今囘のネタは、Pop or Dieの日記(2000-11-05)から貰ひました(勝手に)。U-Zさん、ごめんなさい。
當初「闇黒日記」に載せる積りだつた(と云ふか載せた)のですが、あまりにも長くなつたのでこちらに移動。と云ふか、つつこみを入れ捲つてゐたら、やけに長くなつてしまひました。で、まあ、長くなるなら徹底的に長くしろ、と云ふ事で。
石原潔氏は2001年9月6日に死去。ここで私が幾ら批判をしても、Quio's Workplace Quio's Workplace Quio's Workplace Quio's Workplaceの記述が改善される事はなくなりました。悲しい事です。
今囘の批判對象は「HTML講座」「HTML入門」の類ではありません。ですから番外篇です。
石原氏みたいな駄目スタイルシータがゐるからスタイルシート關係者が全員誤解される。さう云ふ譯で今囘、こいつはとにかく徹底的に叩いておかなければと思ひ、私はこの文章を書きました。石原氏みたいに誤解してゐる人には、とにかくスタイルシートを使つて貰ひたくありません。誤解しながら「便利に」使ふなんて事はやめて下さい。或は、傍から見れば、便利なものを石原氏は何でわざわざ不便なやり方で使ふのかな、としか思へないのであります。
「最近はHTMLにも原理主義者がいるらしい」@2000/10/31を斬ります。
最初に言つておきますが、私は根據なき誹謗を窘めてゐるだけです。石原氏は、誤解に基いてでつち上げた愚論
を論破してゐるだけです。Cascading Style SheetsやStrictなHTMLに、根據なき誹謗を浴びせかけてゐるだけです。
一方の私は、石原氏に對して誹謗なんぞしちやゐません(もちろん過去にもした事はありません)。私は單に、石原氏の誤解を指摘し、誤りを正してゐるだけであります。
それが餘計なお節介だと云ふのなら、石原氏の發言自體がお節介なのであります。
「Quio's Workplace Quio's Workplace Quio's Workplace Quio's Workplace」なる見出し。珍妙奇天烈な見出しですが、何しろサイトの制作者である石原潔氏自身が掲げてゐるのだから仕方がありません。IEで重なつて一體に見えるとしても、ソースを見れば4囘慥かに繰返されてゐるのですから、正確を期す爲にも私はソースの記述に從ひます。
この見出しの御蔭で、lite(いつになつたら新ヴァージョンが出るの)とかiCab(Macではメジャーです。スタイルシートには對應してゐません)とかで見ると樂しい(iCabに關しては豫想)サイトになつてゐます。
ところで、このページのHTMLに関して、「なんで見出しが<h1>とかじゃなくて、p.titleなんて変なクラス作ってるんだ?」というご質問をいただきました。
うーん、別にいいじゃんかよ、俺の勝手じゃんかと思ったんですが、なんかこういうのをいちいち「HTMLの原理に反している!」と怒る人もいるらしいんで、説明しておきます。
結論から言うと、理由は「アンチエイリアシング」です。
私も結論から言ふ事にします。と云ふか、いきなり結論を言つて呉れてゐるので、後は蛇足にしかならない譯ですが。
石原氏の主張と云ふものは所詮、別にいいじゃんかよ、俺の勝手じゃんか
の域を出ないのであります。個人のわがままなので本來、放つておけば良いものなのであります。が、無理を通せば道理が引つ込むの諺が愈々深刻なテーゼとなりつつある現代に於て、この無理が通つて道理である我々の主張が引つ込まされかかつてゐるので、徹底的に叩きます。勝手
許すまじ。
と云ふか、「俺は身勝手な事を言つてゐるんだよ、文句あるか」と云ふ主張をするのは勝手ですが、自分の主張を俺の勝手
