制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2003-10-02
改訂
2003-10-03

サイトは通り過ぎる場所であつて良い

いかにしてサイトに人を呼びこむか、と云ふ事ばかりが考へられて、どうすればサイトから餘所のサイトに人を送り出してあげられるか、と云ふ事が全く考へられない、と云ふのは奇妙な事だ。見込み客である閲覽者は自分のサイトに圍ひこんで離さないやうにする、と云ふ發想が、ウェブのビジネスにおいては常識と化してゐるやうな氣がする。

考へてみれば當り前の話で、どんな商賣も、客を迎へ入れ、應對したあとは、氣持ち良く送り出さなければならない。しつこく引留められる事を客は望まない。いつまでも離して呉れない商賣は、尻の毛まで拔き取らうとする惡質なものに決つてゐる。客の側としては、さう云ふ惡質な商賣を避ける爲にも、しつこい勸誘には警戒を怠らない。もちろん、さう云ふ警戒をしない類の客もゐて、そこにつけ込む商賣人は多いのだが、全うな商賣とは呼べないだらう。だが、現實の世界では大變全うな商賣をしてゐる人が、ウェブでは強引な勸誘を平氣でするのである。

そのサイトが行き止りのサイトであつたら閲覽者は立ち去らなくなる、と考へるサイト制作者は、案外少くないやうである。サイトでは、自社の製品を紹介すれば、閲覽者が喜んでそれを讀み、擧句、購入して呉れる、と思つてゐるサイト制作者、サイト主宰者がゐるらしい。しかし、客が或店で或會社の製品を買ふのは、その製品が欲しいからではない。その製品を安心して買へるから買ふのである。なぜ安心出來るかと言ふと、製品のメーカと販賣者との兩方が信用出來るからだ。

既に名の知られた大手の企業の直販サイトならば、或は、大手の企業の製品を扱ふ大手の販賣會社のサイトならば、閲覽者は既に相手を信用してゐるから、割と氣樂にものを買ふ。

しかし、名前の知られてゐない無名のメーカや販賣會社を、即座に信用して物を買ふやうな御人好しの客は非常に少い。が、無名のメーカや販賣會社はさう云ふ事を理解しない。客との信頼關係を築く過程を全て省略して、ひたすら製品の宣傳をする。客から見れば、惡質な勸誘と大差はない。SPAMにしろ、賣れないサイトにしろ、客と信頼關係を築く事を全然考へてゐない點で、客にして見れば「嫌らしい商賣人」でしかない。

客と企業の關係は、結局のところ金のやりとりをする關係である。が、客の側としては、金の事は前面に押出して貰ひたくないのである。知己・友人のやうな(飽くまで「やうな」)關係を、かりそめのものであつても、物を賣つて呉れる相手とは結んでおきたいのである。だから、いかにも商賣をしようと云ふ顔をしてゐる相手とは物の賣買をしようと思はない。もちろん、賣る氣のない相手から物を買はうと考へる客もゐないから、知己・友人の關係と云ふのは擬似的な關係に過ぎないのだが、要は信頼關係が出來なければ見込み客は客とならないと云ふ事である。

閲覽者は飽くまで見込み客である――それを多くのサイト制作者が忘れてゐる。

物を購入して呉れない閲覽者――さう云ふ閲覽者を二度三度と自分のサイトに訪れさせる。二度三度と訪れるうちに物を買ふ氣にさせる。或は、物を買つて呉れなくても、自分のところの評判を廣めて呉れる。――サイト制作者は、その邊の事まで考へてサイトを作るべきではないか。見込み客を信用させる爲に、焦りは禁物である。

こと、ウェブでは噂が重要である、と云ふ事をサイト制作者は認識しておくべきである。そして、噂は人が立てるものである。ならば、直接利益には繋がらなくとも、見込み客をサイトは重視しなければならない。さらに、ウェブでは見込み客とも呼べない「見てるだけ」の人間が極めて澤山ゐる。さう云ふ人間を「利用」する術を、サイト制作者は學ばなければならない。「利用」と書いたが、便利に使ふと云ふやうな意味で捉へてはならない。現實の世界以上に、直接の利害關係のない人々に對して、サイトは氣を遣はねばならないと云ふ事だ。もしうまくさう云ふ人々を「乘せる」事が出來れば、サイトを繁榮させられるチャンスは途方もなく擴大する。

意圖的に、さう云ふ人々の行き先をコントロールする――サイト制作者はその邊の事まで考へて良いと思ふ。サイトの充實をはかるのは何よりも必要な事である。そこでは、物の賣買のみならず、優れた情報のやりとりがあつたら良い。それで閲覽者がかなり滿足するやうにする――それは最低限必要な事だ。その上で。

飽くまで、その上で、の話である。満足した閲覽者をさらなる滿足を得られるサイトへと誘導する事が、實はその先方のサイトを繁榮させるのみならず、自分のサイトを繁榮させるのに重要なのである。多くのサイト制作者があきれるかも知れないが、自分のサイトを見た閲覽者に餘所のサイトを利用させろ、と言ふのである。

現實の世界以上にウェブでは閲覽者は移り氣である。自分のサイトの閲覽者が見込み客でしかないやうに、餘所のサイトに行つた閲覽者も、そのサイトの見込み客でしかない。サイト制作者はその事をおぼえておいて良いし、その爲に安心しても良い。閲覽者を餘所のサイトに誘導したところで、自分のサイトの利用客が先方のサイトに持つて行かれる事はないのである。話は逆である。自分のサイトから流れた閲覽者が、先方のサイトで自分のサイトの宣傳をして呉れるかも知れないのである。そして、現實の世界では遠慮がちで、或店の評判を別の店でしないやうな客も、ウェブでは平氣で或サイトの評判を別のサイトでするのである。

呉々も、金儲けが目的である事、宣傳が目的である事を露骨に示さないやうに。閲覽者が喜んで呉れるのを望んでゐる、と云ふ以上の氛圍氣を見せてはならないし、そもそもそれ以上の事を考へてはならない。サイト制作者は、セキュリティに關しては嚴格であつても、通りすがりの閲覽者に對しては善人でなければならない。そして人は誰かが心の底から善人であるかどうかを直觀で悟るのである。サイト制作者が商賣つ氣を出せば、閲覽者には確實に悟られる。ただ、その商賣つ氣が嫌なものでない事さへ感じ取つて貰へれば良い。