制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
この文書の状態
パロディですんでその辺の事はよろ。

本物のウェブ管理者

本物のウェブ管理者はDOCTYPEを書かない

本物のウェブ管理者はhtml文書の冒頭にDOCTYPE宣言を書かない。UAは拡張子で文書の種類を判別すればいい。

本物のウェブ管理者はhtmlエディタ以外のテキストエディタでhtml文書を作らない。

本物のウェブ管理者はcharsetにShift_JISと書かない。htmlエディタが吐出すcharset=x-sjisでいい。

本物のウェブ管理者はhtmlのソースを読まない。今の時代はWYSWYGだよね。

本物のウェブ管理者はMacを買わない。みんなWindowsを使っているから。

本物のウェブ管理者はNetscapeNavigatorをインストールしない。Windows、Office、InternetExplorerはPCにはデフォルトで入つているものだが、NetscapeNavigatorはオプションに過ぎない。

本物のウェブ管理者はpとbr二つを区別しない。しなくても何とかなる。何とかなるのなら、気にしないでいい。細かい事を気にしていたら、ウェブの運営はできない。

本物のウェブ管理者はtableをページレイアウトのため以外に使わない。できあがったhtml文書は最後まで読込まれない限りUAに表示されないが、閲覧者はページが表示されるのをおとなしく待つべきである。

本物のウェブ管理者はスタイルシートを使わない。ただhtmlエディタが勝手に設定するなら仕方がないから放っておく。

本物のウェブ管理者はxmlを使わない。そんな難しいものを使うのは、コンピュータオタクか理工系の学生だけだと思っている。

本物のウェブ管理者は構造化された文書なんてものは下らないと考えている。そんな事を考えている暇があったら、いかに見栄えのするレイアウトをhtmlで実現できるか考えるのに使った方がいい。

本物のウェブ管理者はJavaScriptを使わない。htmlは自分の手でメンテナンスすべきものだ。

本物のウェブ管理者はJavaとJavaScriptを区別しない。細かい事を気にしていたら、ウェブの運営はできない。

本物のウェブ管理者はw3cの勧告文書を読まない。勧告文書はhtmlエディタやウェブブラウザの作者が読むべきものだ。htmlエディタやウェブブラウザは当然勧告文書に従っている筈だ。htmlエディタで作って、ウェブブラウザで表示できるhtml文書は勧告に従っている筈だろう。

本物のウェブ管理者はhtmlの勉強をしない。htmlのソースが汚くとも、ウェブサイトへのアクセス数が多ければいい。

本物のウェブ管理者は知人・友人をウェブで呼ばない。仲間内だけでやっているウェブサイトでは、アクセス数が伸びない。それに、自分のウェブサイトに来てくれた人と知合になればいいじゃないか。

本物のスタイルシーターはhtmlエディタを使わない

本物のスタイルシーターはhtml文書の冒頭にかならずDOCTYPE宣言を書く。しかしhtml 4.0 Strictのhtmlを自分が書いたと断言できないのでたいていhtml 4.0 Transitionalにしておく。

本物のスタイルシーターはhtmlエディタでhtmlを書かない。手で書けなければhtmlではないと思っているからだ。

本物のスタイルシーターはmeta要素をたくさん書く。そしてInfoseekに自分の書いたページの概要が掲載されている事を確認する。

本物のスタイルシーターはNetscapeNavigatorを使わない。スタイルシートを中途半端にしか解釈できないUAはUAではない。スタイルシートをいっさい解釋しないlynxはOKだ。

本物のスタイルシーターはMacを買わない。だってWindowsのInternetExplorer 5ならばCSS2をきちんと解釈できるんだから。

本物のスタイルシーターの書いたhtmlは決して最初からまともに表示されない。しかしサーヴァに置かれると、cssファイルの改造で、一時間で見られるものになる。

本物のスタイルシーターの書いたhtmlは、InternetExplorer 4以上でなければきれいに見えない。NetscapeNavigatorはcssに対応していないから切捨てて構わない。

本物のスタイルシーターの書いたhtmlは、NetscapeNavigatorでも読めなくはない。htmlは必要最小限の情報を伝達できればいいのだ。

本物のスタイルシーターはcssファイルをモジュール化する。NetscapeNavigatorが一部のcssファイルを読込めないようにするためだ。

本物のスタイルシーターはレイアウト目的でtableを使わない。tableにはtableの使い方というものがある。

本物のスタイルシーターはサイトへのアクセス数を気にしない。自分のサイトの閲覧者は限定されるものだと最初から諦めているからだ。

本物のCGIプログラマは親切なマニュアルを書かない

本物のCGIプログラマは親切なマニュアルを書かない。自分のスクリプトを利用したいユーザは、ある程度CGIの勉強をしているものと決めてかかっている。

本物のCGIプログラマはhtml文書の冒頭にかならずDOCTYPE宣言を書く。しかし正しいヴァージョンを書かない。

本物のCGIプログラマはhtmlエディタでhtml文書を書く。手で書くのはCGIスクリプトだけで十分だ。

本物のCGIプログラマはウェブのデザインに凝らない。凝るのはCGIスクリプトだけでいい。

本物のCGIプログラマはCGIの吐出すhtmlのソースで、段落の尻尾にpを使う。html 4.0なんて知らないでいい。

本物のCGIプログラマはWindowsを使わない。Perlが標準で入っていないOSはOSではない。

本物のCGIプログラマはMacを使わない。Perlが標準で入っていないOSはOSではない。

本物のCGIプログラマのCGIスクリプトは決して最初からまともに動かない。しかし自分のスタンドアロンのマシンで30時間の連続デバッグをほんの何度か繰返して、動くようになる。

