あの頃――dnoz : nozaki directory projectがALLNETにあつて、Kotobaseekとか言つてゐた頃――、うちにリンクを張つて呉れたり、うちを言及して呉れたりしたサイトを巡囘する目的で、「相互リンク」いちらん、茲は笑ふ處、を作つた。
CSSによつてデザインを記述してゐたサイトが主だつたので、ジョークとして「CSSコミュニティ」と見出しを附けた。飽くまでジョークの積りだつた。
こちらとしては精々「CSSコミュニティに含まれる一部のサイト」の積り――と言ふより寧ろ、本來の意味に基いて「存在しないコミュニティ」を意味する名稱を冠する事で、「解つてゐる人が微笑する」表現をした積り――だつた。だが、「ない」ものも、表現された瞬間から「ある」ものと化してしまふ。レッテル貼りが、政治的戰術として屡々有效な所以である。
「CSSコミュニティ」として「分類される」事に違和感を覺えた人もゐたし、積極的に參加を表明する人も出て來たし、某ちゃんころ掲示板にはスレが立つし、それでゐて結局實體が存在しない、はつきりしない、と云ふ状況に變化は無かつた。
が、このレッテルによつて、無用なギスギスや誹謗中傷まで生じた事は否定しない。一方、何らかの存在意義があつたかと言ふと、どうもレッテル自體に、肯定的なニュアンスはないやうに思はれる。勿論、出自からして自虐的なジョークだつた訣で、別段、不思議はない。
依然、「コミュニティ」は存在し、議論の對象であり、同時に訣がわからないまゝである。冗談が通じる人許りでも無いウェブでは、或は不特定多數の人が見るコンテンツには、下手に冗談を書くものでない。