制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」2001-01-17
改訂
2001-03-03

宝島社を斬る


宝島社は東京都の今囘の處置(「DOS/V USER」及び「遊ぶインタ−ネット」に對する不健全圖書指定)に關して、言論表現及び出版の自由を犯すものだ、と言つてゐる。私は宝島社が自由の拡大解釈をしてゐるのではないかと思つた。そもそも、何でもかんでも「言論の自由」「出版の自由」と言つてしまふ編緝者は、能なしの編緝者である。何でさう云ふ紋切型の考へ方をするのだらうか。

馬鹿な編緝者は何も考へずに書いた馬鹿な宣言を讀返して、愧ぢる事がない。

両雑誌の意図するところは、日本に存在するパソコン関連のソフトウェアの総覧を余すところなく読者=パソコンユ−ザ−に提供することです。現代日本デジタル情報のすべての需要と供給の内容を忠実に反映しようとするものであり、決して、アダルトに特化したものではありません。

編緝者が、價値判斷を行はず、現實を忠実に反映した雜誌を作らうとするのは、非常に良くない事であると私は思ふ。雜多な情報から有益な(有益であると思はれる)情報を選び出し、讀者に提供する事が、編緝者のすべき事である。或は、編緝者は、單に公平であるだけでは駄目なのであつて、公正である事こそが大事なのである。

自分が作つてゐる雜誌は現實を忠実に反映してゐるだけであると雜誌編緝者が言ふのは、言はば「自分達は編緝など行つてゐない」と宣言してゐるやうなものである。材料を寄集める事が編緝と云ふ仕事だらうか。さうではなからう。集めた材料を巧みに「料理」する事こそが編緝の仕事である。宝島社は、自社の雜誌がアダルトに特化したものではないと言つてゐるが、自社の雜誌がただの材料の寄集めでしかないと言つてしまつてゐるのである。或は、宝島社は、自社の雜誌がきちんと編緝されたものではなく、編緝される以前の雜多な情報を唯垂れ流してゐるだけのものに過ぎないと言つてしまつてゐるのである。

「編緝されてゐない」雜誌を提供する事は、出版社の恥であり、編緝者の恥である。宝島社は根本的に勘違ひしてゐる。

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