だと言ひたければ、そんな主張を他人に押付けたり、その主張に則つて他人を否定したりしないで下さい。閑話休題。
石原氏は、本來大見出しである要素を、見榮えの爲にただの段落と佯りました。ごちやごちや言ひ譯をしてゐますが、このやうなマークアップには、過去現在に於て、そして將來に於ても、一切必然性
が存在しません。
HTMLのマークアップにしろCSSの記述にしろ、全て理想型を念頭に置いて行ふべきものであります。また、さうすれば、極めて容易に行ふ事が出來ます。理想型があるから、妥協が出來ると云ふだけの話です。
端から理想型を抛棄した上で、「かう讀め」と讀者に強要するのは身勝手であります。もつとも身勝手な人間にとつて、自分の身勝手を他人が受容れるのは當り前です。論理的に身勝手な主張を否定されても凄い不滿さうな顏をするだけで反省しません。だから私が何を言つても石原氏は「また嫌な野郎がぐちやぐちや言つてゐる」と言つて私を誹謗する事でせう。論理的な批判は今の時代、割を食ふもので、割を食ふ事を普通の人はしません。しかし、さう云ふ小利口な人間が増えた事は、現代の不幸なのであります。閑話休題。
アンチエイリアシング
は理由にならん、と言ひたかつた。
HTML原理主義者というのは、「HTMLは本来、文章の『論理構造』を記述するための言語である。よって、物理的な『見た目』の定義をHTMLで記述するのは邪道。見た目はCSSに分離するがよい」と主張する人々のことです。
山本健吉曰く、
だがかういふ反論は、相手の言ふことを、自分の理解しうる範圍で解釋して、假想的に愚論をでつち上げるといふ操作を經た上でなければ、飛び出すものではない。
まあ、石原氏が私を名指しし、私の主張を要約してゐる譯ではないので、餘り適切な引用ではないかも知れません。ただ私は、石原氏が一括りにHTML原理主義者
呼ばはりして批判をするのは不適切であり間違つてゐると言ひたいのであります。或は、石原氏のHTML原理主義
なる認識は、正しくないのであります。私がなんかこういうのをいちいち「HTMLの原理に反している!」と怒る人
の一人であるのは、かうして批判の文章を公開してゐる事で明かですが、にもかかはらず私は石原氏の所謂HTML原理主義者
の定義にあてはまりません。
私がいかなる主張をしてゐるかは、このサイトを見て貰へばわかると思ひます。もちろんわからない人もゐますから明言しておきます。私は「文章に暗示されてゐる論理構造を明示する行爲がマークアップであり、マークアップの結果HTMLの規格に適合してゐる文書をHTML文書と呼ぶ」と云ふ立場をとつてをります。適切なマークアップのなされた結果であるHTML文書に、物理的な『見た目』の定義
が紛れ込む事はあり得ません。
逆に言へば、その文書がHTML文書であると言ふのなら、その文書は既に論理的な構造が適切に明示されてゐなければなりません。論理構造が適切に明示された上で見榮えが記述される事は全く問題が無いのであります。見榮えを指定するのに、「物理マークアップ」の手法を用ゐるか、スタイルシートを用ゐるかは、制作者の判斷に任されます。
うーむ。私もCSSが登場したころは、これで論理構造と物理構造が完全に分離できる、と喜んだものです。が、「画像の配置とかのためにテーブルも使っちゃダメ。それは物理構造だから。そういうことやりたければCSSの座標指定とかを使え」とまで言われると、さすがに首をかしげてしまいます。
論理構造と物理構造を分離「できる」ことは、いい。でも、「できる」ことと「しなきゃいけない」ことには、大きな違いがあるでしょう。
既に述べた通り、問題は物理構造と論理構造の分離
等ではないのであります。論理構造はいついかなる場合にも適切に明示されてゐなければならない、と云ふだけの話なのであります。
できることをやらない、と云ふのは知的怠惰。
