設置する側の人には流行つてゐるけれども、何處かの誰かが勝手に設置して呉れても別に嬉しくないのがWiki。
「自由に書き込んで下さい」なんて言つておけば勝手にコンテンツが出來上がるだらうと考へて設置者は掲示板CGIやWikiを設置するのだが、そんな横着な考へで良い内容の文章なり何なりが出來る訣がない。實際には、設置者が巧い事、人を引つ張つて、それなりの内容の情報を書込ませないと、掲示板にしてもWikiにしても、「ただ設置しただけ」の詰らないものになつてしまふ。
「それなりの内容の情報」を持つてゐる人は、それを氣輕にばらまいて良いと考へてゐない。ちやんとした内容の情報を持つてゐるならば、自分でまとめて、自分の作つたものとして公開したいに決つてゐる。
Wikiなり掲示板なりに氣輕に書込まれる情報は、所詮「その程度の情報」に過ぎない。
無知な人間に勝手に書直されたり、サーヴィスが管理者によつて廢止されたりする可能性があるのだから、まともな常識を持つてゐる人にはまともな情報をWikiだの何だのに書込む意欲なんて湧かない筈である。
複數の人間が寄集まつてコンテンツを作り上げる、と云ふのが可能だと、俺は思つてゐない。量は質に轉化しない。
あつちのWikiとこつちのWikiとは別のWikiであり、一箇所に書込まれた情報が自然に餘所に流れて行つて共有されるやうになる訣ではない。「Wikiによる情報共有」は、スローガンであり、幻想である。ローカルのネットワークに一つだけ設置されたWikiがメンバー間の情報共有に役立ち、掲示板的な意義を持つ事はあり得る。けれども、インターネットでは複數のWikiが個別に設置される。個別のリソースに個別の情報が存在する形態は、現状のウェブで既に實現されてゐる。その個別の情報の一つが複數の人間によつて共同的に修正を受け捲つても、所詮、それは個別の情報である。Wikiのコンテンツに貢献すると言つても、所詮、ウェブに個別に存在するうちの一つのWikiに貢献するに過ぎない。
本質的にWikiも掲示板も無意味な代物だと俺は考へてゐる。