制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十二年十月十九日
公開
2010-11-01
改訂
2010-11-19
參考文獻
荻窪圭・牟田拓『'93前期版 よいパソコン 悪いパソコン』(JICC出版局)

1990年代のPC/AT互換機

日本アイ・ビー・エム

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PS/V以前の日本アイ・ビー・エムの名機として有名なPS/55Z 30U。モニタ一體型の使ひ勝手の良い機械だ。モニタがXGAなので高解像度ではインタレースになり些か畫面が見辛かつた模樣。デザインは後にPS/V Visionに引用される。畫像は1992年5月のカタログ。
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PS/55Z 30Uのマイナーチェンジ版、PS/55Z 30U SLC。CPUをIBM 386SLC 20MHzに換裝し、從來機の搭載してゐた同クロックの386SXに比べ、アプリケーション処理で最高88%までの高速化を実現している。1992年8月のカタログ。
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386SX 25MHzを搭載したカラーノートPC。畫面はTFTカラー液晶で640x480ドット、256色を表示可能。PS/55note初のPCMCIAスロットを標準装備、モバイル用途に便利に使へるやうになつた。ネックは價格で、DOS/VがプリインストールされるVJ8が699000圓だつた。1992年10月のカタログ。
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C23Vのモノクロ版がM23V。1992年11月のカタログ。
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當時の日本アイ・ビー・エムのハイエンドノートがPS/55 note C52 486 SLC。後にTrackPointと命名される「ポインティング・スティック」を初めて搭載した製品だ。Windowsをプリインストールする機種は無く、DOS/VかOS/2 J2.0がプリインストールされた。1992年11月のカタログ。
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DOS/Vリリース後もPS/55シリーズを繼續して販賣してゐた日本アイ・ビー・エムが、遂に發賣した低價格な「純正IBM AT互換機」。思ひ切つた低價格を打出した事で話題を呼んだ。最大の特徴は、擴張スロットに從來PS/55で採用してゐたIBM獨自のMCA(マイクロチャネル)ではなく一般的なISAを採用した事。その爲、IBM PC互換機用の周邊機器を容易に取附ける事が出來、ユーザは豊富なハードウェア資産を利用出來る事となつた。本機が「PC本家」らしからぬ如何にも互換機然としたマシンであつた事は、採用した部品にも看て取る事が出來る。グラフィックチップとして$disp.sysで/HS=LCオプションが必要なET-4000がオンボードで採用されてゐたのだ。畫像は1992年11月のカタログ。この時點では敢て486SX 20MHz/486DX 33MHzに性能が抑へられてゐた。
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PC-9800を擁するNECはPS/Vを標的にした比較廣告を打ち、DOS/Vのテキスト畫面の遲さを衝いた。それを受けてIBMは、486DX2 66MHzモデルを追加、當時Windows用の高速ビデオチップとして有名だつたWEITEK Power9000を搭載してNECに反撃し、DOS/Vファンから喝采を受けた。1993年5月版のこのカタログでは、文字表示をソフトウェアで行う事の利點として、IBM DOS/V Extensionに據り高品位フォント機能高密度テキスト機能を實現してゐる事を述べてゐる。
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日本アイ・ビー・エムがキヤノンと共同開發した、プリンタ一體型のノートPC。當時のワープロではプリンタ一體型が當り前だつたが、PCでは珍しかつた。1993年1月のカタログ。
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ThinkPad 220はA5ファイル・サイズのノートPC。小型・輕量で注目を集めた。今のネットブックの遠い御先祖樣に當る。畫面はモノクロ液晶で、CPUが386SL 16MHzだから動作は遲かつた。後繼機のThinkPad230Csで、CPUが486になり、液晶がカラー化される等の改良が加へられ、本機の問題點は解消されてゐる。1993年6月のカタログ。
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一体型世界標準マルチメディア・パソコン PS/V Vision。デザインはPS/55Z 30Uからの引用である。ターゲットのはつきりしたPCで、好評だつた。1993年11月のカタログ。
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DOS/Vブームが一段落し、一定のシェアを得た日本アイ・ビー・エムが自信を持つて送り出した低廉なエントリー機。機能面で特筆すべき事は何一つないが、十分な性能を持つたDOS/Vのスタンダード・パソコンだつた。1994年2月のカタログ。
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PS/V Entryがベーシックモデルとして登場したのに續き、上級機としてPS/V Masterが發賣された。Entry同樣、面白みの無い機械だが、PS/V Visionと別の役割を分擔したものである。1994年5月のカタログ。
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テレ・パソ・コンポのキャッチフレーズで宣傳されたPS/V Vision。テレビチューナを内藏した事が特筆される。1994年5月のカタログ。
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ThinkPad 220の後繼機がこのThinkPad 230Cs。CPUが486SX 33MHz、畫面がSTNカラー液晶になつた。ポインティングデバイスはTrackPoint II。重さは1.7kg。サイズはA5よりは大きめのA5ファイル・サイズ。1994年6月のカタログ。
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A4ジャスト・サイズのノートPC・ThinkPad 340CSE。CPUにIBM486SLC2 50MHzを搭載し、ディスプレイは9.4インチDSTNカラー液晶、メモリは最大12MB。コストダウンを優先したマシンだ。重量は2.4kg。1995年2月のカタログ。
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重さ630g、システム手帳サイズの超小型機として有名なPalmTop PC 110。CPUにSLエンハンスドi486SX 33MHz、ストレージデヴァイスとして4MBのフラッシュメモリを搭載する。2400Kbpsと遲いがモデムを内藏してをり、持運ぶ事が苦にならない眞のハンドヘルド機として、一部の「廃人」の人氣を集めた。「ウルトラマンPC」の愛稱が附けられたが、一般人には餘り賣れなかつたと云ふ事である。Windows 3.1導入濟みモデルがラインアップされ、公式に動作が保證された。OS/2の動作實績もある。1995年9月のカタログ。

