制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十二年十月十九日
公開
2010-11-01
改訂
2010-11-19
參考文獻
荻窪圭・牟田拓『'93前期版 よいパソコン 悪いパソコン』(JICC出版局)

1990年代のPC-98シリーズとその互換機

NEC PC-9801/9821

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1992年頃のNECのフラッグシップ機がPC-9801FA。PC市場で大きなシェアを確保し「ガリバー」とまで呼ばれてゐたNECが激しい非難を浴びる原因となつたマシンである。CPUは486SXを16MHzで動作させてゐる。HDDなしFDD二臺搭載のベーシックモデルが458000圓。同じ頃のIBM PC互換機に比べると、成程、性能が低く、價格は高い。畫像は1992年1月のカタログ。
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PC-9801FAに次ぐミドルレンジのキューハチ。CPUは386SX 20MHz。當時のNECのノートPC、PC-9801NS/T(386SL 20MHz)、NS/L(386SX 20MHz)と同程度の性能である。1992年5月のカタログ。
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PC-9801FA、FSの更に下に位置するマシンがPC-9801FX。CPUは386SX 12MHz。既にDOS/Vマシンでは486の33MHzが當り前のやうに賣られてゐる時代にこのCPUは時代錯誤とすら言へた。同時期のNECのノートPCに比べても明かに低性能だ。1992年5月のカタログ。
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305x240x87mmの薄型PC。ファミリー向けのコンパクト機として存在したPC-9801Uシリーズの最後のマシンだ。CPUは386SX 16MHzを搭載、高速処理が可能な32ビット機と云ふ事を賣りにしてをり、カタログの表面では低価格を謳つてゐる。價格はHDD無しで248000圓。40MBのHDDが附いて358000圓、80MBのHDDが附いて418000圓。しかし當時の98ノートにも劣るスペックであり、低價格のDOS/Vマシンが續々と發賣される状況下ではユーザへの訴求力も乏しく、98MULTIが直ぐに發賣された事もあつて存在意義を失つてしまつた。1992年7月のカタログ。
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NECが1992年末に發賣したPC-9821(畫像は1992年12月のカタログ)。通稱98MULTI。CD-ROMドライヴとオーディオ機能を搭載、Windowsで640x480の256色表示が可能、と云ふマルチメディアPCの最低の機能を押へたマシンだ。とは言へ386SX 20MHzのCPUは非力で、實際に遊びに使ふのには無理があつた。1993年にはCPUを486SX 25MHzとした後繼機PC-9821Ceが發賣された。
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1993年初頭からNECはWindows 3.1での使用を前提としたマシンとしてPC-9821 Ap/Asシリーズ(98MATE)を發賣した。DOS/V攻勢へのNECの囘答とも言へるマシンで、Apは486DX2 66MHz、Asは486DX 33MHz、Aeは486SX 25MHzを搭載、Windowsの使用には十分な性能を獲得した。グラフィック表示は從來のPC-9800が持つてゐた640x400ドットのモードに加へて640x480ドット256色のモードが追加、オプションとして86C928搭載の「ウィンドウアクセラレータボードA」なるヴィデオボードが提供された。Windows 3.1を意識したサウンド機能も賣り。米国IDEA社との共同開発による新デザインコンセプトを採用、外觀も從來の機種から大きく變つてゐる。ただ、メモリがアーキテクチャによる制約で相變らず最大14.6MBとなつてをり、キューハチの將來に不安を感じさせた。1993年1月のカタログ。
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Windows向けのPC-9821シリーズと平行して、DOS環境の資産繼承を謳つたPC9801の新シリーズ「98FELLOW」も販賣された。PC-9801BAは486DX2 40MHzを搭載する上位機。外觀は98MATEと良く似てゐるが(米国IDEA社との共同開発により、ニューデザインコンセプト採用)、サウンド機能がばつさり切られてゐるからスピーカ穴がないし、前面ファイルスロットが無いから、前面はすつきりしてゐる。1993年1月のカタログ。
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98FELLOWの下位機がPC-9801BX。486SX 20MHzを搭載する。1993年1月のカタログ。
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98MATEの最上位機として發賣されたPC-9821Af。Pentium 60MHzを搭載。メモリが最大79.6MBまで拡張可能となつたのが、キューハチシリーズとしては劃期的だつた。1993年7月のカタログ。
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98MATEの下位機もPC-9821 Ap2/As2で最大メモリ容量が73.6MBに擴大された。ウィンドウアクセラレータボード2はMatrox MGA-IIを搭載。1993年11月のカタログ。
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1994年夏、NECはアーキテクチャをAT互換機寄りにシフトし、PCIバスを採用するなどの變更を行つたPC-9821 Xa/Xt(98MATE X)を發賣した。PC-98シリーズはこの頃から息を吹返し、暫く安泰かとも見られたが、1990年代後半に入ると國内ではほぼ全てのメーカがAT互換機路線に合流し、NECの孤立化が際立つやうになつて行く。1995年5月のカタログ。
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98シリーズの小型ノート・98 NOTE LIGHT。重量は2.5kg(FDDを外すと2.3kg)。畫像はマイナーチェンジされたPC-9821 Lt2の1995年8月のカタログ。

エプソン PC

のちにDOS/V機を發賣する事になるエプソンも、1990年代前半はNECのPC-98の互換機を作つて賣つてゐた。1992年頃は、當時大攻勢を掛けてゐたDOS/V勢に對抗出來るPC-9801互換機と云ふ事で、エプソンのPCは98ユーザからは結構支持されてゐた。

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i486SX 25MHzを搭載したPC-486P。同じ頃、本家NECの98が大改革を行ひ、MATE/FELLOWをリリースした爲、本機は影が薄くなつてしまつた。1993年1月のカタログ。
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PC386NAR2は、PC-98互換機としての使ひ勝手を考へて、FDDを2基搭載した珍しいノートPC。PC386NAR1は、1FDDながら、Lスロットなる擴張スロットを1基搭載してゐる。1992年9月のカタログ。
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互換機メーカのエプソンは「98 PROGRESS」を標榜しつゝ本家に對するアドヴァンティッジを追求してゐたが、98MATE/FELLOW/MULTiを擁し、高性能を賣りにDOS/V勢に積極的な反攻を仕掛けるNECに對して、AT互換機のやうな擴張性を賣りにする「アップグレード」コンセプトで以てユーザに訴へかける戰略を採つた。PC-486HX/HGはPentiumへのアップグレード保證と、NECに先行したPCIバスの採用がセールスポイントとなつてゐる。しかし、PC-486HX/HGのPCIスロットはAT互換機のものと異る獨自の形状となつてをり、NECが98MATE XでAT互換機のものと同一形状のPCIスロットを採用して來ると、對應製品が發賣されず、折角のコンセプトが活かされない結果となつてしまふ。98互換機の市場は、NECの對策が強固であつた事もあるが、互換機メーカの戰略も空囘りになりがちで、最後まで本家が強みを示し續けた。それがNECの孤立化を招き、98と云ふアーキテクチャの壽命を縮めたと見る事も出來る。1993年8月のカタログ。
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エプソンは、PC-9800互換機生産から撤退する前、既にDOS/Vマシンを自社ブランドで發賣してゐる。畫像のPCVがそれ(1994年12月のカタログ)。のちのエプソンダイレクトは直販を主としてゐるが、PCVはエプソンのPCとしてPCショップ等の一般ルートで販賣された。