CSSの座標指定なんて、はっきり言って特殊な用途をのぞけばだーれも使ってない。だーれも使ってないから、各ブラウザーで正しくレンダリングされるかどうかもわかんない。正しくレンダリングされるかどうかわからないから、ますますみんな使わない……という悪循環になってるものじゃんか(実はこのページトップのタイトルロゴも、絶対指定で文字を重ねて影を作ってるんだが、IE5.5とネットスケープ6preview1では解釈が違うのでちょっと困った)。
(ていうかさあ、現在のソースを見てもらえればわかるんだけど、タイトルロゴにドロップシャドウを落とすために、「Quio's Workplace」って単語が4回も繰り返されてるんだよね。論理構造でいえば、これは1回でいいはず。でも、影を作るには、どうしても4回描画しなきゃいけないし、CSSには「4回繰り返す」なんて機能はない。論理構造と物理構造の分離なんてことが、机上の空論でしかないことの証明のひとつがこれ)
この石原氏、critical experiments lainの存在は知らないのでせうねえ。CSSの座標指定
をする問題とタイトルロゴにドロップシャドウを落とす
問題について文句を言ふ事は、ここを見てゐれば絶對に出來なかつた筈であります。
私が大きな事を言ふのも、既に一年半も前に、ポジショニングを驅使し、一部の文書で縱書きも實現して見せてゐる一方、IE4とNN4で正常にレンダリングされ、lynx等のスタイルシート非對應環境でも全く問題なく閲覽出來るcritical experiments lainを公開してゐるからであります。
と云ふか、各ブラウザーで正しくレンダリングされるかどうかもわかんない
のなら、タイトルロゴにドロップシャドウを落とすために、「Quio's Workplace」って単語
を4回も繰り返
すのはやめたら良かつたのに。石原さんは精神分裂症ですか。
※CSS2にあるtext-shadowプロパティを用ゐるか、IE獨自の擴張であるfilterを用ゐるかする事で、影文字は實現可能。私には石原氏のこの主張が、論理構造と物理構造の分離なんてことが、机上の空論でしかないことの証明のひとつ
ではなく、石原氏の主張が無知に基いてゐる事の證明の一つであるとしか思はれない。
逆に、テーブルを使ってレイアウトするとなにがいいかっていうと、ブラウザーによって表示が違っちゃうことはもちろんあるんですが、そんなに大きく崩れることがないから、安心なんですよね。
Mosaicはtableの中のアンカーを扱へなかつたりするのですが、この手の「ブラウザのエラー訂正機能依存原理主義者」はすぐに「IEを使へ」「Navigatorを使へ」と高壓的に命令する譯です。
短いながらもこれまでのウェブでザインの歴史のなかで、その信頼性が実証されてきたテーブルによるレイアウトって手法を、みんなに止めさせる理由が「原理に反するから」じゃ、無理ってもんです。少なくとも、テーブルを止めなければならない「積極的な」理由がなきゃ。
tableを利用したレイアウトのデメリットを列擧します。
石原氏や「テーブル原理主義者」の人々は、閲覽者に餘計な電話代やISPへの接續料の支拂をさせてゐるとすら言へます。しかし、これらの非常に積極的な理由を、「テーブル原理主義者」は認めません。彼等はこの手の苦情に聞く耳を持つた事がありません。
SeamonkeyはMozilla Browserの開發中のコードネーム。
StrictなHTMLとCascading Style Sheetsを用ゐるメリットは以下の通り。
物理構造を完全に分離しろ! と鼻息の荒い人が主張する根拠として、物理指定を分離しておけばあとで変更が簡単だ、ってのがすぐ挙がるんですが、普通そんな変更なんて、しません。ていうか、見てくれを変更する必要があるときは、普通、論理構造も変更しなきゃならんのです。