COMPAQ

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米本國で長らく高級機として知られてゐたコンパックは、1990年代になつて低價格路線にシフト。日本に上陸した時には有名な激安DOS/V機、ProLinea 3/25zsを投入、PCの價格破壞を齎す「黒船上陸」のやうに騷がれた(「コンパック・ショック」)。但し、ProLinea 3/25はCPUが386で、Windows 3.0では使ひ物にならず、飽くまで低價格(HDDなしで128000圓)をアピールする爲のカタログモデルでしかない。もつとも本命の486のマシンでも、當時としては十分安かつた。また、當時のAT互換機で初めてマイクロソフトからDOS/Vの供給を受けた事が注目された。
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コンパックの上級機。ProLineaとの違ひは、DESKPRO/iでは、QVisionグラフィックスやビジネスオーディオ機能を搭載してゐる事とCPUのアップグレードが保證されてゐる事。ただ、當時(1992年〜1993年初頭)、日本語版Windows 3.1は未發賣で、日本のユーザにとつてオーディオ機能は「まだ使へないもの」だつた。
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コンパックからは當初、アメリカンテイスト溢れるポータブルPCも販賣された。キーボード(日本語化されてゐる)を嵌めるとトランク型になつて持運べる。日本人には重過ぎるやうに感じられるポータブルPC(本機で約7.9kg)だが、大きなキーボードが使へると云ふので大柄なアメリカ人にはノートPCよりも好まれたらしい。
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CONTURAはCOMPAQのノートPC。CPUは386SL 20MHz/25MHz、重量は約2.8kg。ハイバネーション機能を搭載してゐるのが賣り。1992年末〜1993年頃のカタログ。
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486SL 25MHz搭載機が追加されたCONTURAシリーズ。MS-DOS 5.0/Vに加へ、日本語版Windows 3.1をプレインストールしてゐる。1993年5月のカタログ。
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COMPAQ ProLineaシリーズは1993年のモデルチェンジで日本語Windows 3.1を標準サポート。1993年10月のカタログ。
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Pentium 60MHz/66MHzを搭載したDESKPROシリーズ。COMPAQオリジナルのグラフィックコントローラ・QVision1280/Eは1280x1024ドット・256色のモードをサポート。擴張スロットはEISAである。1993年11月のカタログ。
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COMPAQ ProLinea MT/CDS。當時盛に作られたマルチメディアマシンの一つ(MPC2.0準據)。發賣が豫告されてゐたPentiumオーバードライブプロセッサへの對應が書かれてゐる。MS-DOS 6.2/VとWindows 3.1を標準でインストールしてゐる。1994年2月のカタログ。

