月を待つ

 

 台風が近づいていました。雨になると分かっていたけれど、お月見団子だけは用意して、ウサギさんたちと月を待ちました。
 小茄子向付の左上は友情出演の猫のloversです。月に吠えてもらいましょう「ア.オ〜!こんばんは」。薄は野分に荒れた風情に活けるのが山姥流です。

  ノート買いに出るや雨月の木々吹かれ  おるか

 

 案の定、大荒れの十五夜でしたね。
しかし、月見は十五夜で終りではありません。十六夜(いざよい)、立待月、居待月、寝待月、更待月、と続きます。更け待ちの以降は宵闇になって、その後、後の月をむかえます。今年は十月二十日ですね。
 月の字はその形から作られた象形文字ですから、もともと「欠ける」、という意味を持っています。兼好法師も「花は盛りを月は隈無きをのみ見るものかは」とかいています。欠けてゆくのこそ月の本意ならば、名月を逃したといっても哀しむことはありません。しばらくは夜空を見上げて過ごすことになりそうです。


月に寄せた名歌名句はたくさんあります。花に憬れた西行にも,月の歌もまた多い。

 木の葉散れば月に心ぞあらはるる深山がくれにすまむと思ふに 西行

 西行にとって月は自身の心を映し出すものだったのでしょう。

西行法師と同時代の明恵上人には

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

という極め付きの名月の歌がありますが、凄い歌だなぁ。

 雨の月の歌で思い浮かぶのは

ひさかたの空も涙にかきあへる月影濡らす秋の村雨 後鳥羽院

村雨ですから、それほどひどい雨風ではなかったのでしょうね。たしか熊野に行幸の折の歌だったかと思います。定家卿が「疲れた大変だ」とさんざん日記に零している強行軍で、気の毒にこのときの定家の歌はあまりいいのがないですね。

月の歌や俳句を思い浮かべているときりがないのでこの辺で終りにいたしましょう。

2012年10月1日