ウェブで議論が成立しない理由は、
の何れかによるものと斷言出來して良い。即ち、議論の當事者に、頭が惡いか、意地が惡いか、のどつちかの人間が紛れ込んでゐる、と云ふ事。
論理が解らないのは、頭が惡いからだが、論理を正しく用ゐないで只管自分に都合良く話を持つて行つたり、傍觀者の振りをして自分に都合の良い主張の勝利を勝手に宣言したりするのは、意地が惡いからだ。何れにしても、まともな議論が形成されず、まともな結論に辿り着かないのには、變りがない。
一方、議論そのものを否定するのは、兩者を兼備へてゐるのであつて、一番たちが惡い。自分の頭の惡さを自覺してゐて、それでも自分に都合良く世の中を動かしたい――さう云ふ人だからこそ、自分の意見が通らない可能性を潰す爲に、議論を最初から潰しにかかる。
逆に、議論に關る人が各自、注意してゐれば、議論は成立する。
とは言ふものの、現在の日本國では、議論についての教育がなつてをらず、また、議論それ自體を輕視させる惡質な思想がはびこつてゐる爲、議論を成立させようと云ふ意思を持たない人が多過ぎる状況に陷つてゐる。そもそもの價値觀のレヴェルから意識改革が行はれなければ状況は良くなりさうにない。