餘所のサイトを眞似て、ウェブのHTML文書に「リンクフリー」と書いてゐるサイト制作者がゐます。その手の制作者は、「リンクフリー」とは「自由にリンクして下さい」の意味だと信じてゐます。
「バリアフリー」と言つた場合、「バリアがない」と云ふ事になります。そこから聯想して、「リンクフリー」は「リンクがない」の意味になるから「リンクフリー」と云ふ用語は用ゐるべきではない、とする意見があります。
しかし、そもそも、「free」とはどう云ふ意味なのでせうか。
- free
- 形容詞
- 自由な。
- 自由に……出來る。
- 暇な。
- 無料の。
- 出し惜しみしない。
- (形式などに)とらはれない。
- 遠慮のない、圖圖しい。
- 固定してゐない、離れた。
- 障碍のない、通行出來る。
- 副詞
- 無量で、ただで。
- 自由に、勝手に。
- (ねぢなどが)ゆるんで。
- 動詞
- (……から)……を自由にする、解放する。
- (……を)……から取除く、かたづける。
このほかにも、GNUがfreeを獨自に定義してゐます。「フリー」には色々な意味がある、と言ふ事が出來ます。そこで、「リンクフリー」と云ふ言ひ方は、色々な意味に取れる、と云ふ事になります。
しかも、「リンクフリー」には、まだ問題があります。
一般に「リンクフリー」とは、そのサイトの文書への「リンク」が「フリー」である事を意味する、と思はれてゐますが、「リンクフリー」と云ふ合成語には、「リンク」と「フリー」の關係を既定する辭が全く存在しません。
「リンク」「フリー」が、動的なものか、靜的なものか、動的な場合の主體は何か、……、といつた事を追求していけば、幾らでも「リンクフリー」の定義は故事つけられます。
云々。
そして、これらの定義で用ゐられてゐる「フリー」に、上で擧げたやうな樣々な意味が存在する譯ですから、さらに澤山の定義が作り得る事になります。
しかし、そもそも「リンク」と云ふ概念なくして現在のウェブと云ふメディアは存在し得ません。「リンクフリー」の定義が「勝手にリンクしてよろしい」と云ふものであるのならば、そんな定義自體、意義を持ちません。
どうも、曖昧な「リンクフリー」と云ふ用語が流行したのは、語自體の曖昧さと、語の概念に對する考察が缺如した事の相乘作用であるやうに思はれます。
イミダスのはみだし情報にも、「link free=リンクが無い」と云ふ説明があるさうな。