制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
野嵜健秀(@nozakitakehide)/2017年06月07日 - Twilog
公開
2017-06-07

ウェブサイトの制作體制

企業サイトの制作に際しては、サイト全體の方針やらスタイルやらを統一するために、編輯長を一人、トップに置いておくべきです。彼/彼女を中心に、一貫した方針の下に、繼續的にウェブサイトを制作・運營して行く事が大切です。


從來、HTML關聯の議論では、「タイトルの付け方」だの「SEO」だの「スタイルシート」だのと、瑣末な技術的議論許りが行はれてきました。これは反省されねばなりません。議論が必要なのは、サイト制作チームの體制作りの方法論です。

大企業ですらも「ネットビジネスはただ技術的にそれつぽい方法をとつてやつてゐさへすれば、それで十分、それなりの成果が舉げられるものである」としか認識してきませんでした。例のDeNAまとめサイト問題は、さうした事實があぶり出されただけの事に過ぎません。

企業がウェブサイトをネットに公開するやうになつて最う四半世紀近くなりますが、きちんとトップに編輯長を置いて、編輯部を組織し、入稿された記事を編輯部でチェックして、信頼性を確保してから公開していく、といつたシステマティックな體制を作り上げてきた一般企業は幾らもありません。何處の企業も、廣告會社の類、サイト制作屋の類に仕事を投げてはサイトを作らせて、そして定期的に下請を入換へて、サイトもゼロから作り直しをさせてきただけです。

サイト制作を專門に行なつてゐる企業で、デザイナやコーティング擔當の人は、個人的に伎倆を上げ、ノウハウを積み上げて來たかも知れません。しかし、企業がウェブサイトを設置しても、何一つ蓄積なんかしてきませんでした。企業は自社サイトを下請に作らせても、數年おきに下請を入替へ、その度にサイトはゼロから作り直される。企業サイトはスクラップアンドビルドを繰返してゐるだけなのです。

が、個人サイトも似たやうなものです。個人ユーザはネットの流行に流されて掲示板やらブログやらSNSやらに飛びついては、サーヴィスを消費して、消費し盡した後には何も殘しません。飽きたらアカウントを消して、コンテンツを消して、それでサーヴィスにさよならしてしまふ。

――こんな状況が當り前なら、より良いHTML文書もクソもありません。何年か經てば消えてしまふコンテンツの制作に、みんな力を入れる道理がありません。なんで「いいHTML文書を作らなければならない」のでせうか。技術の議論がインテリネット民の暇潰しにしかならないゆゑんです。

一般企業側の體制が酷いので、下請として企業から仕事を貰つてゐるサイト制作屋は飯を喰つて行けてゐるのかも知れません。が、そのために、ネットのウェブサイトは、何時まで經つても「よくならない」のです。

かかる状況の終着點は、ネット情報の切り貼りによつてでつち上げられた、それつぽいけれども意味のないDeNA流「まとめサイト」の出現でした。


次から次へと湧いて出てくるぽつと出のサーヴィスの波に流されて、人々はネットに溺れ、ネットの中を漂流するやうになりました。その結果、書籍や雜誌の類は滅亡に追ひやられました。刹那的な愉しみのためには、恒久的な紙の本や雜誌なんかより、刹那的なネットの方が、向いてゐるのです。

しかし、書籍や雜誌の編輯體制は實に見事に構築されたもので、ウェブサイトの制作にもたいへん參考になるのです。我々、サイト制作者は、紙の出版物を作つてきた人々に學ばなければなりません。が、一般企業も、出版社で働いてきた人々を「利用する」事を眞劍に考へてよいと思ひます。

今や滅亡しかかつてゐる紙の出版物ですが、それらを制作してきた編輯者は、原稿を扱ふのにはたいへん長けた人々です。彼らをうまく使へば、立派なウェブサイトを制作する集團として、役立たせ得る。滅亡しかかつてゐる出版界を救ふ事は最早不可能でせう。しかし、そこで仕事を失ひつゝある人々をそのまゝ丸抱へする事で、企業は自社のウェブサイト制作體制をきちんと確立する事が可能となります。

DeNAは自社で編輯體制を構築しようとしたのですが、何のノウハウもない一般人を適當に集めて安くあげようとしたので失敗したのでした。しかし、出版社をまるごとかかへこんで、編輯部を紙の出版物の制作から、ネットのウェブサイトの制作にスライドさせてゐれば、お金はだいぶかかつたでせうが、何處からも文句を言はれない、立派なコンテンツを生み出す體制が出來たのではないでせうか。

もつとも、出版社の側も、自社の獨立にこだはつて、買收を受ける積りはないでせう。ならば、出版社は自主的にネットベースのビジネスに乘出してゐて良かつた。多くの出版社は、紙の出版物にこだはつて、紙の出版物が滅亡しつゝある情勢に流されて、滅亡しつゝある。


紙の雜誌を作る事からビジネスを始めながら、早い時期にネットのニュースサイトに手を擴げて、立派に成功した企業は既にあります。インプレスです。

インプレスのニュースサイトは非常に古典的な作りで有名でしたが、先日リニューアルされました。しかし、以前と同樣、1990年代以來のコンテンツを全て保存して、情報を蓄積し續けてゐます。

インプレスはニュース專門のサイトですが、一般企業もちやんと編輯部を設けて廣報誌と同じやうな感覺でウェブサイトを作つて良かつたのです。

多くの企業は、場當り的にキャンペーンサイトを立上げては、その場限りの注目を浴びます。繼續的に讀者を確保する事には興味がありません。食品やホテルや自動車のビジネスをしてゐる企業が雜誌みたいなメディアを作るのは「をかしい」と、皆が皆、思ひ込んできたのです。食品會社は食品を賣るのが使命である。ビール會社はビールを賣るのが使命である。ホテルは――自動車會社は――云々

けれども、さうした使命を全うする上で、企業は自社の宣傳をしなければなりません。そのためにネットを利用する事を考へたのですが、ネットの性質を無視して彼らはTVコマーシャルを流すやうな感覺で宣傳をしようとした。それが大間違ひだつた。ネットは繼續的に情報が提供されるのに向いた媒體だつた。廣報誌のやうなものを作るのに向いた媒體だつた。


今のネットはあまりにも情報の信頼性が落ちてゐます。刹那的に何でも「消費する」事に、ネットユーザのみならず一般企業までもが満足してきた結果がこれです。サイト制作業者もさうしたありやうに迎合的で、企業の方針に無批判に從ひ續けてきました。

さうした中で彼らは技術論を戰はせてきたのですが、それはただの知的遊戲でしかありません。元請業者たる企業のビジネスの方針そのものが改善されない以上、どんなに議論を戰はせても、意味はありません。サイト制作者は、企業の下請として自由にやれない不平不滿を、ネットの議論の形で吐き出してゐるだけです。

いいかげん根本的なところから――即ち、制作者自身のありやうから、反省してもいい頃合だと思ひます。