制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-06-26

ネットワークの傳統と禮儀

歴史

インターネットは實名社會だつた

インターネットは軍事ネットワーク・學術ネットワークとして出發した。だからインターネットには、身許と名前を明かにして發言すると云ふ傳統がある。今でもメールやNetNewsの記事のヘッダには發信元と送信徑路が記録され、ブラウザはアクセス先のサーヴァにアクセス元を通知する。

初期からのインターネットユーザが公明正大を好むのは、斯る傳統に基くものである。

一儲けを企むサーヴィスが匿名社會を齎した

さうした傳統を破壞したのが、無料の匿名サーヴィスである。「プライバシー保護」を名目に匿名による「情報發信」のサポートを賣り物としたサーヴィスが普及し、そのせゐで今のインターネットは巨大な無法地帶と化した。

例へば、「2ちゃんねる」や「Yahoo!掲示板」は、匿名での罵倒を默認してゐる。身許を明かにして責任ある發言をしようとする正直なユーザが馬鹿を見るシステムを、彼等は提供してゐる。最早インターネットは、實名による責任ある發言を許す全うなシステムではない。

理念

利害を超えた發言を統制する損得勘定

マナー(ネチケット)を守れ、と言はれても、今のインターネットでは、マナーを守つた方が損をする。だから、欲得づくで物事を判斷する人間はマナーを守らない。

しかし、それでも正しいと云ふ事を信ずるインターネットユーザはマナーを守る筈である。マナーのガイドなんて、讀まなくても守れる者は守つてゐるものだし、讀んだつて守らない者は守らない。一生懸命啓蒙しようとしたつて、道徳は啓蒙出來ない。啓蒙可能なのは知識だけである。

殘念ながら、多くの啓蒙サイトは、或意味、言つても甲斐ない事を言つてゐるに過ぎない。そして、道徳と云ふ事は、言つても甲斐ない事だが、それでも言ひ續けなければならない事である。そして、さう云ふ利害を超えたものを、現代人は虚假にして喜ぶ傾向がある。そればかりか、損得勘定で動かない人間を規制しようとするのが、「商人」どもである。

ネチケットは守られないから、守られなくても良いものか

いつの世にも、良識のない人間は、良識ある人間よりも數が多い。箸は二本なり、筆は一本なり、衆寡は敵せず。良識あるものは責任ある發言をして馬鹿を見、良識のない人間は匿名社會を惡用する。

それでも「ネチケット」はなくならない。

しかし、「ネチケット」の啓蒙者を、多くの人間が輕視し、蔑視する傾向だけは、何とかならないものかと思ふ。