KOSUGE
1961年、梁瀬(現ヤナセ)はボルボの輸入にあたり、他の自動車会社に対する名目上、別会社である北欧自動車を総輸入元として設立。梁瀬はボルボの販売代理店という位置づけでした。カタログについては、アマゾンの英語版をそのまま日本語訳したものの他に、独自のボルボ総合カタログやチラシを作成し販売促進にあてていました。カタログナンバーはなく、発行年月は記載されているものといないものがあります。

1961.03.J :梁瀬の最初のカタログ。確か1961年度のアマゾンの販売数は、輸入規制のため20台限定だったと思います。
1962.01.J :梁瀬のパンフ「外車へのご招待」。1962年度のアマゾンの販売数が、20台と書かれています。P1800は、たった5台。
1962.08.J :1961年版のツートンカラーのアマゾンから単色に変わっています。 1962年のチラシ
1963-64?.J :ボルボの解説本みたいなPR用パンフです。
上下とも1963-1964?.J :グリルのセンターに横バー付きです。 1964年頃の試乗券、裏はプライスリスト。
上下とも1963年のチラシ 1964年のチラシ
1964年頃のチラシ、当時はヤナセがプリンス自動車も販売していたことがわかります。
1965.?.J :「北欧の名花 ボルボ」
1966.03.J :なんと販売店は「伊勢丹オートショップ」。昔は、商社やデパートが直接、自動車を販売していました。
1966.11.J :アマゾンは164万円から、超高級車です。 左の大阪支店版です。
1967-1968?.J :今から考えると、皇居の前で、よく広告写真が撮れたと思います。
裏面はスペックシート
1967?.J :旧国立劇場前でしょうか?
123GTに乗るにはヘルメットが必要だったようです(笑)。
1967.11.J :アマゾンは169万円からと、わずか1年で値上げしています。 1967.11.J :144が新発売。
1967.11.J :「車に人格があるとすれば、ボルボはマジメ人間」だそうです。フムフム。
1968.?.J  1968.?.J :表紙は国立競技場?164が新発売。
1969.02.J :アマゾンは最終型なので、おまけみたいな扱いです。
1969.11.J
左:1967.?.J  右:1968.?.J :ヤナセの総合パンフで、静岡ヤナセのもの。
1969.?.J :ヤナセの総合パンフで、福岡ヤナセのもの。 1970.?.J :アマゾンは完全におまけ。