制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十一年七月/八月/九月
公開
2009-12-05
改訂
2009-12-06

餘りに實用的に過ぎるHTML

平成二十一年七月六日
fladdict » HTML 5の仕様からオーディオ・ビデオコーデックに関する要件白紙に
FLASH v.s. HTML 5つて何……。HTMLが何時の間にかテキストをマーク附けする言語から、マルチメディアソフトのオーサリング用言語の類に變貌してゐる。「それがいいんだよ」とか言つてゐる人が多いんだらうけれども、何かをかしいと思はないのだらうか。
「意味に基く」とか「オブジェクトを操作する」とか、何でもかんでも仕樣にとり込んで、HTMLをメタボ化させるのは、好い加減、間違つてゐると氣附くべきだ。HTML 3.0の過ちを繰返してゐる。「いや、HTML 3.0は良かつたんだ」とか言つてゐた人がゐたけれども、間違つてゐたとしか思はれない。
「えいちてぃーえむえる! ご!」はダメだよ。便宜主義に流されたのだから、駄目に決つてゐる。根本的な部分でHTML 4の理念を解つてゐない連中が、「便利」「便利」と言つて適當にでつち上げようとしたのが「HTML 5」なんだから。從來のHTMLとは完全に別物としてなら「HTML 5」も「あり」だとは思ふけれども、それを意地でも「HTMLの後繼」と言張り續けるのなら、はつきり言つてそいつはいんちきだ。
「HTML 4.01 Transitionalを發展させる」とか言ふのならまだ理解できるけれども、しかしTransitionalは「すたれていくべき」ものだつたんだし――「HTML 5」なんてそもそも矛盾だらけであり得ない存在なのだと、ここいらで「保守的」な「HTML原理主義者」は聲を擧げなければ行けない。
平成二十一年八月二十七日
新しいHTML5の草案が公開 | Web標準Blog | ミツエーリンクス
HTML 5は、恐ろしく「實用的」なので、理念的には全く面白みのない規格だ。だから私は全く興味を持たないが、何でも實用的に使ひたい實用的な人には受けが良い事だらう。
汎用埋込み要素であるobject要素は、大變興味深いものだ。が、video要素なんてものは實用的に「使へる」だけで、觀念的には何の面白みも無い。
文書の觀念的な構造・抽象的な構造に興味がある人間にはHTML 4.01邊でもまだまだ具體的に過ぎて不滿だつたのだが、文書を利用して「何かをする」事に興味のある人には逆にHTML 4は抽象的過ぎて不滿だつたのだらう。ブラウザをコントロールする言語として、HTML 5は便利に使へるものとなるらしい。便利である事を喜ぶ人は多いから、HTML 5は歡迎されよう。嫌な話である。
平成二十一年九月十八日
HTML 5は、長持ちする規格だらうか。三十年經つて、通用する規格か否か。「ブログ」專用の文書フォーマットであるHTML 5は、「ブログ」ブームが去れば、何の價値も無くなるのでないか。
ISO/IEC 15445:2000は、宇宙人がやつて來てコミュニケーションの概念も方法も根柢から覆つてしまつた、なんて事態でも起きない限り、マーク附け言語として何時までも通用するものだ。文章の構造を明示するマーク附けの最も本質的な方法だからだ。文章が階層構造を持つ限り、ISO-HTMLは基本的なマーク附けの方法として通用する。
HTML 5は何うだらうか。餘りにも實用的過ぎて、技術の進歩とともにすたれてしまふのではないか。
ブラウザの進化は、既に袋小路に入り込みつゝある。PCの畫面上にウィンドウを開いて、そこに文書を表示する。ただ表示出來るものが「リッチ」になつただけだ。それは量的な發展であり、質的な變化ではない。ブラウザは、一點に留まりながら、ぶくぶくと太るだけになつてゐる。けれども、そこで技術的なブレイクスルーが出來して、根本的にブラウザの概念を覆す、なんて事態が起きないとも限らないのだ。その時、HTML 5は、何うなるだらう。新たなる技術の出現に、ついていけるのだらうか。