制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成十八年一月二十三日
「闇黒日記」平成十八年五月三日
公開
2006-10-12

「通信・放送の在り方に関する懇談会」の存在に疑問を呈す

1

俺はこの「有識者」の選擧に行つてゐないし、俺以外の一般の國民も行つてゐない。この「有権者」は、選擧に據つて選ばれたのではないからだ。即ち、彼等は非民主的な方法で選出された。「有識者会議」は非民主的な組織と言つて良い。この非民主的な組織が日本の傳統を破壞しようと云ふ政策を提言した訣だ。

非民主的に選出されたメンバーが提言し、内閣がそれを受容れて、日本の文化を破壞する、と云ふ事は、戰後の日本で一度實行され、「極めて大きな成果」を擧げた。言ふまでもなく、国語審議会に據る國語國字改革である。

戰後の民主主義の日本國で、日本の傳統を破壞しようと云ふ政策が、二度に亙つて非民主的な組織に據つて行はれようとした事實は、記憶しておいて良い。既にメンバーが選出されてしまつた事實を既成事實として全く疑ふ事なく受容れ、そのメンバーが出した提言を評價してしまふ――さう云ふ非民主的な事が民主主義國である筈の日本國で當り前のやうに存在する。これは何う云ふ事だらうか。

日本の政治家は昔から文化的な事に理解が無い。小泉も例外ではない。靖國参拝のやうな自分のパフォーマンスについては考へて行動してゐるらしいが、肝腎の政策立案で好い加減な事をやつてゐる。と言ふより、餘計な事をしようとしてゐる。小泉は、個人とか私人とかでは善い人なのかも知らんが、政治家としては無能である。有能な政治家なら、政治が文化に餘計な干渉をしようとしたら止める筈である。と言ふより、本人に皇室について定見が無いから「有識者会議」なんてものをでつち上げて「考へる」事を丸投げしたのだらう。

2

「通信・放送の在り方に関する懇談会」。これもまた非民主的な形で「選ばれた」メンバーによるものだが、「公共放送は必要」なる結論を出した模樣。竹中平蔵総務大臣が直轄する私的懇談会であるさうだが、何うしてかう云ふ私的な集りが國政だとか何だとかを動かさうとするのだらう。公共放送NHKが、かう云ふ私的な集團に據つて「必要だ」と言はれ、維持されてゐるのは、好ましい事なのだらうか。

民主主義の國で民主的に決められるべき事が、日本では非民主的な手段によつて決定されてしまふ。

3

竹中総務相の私的懇談會「通信・放送の在り方に関する懇談会」が、TVの民放キー局・地方局の持ち株會社化、經營統合を容認するとかしないとか言つてゐるらしいが、何で私的な懇談會の「決定事項」が公的なTV放送の行方を左右して良いのだらう。それがよくわからない。世の中を動かす爲には私的ななんたらかんたらを立上げて「こんな風に決りました」と言へば良いと言ふのか。嘗ての國字改革においても云々。

で、縣域毎に放送免許を賦與する縣域免許制度なるものがあるのだが、これは「維持したい」のだと。今、P2P、Winnyなんかが汎く使はれて「著作權侵害」が行はれてゐるのは、この縣域免許制度の所爲で放送内容の地域格差が生じてゐるから。はつきり言ふとあにめの放映本數が、例へば神奈川と山形では全然違つたりしてゐて、それで、あにをた向けのアニメが觀られない地域でWinnyなんかを使つて情報を補完しようとする動きが出て來る訣だ。これは當り前の事であつて、それを「著作權侵害」と言つて抑壓しようとしつゝ、その眞の原因である縣域免許制度は維持しようとする――これで「犯罪者」にされる方も堪つたものではなからう。大體、ローカル番組なんか、しよぼくて誰も觀てゐない訣で、そんなものを無駄に地方局に作らせる事が目的であるならば、縣域免許制度なんてものは全く金の無駄使ひ制度であるとしか言ひやうがない。

平成十八年五月三日

ケーブルテレビなんかも、地域毎に一業者しか參入できないやうになつてゐて、それで或業者がその地域で獨占的に營業する、と云ふシステムになつてゐる。かう云ふ風にしてケーブルテレビ業者を保護してゐると云ふ訣だが、その所爲で駄目な業者に當る事となつた地域の利用者は悲劇であり、良い業者に當る事となつた利用者と格差を生ずる事になる。かうした地域格差の發生を、どう云ふ訣か放送行政は容認し、寧ろ奬勵してゐるやうな節がある。どのやうな利權が絡んでゐるのか判らないが、格差の是正は必要な事だらう。P2Pに據るファイル共有の流行は、明かに放送行政の地域格差容認が原因になつてゐる。「著作權侵害であり犯罪である」等と言つて取締りを嚴にするよりも、地域間で放送の格差を縮めて行く事の方が、利用者にとつては幸せな結果とならう。

要は全國のヲタが齋しくアニメを觀られるようにして呉れと。それでWinny問題は方が附く筈だ。