制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-06-26
改訂
2002-01-18

危險を背負ひ込む覺悟はありますか

掲示板を設置する必然性はありますか

ウェブサイト(或は所謂「ホームページ」)を作る人は、屡々掲示板を設置します。そして、「どんどん書込んで下さい」と云ふ記述をサイトに書いて見たりします。しかし、本當に掲示板はウェブサイトに常に必要でせうか。

私は、ウェブサイトに掲示板が必要である事は滅多にない、と考へます。初心者の人は、自前で掲示板を用意しなければ他人と知合ひになれない、と思ふかも知れませんが、實はさうでもないのであります。

トラブルを背負ひ込む事も豫想して

掲示板はトラブルを誘發し易い「メディア」であります。「荒し」と「閑古鳥」が掲示板の敵ですが、掲示板を設置するのはさう云ふトラブルを招き寄せる危險を背負ひ込む事でもあります(前者よりも後者の方が、場合によつては恐ろしい)。

ウェブの世界に慣れない初心者に、「リスクの大きい」掲示板を運營する事を、私はお勸め出來ないのであります。逆に、「何も知らないのならば掲示板を設置するのはおやめなさい」と申し上げたいのです。ウェブの事を或程度知つてゐる、或は長い事ウェブサイトを運營してゐる人々でさへ、屡々掲示板の運營を諦めます。それを見てゐると、掲示板の運營は初心者には無理なのではないか、と私は思ひます。

投稿を利用するのか

そもそも、掲示板と云ふのは「受動的なメディア」です。あなたは掲示板を設置する事によつて、自分で能動的にサイトを作るのではなく、投稿者にサイトを「作らせる」事を選擇したとすら言へます。即ち、あなたは或意味、投稿者を「利用」してゐるのです。

誰かに書き込んで貰ふやうお願ひするよりは、ウェブサイトの制作者は自分の意見を公開し、餘所のサイトの批評でも何でもして、自分から能動的にコミュニケートを試みる方が良いのではないでせうか。その方がきつと得る物は大きいのではないでせうか。

クレームに對處できるのか

掲示板に氣に入らない意見が書込まれた、と言つてすぐに投稿者を「掲示板荒し」呼ばはりする管理者もゐます。「仲良し掲示板」に批判的な意見が書込まれたからといつて、投稿者を追出せば良いと云ふものでもないでせう。

投稿者と喧嘩したければしても結構ですが、自分に反撥する人がゐる事實は認識しておくべきです。

目茶苦茶な事を言つて來たり、根據のない誹謗をして來たりする投稿者もゐますが、その場合にも、あなたには隙がなかつた、とは言へないのではないですか。私も人の事は言へませんが、それでも批判的な、或は荒し的な投稿があつた場合に、眞つ向から喧嘩を挑むばかりではなく、サイトの記述を直しておかうと思つたりはします。

まとめ

掲示板の管理は、ネット初心者の想像する以上に面倒な事です。

多くの掲示板管理者が、「嫌な思ひをしたくない」と云ふ保身的な、或は自己中心的な發想を持つてゐます。ところが、掲示板管理者が、他人から一方的に迷惑を蒙るばかりではなく、逆に一方的に他人に迷惑をかけるケースが少くない。

掲示板管理者が「1」嫌な思ひをしてゐる時、掲示板を見てゐる側は「10」乃至「100」の嫌な思ひをしてゐる──さう考へておいた方が良いのですが、多くの管理者はさう云ふ考へに至らない。

そして、迷惑をかけ續けた管理者は、多くの「被害者」から集中砲火を受けて、サイトを閉鎖するのです。

掲示板を管理する上では、單なる「武裝」では足らないのです。人格、知識、論理面での武裝。支持者を持つ事、隙を作らないやうにする事。

「他人に迷惑をかけない掲示板」を運営、維持するのは、大變に面倒な事です。そして、それでも掲示板を運營したい人は、面倒だからといつて、努力を抛棄しないで下さい。樂をしないで下さい。

「掲示板を設置すれば勝手にほーむぺーじのコンテンツが増える」と言ふのは、幻想です。或は、サーヴィス會社のセールストークです。信じてはいけません。