鼻息
、はこの手の論者のキーワード。
「論理構造」を變更しなければならないのは、普通、不適切なマークアップがなされてゐるからに過ぎません。outsider reflexがスタイルシートの選擇機能を提供し、精密に記述されたHTML文書では「論理構造」を一切變更しないでも簡單に見榮えを變更出來る事實を證明してゐます。惡いのは大概自分です。
CSSに「代替スタイルシート」が定義されてゐる事實を見れば、石原氏の主張が間違つてゐるのは明かですね。スタイルシートの交換で見榮えを變更出來る事實に基いて、「代替スタイルシート」の概念は定義されてゐるのであります。
それから、石原氏が編集者をやつてゐたと云ふので、この指摘は理解出來るのではないかと期待して書いておきます。
レイアウト情報と地の文が入亂れてゐる出たら目なHTML文書よりも、物理構造と論理構造が完全に分離された正常なHTML文書の方が、ミスを見附けやすいのであります。私にして見れば、ミスを見附けやすい事は實に重大なメリットだと思ひます。
校正の基本と言へば、文字の間違ひを見つける時は文字に集中し、レイアウトの間違ひを見つける時はレイアウトに集中する、と云ふものであります(DTP時代の編集者であつた石原氏は知らないかも知れませんが)。StrictなHTMLとCascading Style Sheetsは、自然に文字情報とレイアウト情報がわかれてゐます。ミスを探るのは容易です。
残念ながら、現実には論理構造と物理構造ってのは、簡単に分離できるようなもんじゃないのです。紙の書籍の場合なんかだと、「この文章量だと、次の見出しがページの末尾に来ちゃうから、もう3行文章増やして」なんてこと、よくあるんですよ。
論理構造と物理構造
の定義がそもそも「我々」と石原氏とでは違ふ。
以下の石原氏の記述は、物理構造先行型の、石原氏流のHTMLの書き方にこそ良く當てはまります。何を勘違ひしてゐるのかわかりませんが、「スタイルシートを使ふ場合、先にレイアウトをかつちり作つておき、それに合はせてHTML文書を記述しなければならない」と石原氏は思ひ込んでゐるやうです。
StrictなHTMLの場合、先に論理的な構造をマークアップしておいて、それを流し込めるやうなレイアウトを後から作るものであります。
此處の記述は、所詮石原氏は紙メディアの發想から拔けられない古い人間であると云ふ事を證明してゐるに過ぎません。と云ふか、前後の繋がりがよくわからんのですよ。どういふ論理で、石原氏の雑誌とか書籍っての
の臺割の話がStrictなHTML否定に繋がるのか、さつぱりわからん。
極端な話ですが、エロ本なんて完全に見た目が命ですな。誰も文章なんか読みやしない。
ッて、何が言ひたいのでせうか。「俺の文章は誰も讀まないんだよ」とか云ふ自虐的なギャグなのでせうか。或は、石原氏の文章は讀むに値しない無價値なものなのだと石原氏は自分で認めてしまつたのでせうか。議論に無關係な話を極端な話
といつて安易に持込むのはやめていただきたいものです。
HTMLに用意されている論理構造タグって、<段落>だとか、<見出し1>〜<見出し7>だとか、そんなんでしょ? 分離しておいて、なんかメリットある?
文章には常に見出しと段落があります。メリット云々で見出しや段落が出來たり出來なかつたりするものではありません。分離するもしないも、最初からあるに決つてゐるものです。マークアップとは、既存の要素を明示する行爲を言ひます。だから逆に、body要素やhtml要素は明示されてゐなくとも「あるもの」と解釋される譯です。タグを分離するしない以前に、要素が嚴然と存在してゐるのであります。
ちなみに、h7なる要素はHTMLに存在しません。見出し7
ッて何でせう???
