制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」2000年11月27日〜12月1日
改訂
2000-12-21
この文書の状態
「闇黒日記」掲載の文章を纏めたものです。

「去華就実」を斬る

閉鎖以前

Cascading Style Sheetに對する疑問

言語過程説の立場から言ふと、「DTDに則つてHTML文書を作る」と云ふ事はなく、「論理的な文章をマークアップすれば正しいHTML文書が自然と出來上るものである」と云ふ事になります。

 CSSは「見栄えの定義が不充分だったHTMLを拡張補完するもの」と捉えたほうが、「Webデザイン」的には妥当だと思われます。HTMLでできることをあえてCSSに置き換えなければならない理由はありません。

ユーザエージェントがhtmlを整形して表示する過程では、常にユーザエージェントに搭載されてゐるデフォルトのスタイルシートが既に使用されてゐるものと看做されます。htmlが整形される場面では常にスタイルシートは既に使用されてゐるのであります。

見榮えが實現される過程でスタイルシートが介在してゐる事は從來意識されてゐなかつた、しかし、それを意識する事で、我々はhtmlの見榮えを再定義する手段を再發見した、その再定義の手段がCascading Stylesheetである、と我々は認識すべきであります。

逆に言へば、htmlは見栄えの定義が不充分だったのではなく、見榮えなど最初から定義されてゐないのであります。ただ、或特定の環境において或特定のマークアップが常に同一の整形結果を得られる事から、html自體で「見栄えの定義」が可能であると我々は錯覺してゐただけなのであります。


以前、MozillaClassicに於る見榮えだけを要求されて、變なテンプレートを基にhtmlを書かされた時、私は氣が狂ひさうになりましたよ。機械的に見出しにh?、段落はp、……とやつていけば良い「論理構造のみのマークアップ」が、いかに樂であるかを思ひ知らされましたね。

と云ふか、スタイルを指定しただけの生のdivでテキストを直接包むなんて馬鹿な例をわざわざ作つて、HTML4.01のとおり全部CSSにしたとしたら、CSSに対応していないブラウザでは上の例はどう見えるかは考えないんですかねぇ。なんて嘆いて見せるなんて、この作者は馬鹿です。それは單に間違つてゐるんですから、全うな「スタイルシーター」は絶對にそんな記述はしません。

自分の勘違ひに基いて愚論をでつち上げ、それを否定する事で自分の考へが正しいと主張するのは、やめてほしいものです。

The World Wide Web Consortiumに對する不信

W3Cの策定した仕様書(勧告を含む)が絶対的正義なのか?

どうして「アンチhtml原理主義」或は「アンチW3C主義者」の人は、かう云ふ疑問を呈するだけで終つてしまふのでせうかねえ。あなた、DTDを否定したいのに出來ないから、嫌みたらしく疑問を呈してゐるだけではないですか。逆に言へば、斯る「疑問を呈すれば否定は完了」と云ふ勘違ひをしてゐる人間の存在が、W3Cの策定した仕様書(勧告を含む)が絶対的正義である事實を證明してゐるのであります。

実際、私たちは、W3Cの仕様書があるから、こうして様々な文書型定義に基づいて文書を作成することができるわけですが、そのすべてを、何の疑いなしに受け入れることが本当に正しいのでしょうか。

DTDがなくとも私は文書を書く事が出來ます。ですから、上記の文章の前提は間違つてゐます。そして、DTDなしに作成された文書が結果としてW3CのDTDに適合した正しいhtmlとなる事は、逆にW3CのDTDが正しい事を證明してゐます。上記の文章の疑問には「本當に正しいのです」と云ふ囘答が既に待つてゐるのであります。

W3Cの仕樣書が現状に即した仕樣書である事は、疑ふべくもありません。

論理構造に關する認識

HTML4.01Strictなどと謳っていても、形式として論理構造が成立しているだけであって、文章の中身には論理構造が存在しないという、間抜けなことになっているのです。

それがどうしたのですか。htmlのマークアップは、形式として文章に成立してゐる論理構造を形式的にマークアップするためのものですよ。あなたの「本當にそれは論理構造か」と云ふ疑問は、言ひがかりをつけるための疑問に過ぎません。

形式的で何が惡いのですか? 形式的だから、簡單なのではないですか。そもそも、形式としての論理構造と文章の中身の論理構造を一致させるなんて言ふ以前に、論理的な文章ならば兩者は既に一致してゐるものではないですか。

お馬鹿な人の非論理的な文章に阿諛追從する事はありません。だからW3Cは「htmlは嚴密に論理構造のみを記述するもの」と定めたのであります。W3Cはただ單に、馬鹿は無視してゐるだけです。馬鹿の爲に「1+1=2でも1+1=3でもどつちでも良いではないか」と云ふ意見を認める數學者はゐません。全ての原理原則は、馬鹿を無視してゐます。それは權力者のアピール云々とは無關係のものです。

ブラウザベンダーの独自拡張に牽引されてきたHTMLという規格を、W3C主導に引き戻そうとするために、従来とは根本的に概念の異なる新しい仕様書を策定したと考えるのは、あまりに穿った見方でしょうか?