DELL

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現在は本國と同じく直販メーカとして知られるDELLだが、1992年頃までは三井物産デジタルが総代理店となつて販売を擔當してゐた(1993年から日本國内向けの直販を開始)。畫像はその頃のカタログ。當時は英語版のDOS5とWindows 3.1がプレインストールされてゐた。擴張スロットにはEISAが採用されてゐる。
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互換機にもマイクロソフトからDOS/Vが供給されるやうになり、Windows 3.1日本語版が標準でインストールされるやうになつた。486/Lは薄型、486/Mは標準サイズの筐體と云ふ違ひで、擴張性は異るが、基本的な性能に差はない。486/MEはEISAを搭載したマシン。1993年6月のカタログ。

DEC

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DECの實に清楚なAT互換機・LPデスクトップ・シリーズ。のちにコンパックに吸收されて消滅するDECは、1990年代初頭には既に勢ひを失ひつゝあつたが、IBM PC互換機勢の一員として優れた製品を投入してゐた。畫像は1992年12月のカタログ。
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DECpc LPデスクトップ・シリーズにWindows 3.1Jプリインストール・モデル新登場。Am 386DX 40MHz、i486SX 25MHz、i486DX 33MHz、i486DX 50MHz、i486DX2 66MHzの5機種をラインナップする。コンパクトな筐體ながら、内蔵HDDが2台、3.5インチFDDを1台、5.25インチ スロットを1個、およびフルサイズISAスロットを3個を備えてゐる。1993年6月28日版のカタログ。
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DECpc 425Nは日本DECが初めて投入したノートPCだ。SL Enhanced i486SXを搭載し、ODPによるアップグレードに対応可能(時期未定)とされてゐた。日本市場向けに、標準で3モードのFDDを持ち、ATOK7をインストールしてある。後に薄型ノートのDigital HiNote Ultraを投入するDECだが、この時點では厚さ5.5cm(425NC。モノクロモデルの425NMは5.3cm)で、普通のノートPCである。1993年7月27日版のカタログ。
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LPvは從來のコンパクトなボディを引繼いだシリーズ。Am 386と486DX 50MHzがラインナップから落された。LPxは、5インチフロントベイ×3、VL-Busスロット×2、ISAスロット×6(うち2本はVL-Busスロットと兼用)と、擴張性を重視したシリーズ。電源容量200Wと云ふのが時代を感じさせる。1993年6月28日版のカタログ。

Gateway 2000

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1990年代初頭は圓高で、PCの個人輸入がブームになつた。當時、Gateway 2000は、PCとしては優れたデザインと、性能の高さ、低價格であつた事、廣告の斬新であつた事が高く評價され、日本でもファンが増加してゐた。個人輸入する日本人マニアが増加し、それに目を附けた日商岩井が輸入に乘出した。畫像はその頃のカタログ。正規輸入であるので、サポートが日本語で附くやうになつたが、値附けが可なり高く、御買得感はなくなつた。
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餘りにも有名な牛の模樣と、當時良く用ゐられたヴィジュアル。1994年頃の日商岩井のカタログ。

エイサー

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大手メーカに製品をOEM供給してゐた臺灣の互換機メーカもDOS/Vブーム初期の頃には自社ブランドで日本市場に參入してゐる。國内大手メーカに比べて遙かに低價格である事が賣り。i486SX 25MHz、HDDなしのベーシックモデルで148000圓。1992年11月のカタログ。

マイタック

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マイタックは矢張り臺灣の互換機メーカ。畫像は1992年末〜1993年頃のカタログ。高性能で擴張性が高く價格は安い、但しデザインは野暮つたい、と云ふ典型的な互換機だ。カタログにDOS/Vのロゴがあるが、日本アイ・ビー・エムのDOS/Vが正式にサポートされてゐたわけではない。日本アイ・ビー・エムのIBM DOSバージョンJ5.0/Vは、純正IBM機で使用される事を前提にしてをり、互換機にユーザが導入して使ふのは「想定外」であつた。もつとも、日本アイ・ビー・エムのDOS/V開發者は、互換機で使用される事を重々承知してをり、$disp.sysに互換機向けのオプションを用意する等の配慮をしてゐた。

