の興味がすべて滿たされるのであれば、あなたは自分のサイトを作る必要はありません。もうあなたのやるべき事は、既になされてしまつてゐるのですから、あなたはそれを享受すればよい。

しかし、いかなる場合においても、あなたの興味が完全に滿たされる事はありません。あなたはあなただけの考へ方を常に持つてゐます。あなたの考へはいかなる他人とも一致し得ません。ですからあなたは、先輩のサイトにはないものをあなたのサイトに盛込む事が出來ます。そしてそれが、あなたの個性──あなたらしさであり、あなたの魅力です。他人とは違ふと云ふ事──それが人の個性であり、その個性が人の魅力であります。そして自分の個性を意識して、それを伸ばさうとする事で、人の魅力は増すものです。ほかのウェブサイトとは異る何かを持つ事で、あなたのウェブサイトは魅力的なものとなるのです。