制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2006-10-14

放送事業者は無責任

何んな商賣でも當り前の話ですが、御金を出して物を買つた御客さんには、きちんと商品を渡さなければなりません。御金を拂つたのに商品を渡して貰へなかつたら、多くの場合、御客さんは怒ります。

ところが、放送の場合、放送事業者は電波が視聽者に屆く事を保證してゐません。或は、ノイズだらけの非道い状態で映像や音聲が屆いても、それは自分逹放送事業者の責任ではないと思つてゐます。

こんな異常な「商賣」が何處の世界にあると言ふのでせうか。もちろん、CMで賣上を立てる放送の場合、御客は直接、放送局に御金を拂つてゐる訣ではありませんから、その點、「一般の商賣ではない」と言張れるのかも知れませんが、しかし、では、さう云ふ民間放送と違つて、視聽者に受信料を納める「義務」があるNHKは何うなのでせうか。やつぱり垂れ流される電波を視聽者は勝手に拾つて眺めるものである、と、NHKの關係者も普通にそんな風に考へてゐるのではないでせうか。

地上波アナログの場合でそんな具合である訣ですが、BSも大體、同じやうな事が言へるでせう。しかし、多くの民間放送については、「CM頼り」「視聽者に金錢的負擔をかけてゐない」と、そんな「言ひ訣」が通るかも知れません。

けれども、「無料放送」である地上波アナログやデジタル、BSの一般の放送と違つて、多くのCS放送やWOWOW、或はNHKは有料です。その有料放送が全て「放送した内容を視聽者が常に享受出來る事」を保證してゐません。ただ、垂れ流した電波を拾つて視聽者が勝手に内容を樂しむ事を、有料放送の事業者は有料にしてゐるだけなのです。

CSのデジタル放送では、有料であるにもかかはらず、コピーワンスの制限がかけられ、最新の機材では録畫に大きな制約が課せられてゐます。のみならず、コピー不可――即ち、録畫が禁止されてゐる番組も存在します。しかも、これらの有料の番組、視聽者の「手許」に屆く事を、放送事業者は全く保證してゐません。

放送事業者は、電波に乘せる番組の内容については責任を取る積りがあります。しかし、その番組が視聽者に屆く事については一切責任を取る積りなんてありません。ケーブルテレビですらさうなのであつて、視聽者が見損ねた・録畫しそこねた、或は、ノイズだらけだつた、と云ふ事に對して、内容の保證は「いたしかねます」と常に言ひます。

こんな異常な商賣が普通に成立つ、と云ふのですから、常識的に考へればをかしな話です。が、しかし、この異常な状態が常態化し、長い事續いてゐる爲に、異常である事が正常と思はれ、それに疑問を呈する方が異常であるかのやうに言はれる状況になりつゝあります。

「コンテンツを賣る」「情報を賣る」――即ち、「目に見えないもの」を賣つてゐるのだと放送事業者は言つてゐます。が、だからと言つて、まともな商賣とは異る原理が通用してゐるのは異常ではないでせうか。「異常ではない」「これを正常だと思はないのは思はない奴が惡い」と、そんな風にまで言はれ兼ねない風潮が、既に生じてゐるやうに思はれるのですが、やつぱりをかしい事はをかしいと言ふべきではないでせうか。