以前、スタイルシート對應でHTML 4.01 strictのソースを吐出す掲示板CGIを製作・配布してゐる醉狂なサイトはないものですかねえ
、と書いたら、TruthのMakotoさんが「picoBBS」を發表なさつてゐます。
正義は勝つ。
CGIの處理すべきもつとも重要な事はデータの入出力です。CGI製作者のすべき事は、出力されるHTMLの「デザイン」なんぞではなく、書込みをログに保存し、HTMLに出力する一連の流れをプログラミングする事でせう。
データをどのやうな形で閲覽し・利用するかは、ユーザに自由があつて良い筈です。制作者にしか譯のわからないプログラムは、ユーザにとつて良いプログラムであるとは言へません。そして、誰にでも理解し易いプログラムとは、きちんとした仕樣に從つた、一貫性のあるプログラムである筈です。
Webパブリッシング言語として、HTMLにはきちんとした仕樣があります。CGI制作者は、プログラミング言語を學ぶのと同時に、HTMLの仕樣などもきちんと勉強してゐる必要があります。しかし、現状、出たら目なHTML文書を吐出すCGIを公開して恥ぢない「CGIプログラマ」がウェブには跳梁跋扈してゐます。恐ろしい事だと思ふのは私だけでせうか。
好い加減なHTMLを吐出すCGIしか作れない人間が、全うなCGIを組んでゐるとは私には思へないのであります。Perlの仕樣には從ふくせに、HTMLの仕樣には從はない──なんて、プログラマ失格です。小汚いソースを見せびらかして威張るプログラマなんて、まともなプログラマではありません。
屑みたいなHTMLを吐出す掲示板スクリプトは、排斥しませう。
掲示板CGIがCascading Style Sheetsによる見ばえの制御を採用する事には大きなメリットがあります。
レガシーなHTMLを吐出す古めかしい掲示板CGIは、利用者の自由を奪つてゐるとすら言へます。數多くのスクリプトがリリースされてゐるから、一見選擇の自由があるやうに見えるだけです。
現状、掲示板CGI製作者は見ばえで勝負してゐる事が多く、利用者も見ばえでCGIを選ぶ傾向があります。しかし、その「見ばえ」なるものが、屡々レガシーなブラウザのスタイルに依存した「ウェブデザイン」でしかない、と云ふのもまた事實であります。
利用者も、掲示板のデザインをCGI制作者まかせにすべきではありません。デザインは自分で決定すべきです。制作者も、利用者も、己のなすべき事をきちんと辨へるべきです。そして、制作者と利用者の分離は、HTMLと云ふデータと、CSSと云ふスタイルとの分離によつて實現可能なのではないかと思ひます。