制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成十八年八月五日
「闇黒日記」平成十八年七月二十四日
公開
2006-10-12

デジタル放送は本当に便利か

1

デジタル放送の時代になつて、番組を録畫し保存する事が何うしやうもなく面倒な事になつた。技術の進歩とは使ひ勝手を良くする事便利にする事操作を簡單にする事だと俺は信じてゐるのだが、TVの技術に關して言へば、機械が複雜化し、操作性が低下し、やりたい事が制限されるやうになつてゐる。これは寧ろ技術的には退歩であると言つて良いのではないか。

「放送と通信の融合」なんて言つてゐたけれども、放送が通信の中に解消されると云ふ正常進化は實現されず、通信が放送の舊弊なシステムの制約の下に置かれると云ふ悲慘な事態が出來しつゝある。この種のをかしな「進化」が、進化の名の下に國民に押附けられた事例は過去にもあつて、それは國字改革の事だが、それでも「便利になつたんだよ」「簡單になつたんだよ」と洗腦されれば國民は極めて容易に信ずるのであり、それで異常で不便な状況は自覺されないまゝ後世に引繼がれ、さらなる問題を惹起す。どうせだから、國語でも放送でも、行着くところまで行つて行詰つて、破綻して呉れないかねえ。

2

デジタル放送になつて、色々な事がアナログ放送よりも不明朗になつてゐる。調べれば調べるほど、デジタル放送で行はれてゐるいんちきが明かになつて來る。「アナログの方が良かつた」と云ふ事は既に一部で囁かれるやうになつてゐる。

けれども、「ゴーストがない」と云ふ「メリット」を強調して、國は放送のデジタル化を強行しようとしてゐる。既成事實化によつて強引に目的を達成しようと云ふ、日本政府得意のやり方だ。

同時に、「ワンセグ」の存在を國は頻りに強調してゐる。デジタル放送は「便利」と云ふ宣傳だ。デジタル放送に反對する人間を、「便利」と云ふ事に反對してゐる反動と極附け、反論を封殺してしまはうと云ふ、惡質な戰術である。實際には、コピー制限の存在が極めて重大な問題であり、コピーワンスのフラグを設定されたデジタル放送の信號はデジタルの便利さを完全に喪失してゐるのだが、國はデジタル放送の宣傳でコピー制限の事を全く言はない。これは國家が「詐欺行爲をやつてゐる」のだと言つて良い。

そんな訣で、俺はデジタル放送が轉ける事を希望してゐるのだが、しかし俺は既に諦めてゐる。我が日本國民は、嘗て國字問題で全くの無能を露呈した。今度も過ちを平氣で見過ごすだらう。