Windowsのコモンダイアログ等は、VGAで表示出來るやうに、即ち640x480の畫面に收まるやうになつてゐる。Windows 3.1からWindows95でGUIは大幅に改良されたが、最低限の互換性を確保すべく、「VGA」を基準とした設計は引繼がれてゐる。けれども、PCのハードウェアの發達に據つて、800x600の「SVGA」の畫面が最低の互換性確保の基準となつてゐる。即ち、「畫面は廣くなつた」。
畫面が廣くなつたらその分、ボタンの領域は相對的に小さくなる。當然、狹い畫面よりもマウスでポイントし辛くなつてゐる訣だ。その邊をGUIのデザイナが全然氣にしてゐないのはをかしい。もつとも、互換性が命のWindowsだから、今に至るまで過去の畫面サイズが基準となつてゐる事は已むを得ない事かも知れない。
一方、GUIのデザイナは、現在に至るまで、ユーザがボタンを押し間違ひ易くなるやうに、押し間違ひをしてはならないボタンを、わざわざ互ひにくつ附けてレイアウトする癖を持つてゐる。何を考へてゐるのだらう。これは最早、デザインとしての失敗と言つて良い。
昔からデザイナは「並べれば判り易い」と云ふ勘違ひをし續けてゐる。そんな事だから株屋がネットでの株の賣買をする時に數字を入れ間違へて、それでも氣にしないでどんどん賣りだの買ひだのの注文を出してしまふんだよ。實際にプログラムを使はないから、デザイナは使ひ勝手の事がわからないんだ。
畫面のあちこちに、無秩序に、ボタンが分散してゐたら、それは慥かに使ひ辛いものだらう。しかし、だからと言つて、至近距離に全く逆の指示を出す爲のボタンを配置するのは如何なものか。しかもそれぞれがとても小さくデザインされてゐる。多くのGUIプログラムが、ユーザに極めて正確な操作を強要してゐる。注意深くプログラムを操作するのは、必要な事ではある。けれども、さう云ふユーザの細心さを信頼して、デザイナがプログラムのインタフェイスを適當に作つてゐる現状は、をかしい。
で、さう云ふ文句を言はれると、デザイナは取敢ず「よろしいですか」のやうなダイアログを中間に插み込む。さう云ふ姑息な對策がユーザを苛立たせ、却つて機械的に「OK」ボタンを押す性癖を植附けてゐるのだが、それをデザイナは理解しない。
いや、實際には、GUIのプログラムのデザインは、屡々プログラマ自身が行つてゐる。プログラムがきちんと動く事だけをプログラマは目標としてゐるのであり、デザインは二の次になつてゐる。だが、それで良いのか。「良いのだ!」と居丈高に曰ふプログラマが、unix方面には澤山棲息してゐるやうな氣がする。
或は、逆に、變にユーザに媚びる事を以て「ユーザフレンドリー」だと勘違ひしてゐる人間が澤山ゐるやうな氣がする。ユーモアを見せる事が良いプログラマなのではないんだよ。ユーザは、巧く操作出來なくて苛々してゐる時に詰らないジョークやユーモアを見せ附けられると、却つて苛立つ。
かうなると、「人情の機微すらもプログラマが解つてゐない」と云ふのが、プログラムのインタフェイス設計における最大の問題である事になる。