本物のCGIプログラマはいきなり自作のCGIスクリプトをサーヴァに置かない。バグのあるスクリプトはCGIサーヴァを停止させる可能性があるからだ。

本物のCGIプログラマはhtmlの勉強をしない。そんな事を考えている暇があったら、新しいCGIのネタや既存の自作スクリプトのどこに問題があるのかを考えた方がいい。

本物のCGIプログラマはCやPascalやBasicやその他いろいろのプログラミング言語の勉強をしない。そんなものを勉強しなくたって、Perlで自分のやりたい事はできる。

本物のCGマンはアニメーションGIFに凝らない

本物のCGマンはアニメーションGIFに凝らない。凝ったアニメーションGIFを作るくらいなら、QuickTimeで作った方がいいものができる。

本物のCGマンはクライアントサイドクリッカブルマップをメニューに使う。メニューだって作品だ。

本物のCGマンは丁寧な文章を書かない。情熱はCGに傾けるべきで、文章は少し投げやりくらいがいい按配だと思っている。

本物のCGマンはAdobeのPageMillかMacromediaのDreamWeaver以外のhtmlエディタでhtml文書を作らない。AdobeとMacromediaは何となく信用できるような気がする。

本物のCGマンはウェブのデザインに凝る。CGだけでなく、ウェブ全体が一つの作品であり、トータルデザインが重要なのだ。

本物のCGマンはWindowsを愛用しない。やっぱりデザインをやるにはMacがなければ駄目だ。

本物のCGマンはPC UNIXを使わない。ハードウェアだのOSだのに興味を抱いていたりしたら、CGを描く暇がなくなる。

本物のCGマンはワークステーションのUNIXを使わない。貧乏だから個人でワークステーションを買う事ができない。仕方がないのでCGのレンダリングのために醜悪なWindows PCを1台用意している。

本物のCGマンは自分のウェブサイトのトップページに巨大な画像やムービーやFlashを置かない。それは一度やって懲りている。

本物のCGマンはウェブでframesetを使う。しかしそれが閲覧者にとって便利だとは限らない。

本物のCGマンは画像ファイルにJPEGを使う。不可逆圧縮なら、コピーされても安心だ。しかし画像の各種情報を削ぎ落されても汚く表示される事のないように、とても気を使っている。

本物のCGマンはhtmlの勉強を少しする。htmlでどれだけ凝ったデザインができるかは知ろうとする。しかし、構造化された文書なんてものは下らないと考えている。そんな事を考えている暇があったら、いかに美しいデザインをhtmlで実現できるか考えた方が──いや、CGのレンダリングをやった方がいい。

本物のCGマンにはCG関係の知合がたくさんいる。

本物のウェブデザイナーは閲覧者の事を考えない

本物のウェブデザイナーは閲覧者の事を考えない。ウェブサイト制作を依頼してきたクライアントの事だけを考えていればよい。

本物のウェブデザイナーはhtmlエディタでhtml文書を作ったあと、必ずテキストエディタで微調整をする。スクラッチから手書きでhtml文書を書くには時間がない。

本物のウェブデザイナーはcharsetにShift_JISと書かない。charset=x-sjisの方が互換性を考慮すると安全だ。

本物のウェブデザイナーは凝ったデザインを実現しているウェブサイトのhtml文書に限ってソースを読む。テクニックを盗むためだ。

本物のウェブデザイナーはmeta要素をたくさん書く。権利関係は重要だからだ。そしてInfoseekに自分の書いたページの概要が掲載されている事を確認する。売り文句も当然重要だからだ。

本物のウェブデザイナーはWindowsもMacも使う。クライアントは、できるだけ沢山の閲覧者にウェブを見てもらいたいのだから、閲覧者のプラットフォームを限定してしまってはいけない。

本物のウェブデザイナーはできあがったhtmlをInternetExplorerとNetscapeNavigatorの両方でチェックする。IEとNNの両方で全く同じように表示されて、全く同じ機能を実現できなければ、html文書ではない。

本物のウェブデザイナーはtableをページレイアウトのために使う。できあがったhtml文書は最後まで読込まれない限りUAに表示されないし、そのために閲覧者はページが表示されるのを待たねばならないが、クライアントが納得しているのだから別にいいだろう。文句を言われたら直せばいい。

本物のウェブデザイナーはスタイルシートを使わない。互換性重視。

本物のウェブデザイナーは構造化された文書なんてものは下らないと考えていない。クライアントに売りこむために、説得力ある企画書を書くのに使えるとは思っている。しかし自分のデザインするhtml文書を構造化しようとは全然考えない。クライアントが望まないものをやっても仕方がないからだ。

本物のウェブデザイナーはJavaScriptの勉強をしている。インターネットをよく知らないクライアントを驚かせるのに、JavaScriptは有効な手段だからだ。

本物のウェブデザイナーはCGIの勉強をしている。クライアントがインタラクティヴなウェブページを作るように要請してきたら、応えなければならないからだ。しかし一からCGIスクリプトを書いている時間はないから、権利関係で問題の発生しない既存のスクリプトをあらかじめ用意しておく。

本物のウェブデザイナーはhtmlの勉強をしない。しかし小手先のテクニックだけは大量にストックしている。クライアントの求めているものはhtmlの理念ではない、見た目なのだ。

本物のウェブデザイナーは知人・友人をたくさん持っている。自分で解決ができない事をクライアントに要請されたら、知合を総動員する。