制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-05-09

閑馬氏を叱る・續

口ばつかりの人間は、その「口」に命をかけてゐるのでしてね。

閑馬氏、無視せず

俺の考え方を矯正したところで適当なソースを書く人間もそれを何とか見れるレベルにレンダリングしてしまうブラウザもなくならない。正しい書き方でなければレンダリングしないブラウザが世界を席巻すれば全員の文法は自動的に正しくなるがそんなものを作っても誰も受け入れない。受け入れない理由は明確です。

理想を語るだけなら俺でもできます。

May 9, 2001 (Wed) 12:10 @ おまけ

違ふ、と云ふ事

「XML+XSLでthemeが簡單に作れるGeckoを利用した高性能のデスクトップマスコットプログラムが出來たら、『何か』は一發で潰れる、だから『何か』は駄目だ」と云ふ説が成立たないのと同樣、正しい書き方でなければレンダリングしないブラウザが世界を席巻すれば全員の文法は自動的に正しくなるがそんなものを作っても誰も受け入れない。と云ふ説も成立たない。

理想と云ふ事

私は理想を語つてゐるだけではない。書式が形式的/理論的/伝統的に正しいかどうか、と云ふ點で、私は取敢へず理想的なHTML文書を作つてゐる。そして、私の理想的なHTML文書を、ブラウザが正しく整形しない譯ではない。でなければ、閑馬氏は私の文書を讀めないだらう。

綺麗なソースを書かなくとも、コンパイラは實行ファイルを作るだらうが、それでも讀み易く美しいソースを書かうとするのがプログラマの意地だらう。正しいHTML文書を書かなくともブラウザはレンダリングして呉れる。慥かにさうである。だが、それでも理想的なHTML文書を書かうとするのが、ウェブ制作者のとるべき態度であらう。

そして、プログラムのソースは公開しない限りユーザからは見えないが、HTML文書のソースは丸見えなのである。プログラムのソースよりも、HTML文書の方が、ごまかしはきかない。

仕樣と云ふ名の秩序

ころころ變る「何か」の仕樣に追隨する爲、SSP開發者のDOIchanさんが苦勞してゐる事實は示唆的。また、ghost作者も苦勞してゐる筈である。「それでも俺について來い」と閑馬氏が言ふのなら、閑馬氏の態度は非難されてゐるプラエセンス社のそれと同等のものとなる。

仕樣に準據しないデータが増える事で、處理系の開發者には負擔がかかるし、處理系の處理にも負擔がかかる。正しいHTML文書、理想的なHTML文書は全く無意味な存在であると云ふ譯ではない。

或は、そんなに出たら目なHTML文書を書きたいのなら、出たら目な記述のghostやら何やらでもきちんと動くやうに「何か」を作りなさいよ、閑馬さん。さうしたら、誰も文句を云はないで、續々と出たら目なghostを量産して呉れるから。

結論

閑馬氏は、頭の惡い御仁であるやうには思はれない。例によつて「アレルギー」症状を、閑馬氏も起してゐるのであらう。

と云ふか、無視されなかつた時點で、こちらの狙ひ通りに事は運んだのである。口先だけの人間を、どうして閑馬氏は無視出來なかつたのか。

おなじみのあれ

おまけ。

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