制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十二年四月二十九日
公開
2010-06-23

誰が爲のヴァージョンアップ

ヴァージョンアップの問題 - 鬱と躁の日々

FirefoxにしてもOperaにしても、ヴァージョンアップはユーザにとつて迷惑な事になつてしまつてゐる。Internet Explorerのヴァージョンアップは「多くのサイト制作者にとつて迷惑」だが、わらひ。


MS OfficeにしてもPhotoshopにしても、ヴァージョンアップは最早、「賣る側」の理窟に基いて行はれるものになつてしまつてゐる。既に以前のヴァージョンのプログラムで必要な機能は網羅されてゐる。新しいヴァージョンになつて、操作性が大きく變ると、ユーザはヴァージョンアップしない事を積極的に選ぶやうになつた。「新しい機能も使つてみましょう」とプログラマ寄りの人は盛に言つてゐるけれども、新しい機能は「無ければ無くても問題ない」のだから仕方がない。「新しい機能の方が便利でしょ」とプログラマが言つてみたところで、「便利か何うかはあんたが決める事じゃないよ」と云ふのがユーザの本音。そして實際、「新しい機能=新しい操作性」はただ、ヴァージョンアップする言ひわけとして實裝されてゐるだけであり、見た目が變つただけでプログラムは本質的に全く進化してゐない。

世間のプログラマ諸氏は、WindowsXPが何故斯くも長い間使はれ續けてゐるか、をよくよく考へたらよろしからうと思ふ。Windows Vistaが普及しなかつたのは、WindowsXPが十分な機能を持つてゐたから。新しいヴァージョンのプログラムが、より多くの機能を搭載してゐても、「餘計な機能」を増やしてゐるだけなら、ユーザからそつぽを向かれる。

Windows7は、さすがにWindowsXPから大量に移行するユーザが出たのだけれども、これはMSがWindowsXPを強引に潰しにかかつてゐるからだ。メーカが「サポートしない」「賣らない」と云ふのだから、ユーザは買ひたくても買へない。


もつとも、時期的に、32bitから64bitへの移行がそろそろ行はれるやうになるので、それに合はせてWindows7の普及がより進む事になるのだけれども、言ふまでもなくWindows7が即64bitと云ふ訣ではない(Windows7には32bit版もある)。Windows7は、32bit版と64bit版があつて、意外と區別されてゐない。けれども、兩者には大きな違ひがあり、以前ならそれらは大きく異るものとして取扱はれてゐた筈だ。今はスムーズな移行をMSが劃策し、ユーザも大して難しく考へてゐないから、その邊は曖昧になつてゐる。「新しい64bitの時代」への移行期と考へて、意識的に「新しい64bitのWindows」を選ぶ、といつた態度があつてよろしいのだが、實際には買ふまで誰もその邊を氣にしてをらず、システムを買つてからアプリケーションが動かないだの何だのとトラブルを生じて困り果てる結果に終つてゐる。

觀念的には、「システムが良くなれば、いろいろな事が出來るやうになる筈」だ。ただ、WindowsXPが使はれ、インターネットが普及した2000年代に、デジタルの世界は「何でも便利」と云ふ訣ではなく、コピー制限やら著作權絡みの制限やらががんがんかけられる世界だとユーザに知られてしまつた。今は、「高機能化=より便利になる」と云ふものでもない、と云ふ事が、ユーザの常識と化してゐる時代だ。16bit→32bitの移行はユーザに多大なメリットを齎したし、それは移行するメリットに關する觀念的な議論に對して、事實によつて結論を示す事になつた。けれども、64bit化は今後、ユーザにメリットを示す事が出來るか何うか。

少くとも、アイ・オー・データのアナログキャプチャボードがWindows7で動かない以上、從來の環境に留まるべき理由は存在すると言ふ事が出來る。後ろ向き極まる態度で、決して好ましいものでないとは思ふけれども、貧乏人が増えた現在、仕方のない状況ではある。と言ふか俺が貧乏人だから新しいシステムに手を出せない、と云ふだけの事。