はいさうです。穿ち過ぎです。W3Cは、ただ單に當り前の事を當り前に定義しただけです。

結論

しかしこの去華就実の作者は、本當に頭が惡いですね。或は、言つてゐる事が支離滅裂ですね。

「現実的なHTML」でW3Cの策定した仕様書(勧告を含む)が絶対的正義なのか?などと書いておきながら、「まじっすかNetscape」ではMozillaClassicがW3Cの勸告したCSSをサポートしていないと文句を言ふ。

あんたは、W3Cの勸告が正しいと言ひたいのか、間違つてゐると言ひたいのか、一體全體どつちなの? ときいてみたいですね。と云ふか、ここを讀んでゐたら、囘答を下さい。

「閉鎖」以後

その1

あれれ、去華就実が閉鎖に。これでは我々がまるで惡人みたいではないか。と云ふか、明かな「弱い者苛め」ですな。しかし、あれでは當てつけだよ。「振られたので當てつけに自殺します」の類。やつぱりOGGI氏、「正しいhtml」の事が嫌ひなんでせう、飽くまで普及を妨碍したいみたいです。

それにしても、World Wide Criticism - 闇黒日記(2000/11/27)ですか。かうも不注意な人は、やつぱりサイトを閉めて正解かも知らんです。うちは「言葉 言葉 言葉」或は「Word Word Word Criticism」であつて、World Wide Criticismなんぞではありません。


やつぱり、幾ら叩かれても反省しないやうな面の皮の厚いTHH氏(誰)みたいな人のやつてゐる超人氣サイトでないと、叩いてはいけなかつたのですかねえ。中小サイトを潰しても、嬉しくありませんからねえ。どうせ潰すならでかい處を潰したいですし(おい)。

その2

当サイト「去華就実」は、誤ったHTMLの知識という害毒を振り撒き、正しいHTMLの普及のための障壁となりうる可能性があることが判明したので、世界に正しいHTMLを普及させるために、全面的に削除することとしました。

oggi氏の言ふ「正しいHTML」とは一體いかなる類のものなのかが全くわからない、と私は言つたのであります。或は、「W3Cを非難しながら、W3Cの仕樣に從つてゐないと言つてNetscapeを非難する」のは馬鹿な事だ、と言つたまでの事であります。

しかしまあ、他人の事を根據なしに誹謗する人間は論理的な穴を衝かれるとすぐに逃亡する、と云ふのは、掲示板でもウェブでも同じみたいです。おまけに、自分は善人づらをし、相手のイメージを惡くするのに一生懸命になる、と云ふのも變らない。


間違ひを指摘されたら、默つて認めればよろしいのであります。自説を撤囘して見せながらも、依然としてその自説に未練を見せ、自説撤囘の聲明の中で相手に嫌みを言ふなど最低です──なんて書いたけれども、以前どこかとほほな方面で同じやうな話があつた氣がするな。なぜだらう。

その3

去華就実のOGGI氏からメールを頂いた。読んでいて、返事を書いていて、また虚しくなった。結局、すれ違っているんだ……もう、泣きたいです。氏を悪く言いたかないけど、どーしてこうもすれ違ってしまうのか。

うちには來てゐませんね。うちが專ら叩いたのに、何でOGGI氏、Piroさんのところにメールを送るのだらう?

「弱い者苛め」してゐるのは、我々(誰)ではなく、むしろOGGI氏の方であるらしい。高校生を苛めてはいけません。

その4

私は他所のサイトを潰すのがこれで二囘目だから良いが、今まで自分の言論で他人を叩き潰した事のない人は、「自分のサイトを潰す事」で壓力をかけられると結構ショックが大きい筈。ちなみに一度目は、掲示板荒しの棺光一(漢孝市)のサイト。

去華就実のOGGI氏は、悔しかつたら私に直接文句を言へば良いのに。なんでPiro氏にメールを送りますか。それともあなたもどこぞの掲示板荒し(合法ドラッグ賣人)と一緒で、ISPに惡質な「ちくり」メールを送り附けましたか。


OGGI氏がサイトを全部CGIで作つてゐたのは、Googleよけの爲か? CGIなら中身がGoogleのキャッシュに殘らないから、いつでも自分の文章をウェブ上から完全に抹消出來る。邪推だが、OGGI氏は、他人から罵倒された時に自分のサイトを完全に消して嫌がらせをする事を意圖して、豫めCGI化してゐたのではないか。


縱令間違ひをやらかしてゐたとしても、他人が氣附く前にそつと訂正して知らん顏するのは定石と言へます。誤りを他人に指摘された時に、平氣な顏で訂正できるくらゐ厚かましくなるのも、ウェブでは必要な事であります。