Googleのメニュー、「ウェブ 画像 動画 地図 ニュース 書籍 Gmail その他 ▼」がじわっと出て來るのがうざつたい。Googleの中の人は「どうだ、すごいだろ!」とか思つてゐるのだらうけれども、俺は「嫌だなあ」としか思はない。何でアプリ作る人はこの手の無駄な「動く」事を「とてもよい」と信じてゐるのだらう。
大體、サーヴィス提供者の感覺と、サーヴィスの消費者の感覺はずれてゐるものである。ウェブサイトでも、サイト制作者は廣告を入れたりアフィリエイトをやつたりするのに積極的だが、閲覽者はさう云ふ物を見て嫌だと思ふものだし、殆ど本能的に無視したり、ウェブブラウザのコンテンツブロックで見えないやうにしてゐたりする。
ウェブサイトのデザインをやつてゐる人は「ウェブサイトはデザインをちやんとやつてゐないと閲覽者に見て貰へない」と信じてゐる。しかし、インプレスのインターネットウォッチのやうなデザイン的に屑なサイトが、情報量の多さ・速報性の高さによつて、デザインと無關係に、多くの人に見られてゐる。
實際には、デザインデザインしたサイト(謎)はぱっと見わけがわからないから、一般の閲覽者には敬遠されがちだ。特殊な閲覽者に賞揚されるだけである。その手の「デザイン重視」のサイトは、デザインに興味のある人が見込まれる顧客ならば大丈夫なのかも知れないが、一般人向けである場合、比較的早い時期にリニューアルして「ダサい」作りに變つてしまふものだ。
一般人が見込まれる顧客であるならば、ウェブサイトが尖鋭的なデザインを採用する事は、顧客を逃がすリスクを背負ひ込むだけで、何らメリットは無い。
「デザイン的に優れてゐる」とされるウェブサイトが、内容的に面白くないものである事は、極めて多い。
デザインセンスの乏しいサイト制作者であつても、熱心にコンテンツを更新し、樂しいネタを投下し續けてゐれば、サイトの閲覽者は普通に増える。壺ネタの纏めサイトは、デザインなんて全く氣にしてゐないが、閲覽者は非常に多い。その邊、ウェブデザイナー(笑)の人はよく考へてみる必要がある。
SEOの事を考へて技術的な・小手先の工夫をするよりも、馬鹿正直にこつこつと面白いコンテンツや役に立つ記事を作つて行つた方が、サイトの評價は高まるし、閲覽者は増える。
デザインは本來、充實した内容を前提とする。良い内容のものだからこそ、見た目をさらに良いものに仕立て上げて、それで普及を促進するものである。良い内容がないのならば、叩いてでも出させる、なんて事まで、デザイナの仕事になるとすら思はれるのだが……。
ろくでもない商品をトークやら何やらで強引に店に押込んだり客に賣り附けたりするセールスマンがゐる。中身が無いのに見た目だけ派手に仕立て上げて、SEOだの何だのでページビューを稼がうとするサイト制作者がゐる。いろいろ勘違ひしてゐると思ふ。
營業が賣り易い商品を開發する事も、ウェブデザイナがデザインし易いコンテンツを用意する事も、重要な事だと思ふ。しかし、營業やデザイナに無理難題を押附けて、口八丁手八丁で「何とかしろ」と要求する、無茶な「上の人」は、今の世の中、ごまんとゐる。彼等はそれで喰つてきたと言ふのだが、さう云ふやり方が通用したのは昔だからである。景氣が良かつたからそれで通つたのだらう。今は不景氣の時代である。
IT企業は、何處の會社も、プログラマやデザイナを集めるだけ集めて、使ひ潰してゐる。兔に角、集めた人間に、アイデアや技術を出せるだけ出させて、出なくなつたら放り出す。ブラックと呼ばれるわけである。
プログラミングが專門の人にプログラミング以前のサーヴィスの企畫やサーヴィスの内容作りまでやらせようとする――そりや發想が間違つてゐるよと言ふしかないが、それが今の時代、當り前になつてしまつてゐる。IT企業は「プログラミングができない人間は人間でない」と思つてゐるが、結果として、文系的な仕事までも理系のプログラマに押附けてしまつてゐる。プログラマも、自分がすべきでない仕事であるにも關はらず、自分がすべき仕事であると思ひ込んでしまふ。自分で自分の仕事を増やしてひーひー言ふ羽目になつてゐる。
もうちよつと仕事の分擔をうまくやれば良いと思ふのだが、IT企業だからプログラミングの會社だからと云ふだけの理由で理系人間やプログラマだけを雇ふのが常識と化し、人材のアンバランスなのが改善されないやうになつてしまつてゐる。