シャープ

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シャープの書院パソコン。DOS/Vの動くIBM PC互換機であるが、同時にシャープのワープロ・書院の機能も搭載してゐる。ワープロユーザの取込みを計つた過渡期のPCだ。三十三萬圓〜五十九萬圓と高價だつた爲、あまり賣れなかつた模樣。1992年7月のカタログ。

三洋

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1980年代末から、マイクロソフト主導でAXと呼ばれる方式によるIBM PC互換機の日本語化が行はれ、獨自仕樣のPCの製造・販賣を諦めた國内大手の電機メーカはAX機を發賣してゐた。しかしEGAベースのJEGAと云ふハードウェアを必要としたAXに將來性は無く、マニアやDOS/V專門誌からはAX批判が續出してゐた。AXグループのメーカだつた三洋は、AX機のAXAGEを販賣してゐたが、時代の流れでDOS/V對應を迫られた。機種名にVを附けたのはDOS/V對應をしたと云ふ事のアピール。輸入され始めた互換機に比べると國内メーカのPCは價格が高く設定されるのが常で、AXAGE Vも餘り賣れなかつたやうだ。1993年5月のカタログ。

ソニー

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矢張りAX陣營であつたソニーも、DOS/V時代が到來する事を見越してDOS/V對應を打出した。OADGとAXのロゴが入つたソニーQuarterL SEPTのカタログ(1993年6月版)。日本アイ・ビー・エムから供給されたDOS/Vを搭載してゐた。

東芝

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ダイナブックで御馴染み東芝のデスクトップ機、J-3100のカタログ。東芝のPCは、1980年代中頃からIBM互換機ベースとなり、獨自の日本語化が施され(日英MS-DOSを搭載)、特にノート機はダイナブックと名附けられて良く賣れてゐた。一太郎をROMで搭載したダイナブックEZは有名だ。しかし東芝は、DOS/Vの普及が進みつゝある状況を見て、折角築き上げた獨自の世界を捨てて、DOS/Vに合流する道を選んだ。OSがDOSからWindowsへと移行した今から見ると、當時の東芝の判斷は正しかつたと言へる。1993年6月のカタログ。

富士通

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富士通は、國内では獨自仕樣のパーソナルコンピュータ、FMRシリーズとFM TOWNSを賣つてゐたが、PC-98に押されて市場シェアが伸び惱んでゐた。海外では既に互換機を製造・販賣してをり、實績があつた事もあつて、早い時點でDOS/Vには興味を示してゐたものの、實際の製品の投入はやや遲れた。1993年後半になつて漸く国際標準機と謳つてIBM PC互換機のFMVシリーズを發賣。大手國内メーカがいよいよDOS/Vに轉向したと云ふ事で大きな話題となつた。畫像は1993年11月のカタログ。
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當時最速と言はれたVIPER VLB(Power 9000搭載)を標準裝備とした發賣記念モデル。1993年10月のカタログ。

リコー

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リコーが販賣してゐたPCは、御覽の通り、日本アイ・ビー・エムのPS/VのバッジをRICOHに張替へただけのOEMモデルである。1992年12月のカタログ。

hp

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HP 95LXは有名なパームトップ機。MS-DOSと、當時の定番表計算ソフト・ロータス1-2-3がROMに燒き込まれてゐたが、ともに英語版。横河・ヒューレット・パッカードが英語版の機械を輸入、そのまゝ發賣した。いろいろなフリーウェアで日本語化が試みられた。その後、HP 100LXを經てHP 200LXに發展した。
HP 200LX日本語化キット連動ページ

olivetti

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olivetti QUADERNO 33は、流麗なデザインで知られたA5サイズのサブノートPC。A4のカタログを二つ折りにすると大體實機と同じサイズになる。英語DOSをROMに搭載し、英語版のWindows 3.1がプレインストールされてゐたので、DOSやWindowsの環境を日本語化できるJapanese Environment Diskを標準添付していた。英語版Windowsの日本語化にはWin/Vも使用出來た。CPUはAMD386SXLV 20MHzと、日本語環境を構築して使ふには些か貧弱ではあつた。1993年11月のカタログ。
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サブノートPCのQUADERNO 33/Jと、普通のサイズのノートPCであるPHILOS 45 COLOR。1994年6月のカタログ。