どうやら喧嘩を賣られてゐるらしいので。
文法なんて知りません。誰も従わない規格に価値はない。重要なのは今この瞬間にビジターのブラウザでそのサイトがちゃんと見れているかどうかであって書式が形式的/理論的/伝統的に正しいかどうかではない。実際にちゃんと表示できないせいで苦情が来るならともかく「ちゃんと表示はされてるけど文法的に間違いが」みたいな指摘は俺は完全に無視します。
例の強制スタイル
使用時。
まあ、閑馬氏は、IE - 最小フォント、NN - 9ポイント以外ではデザインが大きく崩れます。
と言ひ譯されてゐるが。
閑馬氏、「規格」とはどう云ふ意味なのか、を勘違ひしてゐるやうだ。
そもそも、エラーを許さないコンパイラの「規格」と、エラーを許さなければならないブラウザの「規格」とは同列に論じられない。前提條件が丸きり異るのに、「規格」と云ふ同じ言葉で括れるからと言つて、安易に括つてしまふのは馬鹿。
DelphiのObject Pascalに「誰も」が從ふのは、Object Pascalの規格に從はないソースをDelphiはコンパイルしないから、でしかない。HTMLの規格に多くの人が從はないのは、ブラウザが出たら目なHTMLソースも何とかレンダリングしてしまふからである。PascalとHTMLは、同じやうに「言語」と呼ばれるが、處理系の作りが全く異るので、同じ「規格」と云ふ觀點で價値判斷をすべきでない。
まあ、「何か」よりもSSPの方が、價値のあるプログラムである、と閑馬氏は言ひたいのだらう。誰も従わない規格に価値はない
のだから、誰も使はないDelphiなんぞで作られた「何か」よりも、皆が使ふVC++で作られたSSPの方が價値がある、と云ふ事になるからだ。
私は、常日頃の主張に基き、「何か」はプログラムとしては駄目駄目で、閑馬氏は駄目プログラマなのではないか、と推測する。とは言へ、「駄目プログラムだから『何か』は面白くないプログラムである」と私は主張してゐるのではないので要注意。文法的に駄目なHTML文書の中身が、面白い文章である事はある。
と云ふか、「幾ら處理系が鷹揚だからつてつけあがるんぢやねえゴルァ」ッてところ。そもそも、正しいHTML文書を書いた事もないくせに、良く安易に否定出來るよ。呵々。
それにしても、この文章が本當に無視
されるのかどうかが見もの。