制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-06-26
改訂
2002-03-20

掲示板の不毛な論爭

公開の場での罵倒

あなたは他人を安易に罵つてはゐないか。

「かう云ふ根據があるから、○○氏の××と云ふ發言は間違ひだ」と云ふ言ひ方が許されず、「お前のやつてゐる事は誹謗・中傷だ」と云ふ決めつけや「お前のやつてゐる事は、人として許されない行爲だ」と云ふ道徳的説教、或は「他人を批判するな」と云ふ言論彈壓や「いつか火傷するぞ」と云ふ脅しが許される。

今のウェブはさうなつてしまつてゐるが、何とも不思議な事だ。


しかし、さう云ふ罵聲の飛び交ふのがウェブの議論である。匿名の惡用されるところに、議論の質が下がる原因があるのだが、今のウェブで匿名の非を鳴らしても無意味である。はつきり言つて「インターネットは便所の落書き」であり、そこら邊の驛の便所と違つてワールドワイドである所にインターネットの問題の淵源はある。

公開の場で他人を罵る場合、それなりの覺悟と云ふものが必要である。匿名の發言者にはその覺悟が常に缺落してゐる。さうした覺悟を必要としない爲の「ユーザを甘やかす仕組」が「匿名」と云ふ事だからだ。

論爭は互ひに感情的になる筈のものと割切る

感情的に反感を抱いたのなら、感情的に罵れば良い。感情的に反感を覺えただけなのに、自分の感情を恰も理性的であるかのやうに見せかけるのは感心しない。

論理的に納得が行かないのなら、論理的に反論すれば良い。しかし、論理的な批判を、人は論理的に受けとめようとしないものだ。結局、論爭で感情的になる事は必然である。

ならば、感情的になる事を最初から見越した上で、あなたは論爭に參加すべきである。そして、誰かが感情的になつてゐる事を、あなたは批判しない方が良い。

自分の意見を纏めよう

掲示板や日記同士の論爭が、必然的に感情的な言爭ひに陷る事は必然であり、結局不毛なものとなるのは自明である。ただ、その論爭を經て、あなたは自分の意見を再確認する事が出來る筈だ。

論爭後、自分の意見を改めて纏めて文章にしてみるのは、無益な事ではない。或は、後で意見を纏める爲の論爭ならば、不毛だらうが何だらうが、するが良いのである。

掲示板自體、日記自體に、私は價値を認めない。論爭をするならば、論爭以外の場で成果を殘すべきである。

和は本當に尊いものか

實際のところ、議論や論爭を通して、相手と自分との間に意見の一致を齎さうと云ふ根性が間違つてゐるのである。或は、「仲良くしよう」と考へる所に間違ひがある。

自分と他人は別の存在であり、別の考へを持つ筈のものである、と云ふ眞理が、意外な程に理解されてゐない。論爭の目的は、最後に自分と相手との間に意見の一致を齎す事ではなく、自他が互ひに各自の意見を再確認する事である。

この眞理を再認識すれば、不毛な論爭はなくなる。しかし、自分の意見に無自覺な多くの匿名發言者は、ひたすら自分の意見を相手に押附けようとするばかりであり、論爭の不毛化に一役買ふ以上の働きをしてゐない。