つまりね、現在のところ、HTMLの物理構造と論理構造の分離ってものには、なにも現実的なメリットはないのです。
HTML文書の變更をし易い事もさうですが、何よりもミスを發見し易い事が、實はStrictなHTMLの最大のメリットなのであります。HTMLのミスばかりではない、文章自體のミスを見附け易い。これは極めて現實的なメリットであります。誤字脱字もさうですが、文章構造自體の問題がはつきりわかる。
ちなみに、CSS2で定義されてゐる「カウンタ」を使ふ事で、見出しに自動的に「x章y節」と表示させる事が可能になります。「そんなもの要らねえ」と言はれると、必要な私みたいな人間が困りますので、言はないやうに。
というより、さらに現実的なことを言えば、ブラウザーなんてIEとネットスケープだけで、ほとんどすべてです。最近じゃネットスケープもかなり減ってきました。だからIEできちんと表示できれば、ソースなんかどうなってようが、別にたいした問題じゃないのです。
出たら目なソースをInternet Explorerがそれなりにレンダリングするのは、Internet Explorerがエラーを訂正してゐるだけであります。そもそも、Internet Explorerの整形結果だけを見れば良いと云ふのならば、石原氏はStrictなHTMLにCSSを適切な形で適用する方法を用ゐてきちんと表示
される事に文句を言へた筋合ひではありません。現實問題として、言つても意味の無い事を石原氏は言つて威張つてゐるだけです。
一方、Mozilla.orgがW3Cの規格をフルサポートする方向でSeamonkeyの開發を進めてゐたりします。
あまり変なHTMLを書くのは考え物ですが、現在であれば、IEでちゃんと表示できるように組んでおけば、それでいいでしょう。あとの問題は、ほかのブラウザーのほうが合わせてくれます。そして最終的には、それが標準の規格となっていくのです。ウェブの発展の歴史って、そういうもんです。
Seamonkeyを常用してゐる人間にとつて、こんな甘えた事を言つてSeamonkey開發陣に無用の手間をかけさせようとする怠け者の存在は極めて迷惑であります。或は石原氏は、Internet Explorer依存と言ひつつ實はInternet Explorerのエラー訂正機能に依存してゐる間違つたHTML文書を公開する事を推奬する事によつて、新しいUser AgentにもInternet Explorer互換のエラー訂正機能の搭載を要求し、事實上新しいUser Agentの開發を妨害してゐるのであります。
そういえば、ネットスケープがCSSに対応したとき、当時主流だったIE3と互換性を取ってきたから、まいったなあ。IE3のCSSの実装にはいろいろバグもあって、IE4になってかなり修正されてきたんですが、ネットスケープ4のせいで、やっぱりIE3相当のバグ対応をしなきゃいけなくて、いまだにバージョンアップしないもんだから、ずっとそのままなんですよね。早く、バージョン6を……。
Mozilla Classicのアーキテクチャが本質的にCascading Style Sheetsの機能を搭載出來ないものだから、Navigator 5の開發は中止され、當然の如くNavigator 4のヴァージョンアップもないのですが、さう云ふ事實を知らないから平氣でこんな事を言へる譯です。と云ふか、Internet Explorer 3が當時主流だつた
かと言へばさうでもないやうな氣がします。Navigator 4がIE3と互換性を取ってきた
なんて事實もありません。
私なんか、IE3を使つてゐたら、周圍の人間に變り者扱ひされたものです。
石原氏は、早く、バージョン6を……
、なんて言つてゐます。盜人猛々しいと云ふか、あきれたものです。IEでちゃんと表示できる
だけの腐れHTML文書に對應すべくSeamonkeyの開發は遲れてしまつてゐるんです。何でさう云ふ事實に氣附かないのでせうかねえ。馬鹿だからです。
