制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十二年三月二十七日/五月二日
公開
2010-06-23

「これからはHTML 5の時代」

何年ぶりかで「正しいHTML」の議論が小規模ながら勃發してゐるのだけれども、最うHTML 4.01ベースの話は「古い」んだよな。「これからはHTML 5の時代」なのだから。


HTML 5時代のHTMLの解説を書くとしたら、「好ましくないHTML講座」と散々詰られてゐる或種の形式と、大して變らないものにならざるを得ない筈。よくある「ホームページの作り方」で見られる「HTMLのテンプレート」として、今よりも詳細なものが示されるだけだ。

だからというわけじゃないけど、個人的には外側の構造*2よりも、body要素内の要素の適切なマークアップ方法を解説するべきじゃないのかなー、とか思ったりする。

HTML 5は、そのbody要素内の要素について、一つのテンプレートを提案するものだ。HTML 5の解説では、常にHTMLのテンプレートが示される。ユーザはテンプレートに中身を嵌め込んで、一つの文書を作る事になるだらう。

HTML 5の解説では、「ブログ」の體裁を示して、茲は何要素、茲は何要素、と説明するサイトが續出するだらう。それが一番手取り早いし、ユーザにとつても分かり易いからだ。仕樣策定者が「ブログ」等の「パターン化された作りのサイト」を想定してHTML 5の仕樣を考へてゐるから、「見た目を基にした説明」をするのは間違つてゐない。そして大體そんなもので、HTML 5として正しい文書は生成されよう。かつちりしたテンプレを提供する事で、ユーザに仕樣を守らせ、そこそこ妥當なHTML文書を生成させようと云ふのがHTML 5の狙ひだ。だから「意味論的ウェブ」と言つても、HTML 5は、抽象的な事を言はず、只管具體的に要素を定義しようとしてゐる。「メニューをマーク附けするにはリストを使ふ事が出來る」と説明し、納得させるのでなく、「メニューの爲の要素」を定義し、押附けてしまふ。非常に即物的だ。即物的であるがゆゑに、「もの」を見せて説明するやり方は、HTML 5では、機能する。ユーザに理解させる必要はない。ユーザには從つて貰へば良いと云ふのだ。


斯う云ふ時代に「今では古びてしまつたHTML 4.01」の話をする意義は何か。最早「正しいHTML」の話をするのは「誰にも望まれてゐない」――HTMLの仕樣を作る側にとつてすらも。所詮HTML 5なんてウェブブラウザメーカの都合で作られた仕樣なのだし、メーカにとつて理念だの何だのは何うでも良い事でしかない。


要するに今よく見かけるレイアウトの「ブログ」やサイトのデザインを實現するHTMLを機械的に書換へるだけの爲の「新しい規格」として定められるのがHTML 5なるものであると云ふ事。