實名の發言者は屡「態度が悪い」と文句を言はれる。しかし、本當に「態度が悪い」のは實名の發言者だけなのか。
ツイッター見るようになってから感じるのは、匿名の人よりも実名の人のほうが、目を疑う暴言をよく吐くことが多いこと。実名の人は社会的地位が高い人が多いだけに。匿名の人は下ネタこそ多いが、人間性が疑われるような暴言は意外にそれほどない。
匿名の人が陰濕な工作をする事例は非常に多いが、表に出てこない事が多い。だから「匿名の人は意外と礼儀正しい」と思はれてしまふ。一方、實名の人は屡々絡まれて暴言を「吐かされる」。絡む對象とされる事が多く、怒らされる機會も多い。
實名の人は、多大なリスクをかかへてゐる。一方、匿名の人のやうに、社會的に保護されてはゐない。
匿名の人が暴言を吐いても、その情報が傳播して行く事はなく、話題になる事もない。だから匿名の人の暴言は問題にならない。實名の人は何を言つても問題にされる。炎上するのを期待されてゐるので、ちよつとしたきつかけで炎上してしまふ。炎上すれば名前が一人歩きし、ますます實名である事が目立つやうになる。
匿名の人は絶對に炎上しない。目立たないために匿名であるのだから當然だ。そして、炎上しても逃げてしまへばすぐに忘れられる。實名の場合、逃げられない。炎上すれば、名前が廣まるし、多くの人に強い印象が殘る。
斯うした事情はもつと知られていい。
實際のところ、匿名だと云ふので安心して犯罪的な事をしたり言つたりする人は多い。大問題になりさうになると、匿名の人はさつさと逃げてしまふ。逃げればみんな忘れて呉れる。匿名は氣樂だ。實名の人は逃げたくても逃げられない。逃げても忘れて貰へない。
匿名の人はみんな甘えてゐる。實名の人は、甘えたくても甘えられない。甘えれば非難される。匿名の人が甘えても、非難されないし、非難されても逃げれば良い。
匿名の發言者と實名の發言者、どつちが無責任かは明かだ。ひたすら實名が貶められ匿名が持上げられる今のウェブは異常だ。