誰が「何を言ったか」を偏見なく純粋に議論することの好例として、小飼氏は19世紀ロシアの女性数学者、ソフィア・コワレフスカヤを取り上げ、「女性であることを理由に数学者となる機会が与えられなかった彼女を救ったのは、匿名だった」と匿名の美点を称賛している。
女性であることを理由に数学者となる機会が与えられない現實は不合理だ。さうした不合理な状況は改善されなければならない。匿名で發言せざるを得なかつたのは、女性差別と云ふ不合理な状況下で、女性が已む無く撰擇させられた方便であつたわけだ。それはメリットではない。そして、重要な事だが、ここで彼女の匿名を肯定すると云ふ事は、即ち、女性差別を肯定しようと言ふ事にほかならないのだ。匿名でなくても女性が普通に數學者になれる、と云ふ、差別のない状況が出來れば最もよいのであつて、差別がある状況下、差別されてゐる人が匿名でさうした状況をかひくぐらうとするのは、次善の策に過ぎない。と言ふより、匿名の假面を、彼女は嬉しく思ひながら被つてゐた筈がない。匿名でなければならない状況を、嫌で嫌でしやうがなく思つてゐた筈だ。今はさうした嫌な状況は、以前に比べれば改善されて來てゐる。そこで依然として匿名の盛んな使用が續いてゐるのを見たら、彼女は何う思ふだらうか。大變好ましい事と思ふだらうか。