Netscape6 PR1は、邊境の村落と言はれるわが「CSSコミュニティ」サイトの殆どのリソースを正常にレンダリングしました。PR1が落捲つたのは、多くの場合出たら目なHTML文書を讀込んだ時です。Seamonkeyの開發を遲らせた最大の理由は、User Agent側のエラー訂正機能に依存する出たら目なHTML文書を平氣で公開してゐる迷惑な連中のせゐです。
悪いことは言わないから、初心者は市販のHTMLエディターを使いましょう。いい加減な知識でわけのわからないHTMLを書くよりは、ツールに吐き出させたほうがマシです。それに、今時のCSSなんて、あれ、エディトリアルデザイナーでもなきゃ、全部は理解できんよ。「HTMLエディターだと最新のタグが使えないから」とウソを言う人も多いんですが、今のメジャーなHTMLエディターで、HTMLを直接編集できないものはありませんので、最新タグを使いたければそこだけ手動で書けばいいのです。
ただ一點、この馬鹿と私の意見は一致します。これは私が屡々言ふ事です。
もつとも私なら、下手に「最新タグ」なんてものに手を出すな、手書きは一切するな、ツールに任せろ、裏技の使用は禁止、とすら言ひますね。そして最後に、ツール任せにして暫くやつてみて、行詰つて、それから修正の苦しみを味はへ、と言ひますね。行詰まらなかつたら、幸せです、そのまま幸せでゐて下さい。
しかしまあ、「影文字」を作りたいが爲に同じ文字列を平然と4囘も繰返しHTML文書に記述する石原氏に、いい加減な知識でわけのわからないHTMLを書くよりは
なんて言はれる初心者
も、堪つたものではありません。と云ふか、石原氏の言ふわけのわからないHTML
とは、一體全體どれほど譯のわからないものなのでせうか。はつきり言ふと、石原氏の書いてゐるHTML文書自體、わけのわからない代物なのであります。石原氏にこんな偉さうな事を言ふ資格はないのであります。
そもそも、「HTMLエディターはなにがいいでしょう?」という質問に、勝ち誇ったように「メモ帳」(もしくはほかのテキストエディター)と答える人
は、石原さんのお仲間の「不思議マークアップ原理主義者」の方々に多いですよ。
石原氏の所謂HTML原理主義者
には、屡々Dreamweaver愛好家やGoLive5賞讃派がゐます。ホームページビルダー2000を使つてゐる人もゐます。私はエディタ派ですが、TextSS(テキスト置換ツール)を使ふ事もあります。實際のところ、「メモ帳」を使つてゐる(と自稱する)「原理主義者」はゐないと思ひます。あんな「使へねえ」エディタを使つてゐると言つたら、却つて馬鹿にされます(から「通」は言はない)。
実際某所でメモ帳使え! と偉そうに(なぜか異様に偉そうなんですよね、そういう人って)言ってる人が、そのあと「"P"タグなんて1行空白あけるだけだから不要だ!」と、HTML原理主義者が目をむくようなことを言い出しておりました。
メモ帳とHTML原理主義者
とは關係ない、とすぐに自白する石原氏。恰も兩者に關係のあるやうな言ひ方をしたのは何なのですか。非道いな。
石原さん、あなた本當に編集者だつたのですか。ライターをやつてゐるのですか。あなたの文章は出たら目です。
論理的に曖昧な文章しか書けないから、論理構造をマークアップするHTMLの概念が理解出來ないのではないですか。
どうしてもタグを覚えたいんなら、HTMLエディターに慣れてからでいいです。ただなあ……今時、PostScriptをテキストエディターで手書きする人もいないし、Illustratorをマスターしたあとで、わざわざPostScriptを勉強する人もいないしなあ(昔、真にIllustratorを使いこなすにはPostScriptを覚えなきゃイカン! と叫んでた人もいたような気がするが、真に使いこなすのとウソんこで使いこなすのはどう違ったんだろう)。CGIとか書くんならまた、別ですけどね。
PostScriptとHTMLを比較せんで下さい。プリンタ制御言語と、マークアップ言語を一緒くたにされちや堪りません。PostScriptと比較したけれあ、PDFを持出すがよろしい。
ちなみに、HTMLと比較すべきはTeXである、と云ふ説があります。TeXもStrictなHTMLも、同樣にテキスト處理出來ます。最後の最後になりますが、StrictなHTMLの大きなメリットの一つが、テキスト處理系で矢鱈簡單に一括處理出來る事だつたりします。これは、tableを驅使したり、fontを埋め込んだりして譯がわからなくなつた似非HTML文書では出來ない事です。
ていうか今さらですが、ボタン一発で行間が変えられた、日本語版IE2は便利だったなあ……。IE3で、スタイルシートがついたからという理由からか、それとも日本語版独自仕様だったからかで廃止されて、でもそれだとやっぱり困る、せめて自分でスタイルシートを書いて、ブラウザーのデフォルトの挙動を変更できるようにしてほしいと要望を出したら、それを聞いてくれたのかどうかわからないけど、IE4からユーザー補助という位置付けでその機能を追加してくれたわけだけど。
fontだの何だのと云つた「物理要素」が一般化したので、行間を固定する機能が使へると困る事になつたのではないですか。石原氏の望む「不思議マークアップ」の自由が、不便な世界をウェブに齎した結果であると思ひます。
素直にHTMLの本來の機能にウェブの制作者が從つてゐれば、ウェブが混亂する事はなかつたんです。ウェブ制作者が、勝手
な事をしようとして、本來HTMLの關知するところではなかつた色々な事を無理にHTMLにさせようとしたから、HTML自體の持つ機能までもが殺されてしまつたのであります。
皆が守る制限には意味があるけれども、誰にも守られない制限には意味が無いと云ふ眞實。
石原氏に限らず、「物理マークアップ派」の人々は、自分たちの勝手
がウェブを不便にした事を自覺し、反省するが良いのであります。或は、惡いのは自分ではないか、と、たまには自己の言動や主義を顧みるが良いのであります。人間がいつでも好き勝手を主張するのは、良くない事です。たまに反省するのは、人間にとつて良い事です。
既に2年、私はHTMLで物理構造と論理構造を完全に分離して
やつてきて、メリットしか感じた事がありません。更新頻度を上げられるのも、このやり方のメリットです。StrictなHTMLを一貫して使用し、スタイルシートによりレイアウト統一すると云ふやり方が正しい事は、私のサイトが雄辯に物語つてゐると思ひます。と云ふか、私みたいな好い加減な人間が、これだけ統一されたレイアウトを維持出來てゐるのは、スタイルシートの御蔭であります。
リニューアルの際に、文書を全部一々手書きで直すなんて眞似をしてゐたら、これだけ膨大なリソースを獨りで扱へやしなかつたでせう。しかし、テキスト置換ツールで一齊に處理出來る爲、恐ろしい程簡單に、「言葉 言葉 言葉」などのサイトを維持出來てゐます。
一方、「出たら目マークアップ」を試しに使つた事もない譯ではありません。一度あります。けれども、デメリットしか享受出來ませんでした。tableなんて使つた日には、修正なんざおちおち出來やしない。ツールの吐出したtableの構造を人間が目で追つかけるなんて、出來やしません。
それに、tableによるレイアウトも、結構制約がきつい。スタイルシートのポジショニングをおぼえると、升目單位でしかレイアウトの出來ないtableによるレイアウトなんて、不自由で不自由で。あんなものを「便利」だと言つてありがたがつてゐる連中の氣が知れません。
それにしても、某「と」のつく人にしてもこの石原氏にしても、スタイルシートを貶す割に、平然とスタイルシートを使ふのはなんでなのでせうかねえ。嫌なら使はなければ良いぢやないか。他人を「原理主義者」呼ばはりする連中は、決つて「半端者」です。
Cascading Style Sheet 實用サンプルの「言葉 言葉 言葉」「PC Tips」風User Style Sheetを強制
してみた畫像(Quios.png:45kb)を用意してみました。適當なHTML文書を作られると、閲覽する方が迷惑しますので、やめて下さい。