豆粥

 

 立春も過ぎたというのに雪の日が続いています。節分の豆の残りで豆粥を作りました。

 色絵のお碗に大豆の出汁味のおかゆ。龍の碗には黒豆と銀杏。そして紅梅のお碗に小豆粥です。
 染付の小皿は、菜花の胡麻よごし、赤絵の長皿には大根の甘酢漬け、とんぶりトッピングですとんぶり大好きなんですよ。豆粥ってなんだか元気でそうな感じがします。豆まきで追われた鬼さんたちも、どこかで一服しているかな。

 節分の行事はいろいろあります。文献的に古いのはイワシの頭と柊(またはトベラ)という組み合わせで平安時代にすでに行なわれていたそうです。そういえば紀貫之の日記にもあったような…。

 宮中の大晦日の追儺は中国の風習をならったらしく、(中国の文献の名前はこのPCではだせない漢字なのですが)「ソウ」という名の鬼が山から出てきて追い払われるというストーリーで、これが『鬼やらい』のイメージを決定したのでしょう。
 これらは新年を迎える行事ですが、日本の土地に根ざした農耕儀礼とない交ぜになってゆく過程で、立春に移行してきたのでしょう。

 しかし、なぜ豆をまくのかは依然として謎ですね。ふと思いついたことですが、天台系の社寺で、修正会に猿楽わざを行じて後戸の荒神を慰撫する事が行なわれます。
『常行堂修正故実草紙』などによると、跳びはね走り回り『不可思議の振る舞い』をするとあります。その狂騒状態に、見物人から礫が投げられるという記述もあります。これじゃないか、とおもいました。
 修正会はお正月ですが東大寺の修二会の火の粉を散らし、走り回る行法の姿に、その昔寺寺に行なわれていた追儺の様子が偲ばれます。

 後戸の神は口にするのもおそらしい存在ですが、それに憑かれ演じるのは人間です。ワクチンで免疫をつけるがごとく、悪鬼の力も人間に乗り移らせたらば、多少祓いやすくなるというわけでしょうか。
 世阿弥も風姿花伝の猿楽起源譚にインドで釈迦の説法を邪魔しようとしたダイバと一万人の外道を後戸で物まねをして鎮めたと書いています。
 荒ぶるものを人に受肉させて御しやすくするというのは、すごい智慧ですね。前々から不思議だったんです。たとえばイワシの頭、悪臭で鬼を避けるというけれど、人間にとっての悪臭が、鬼にとっても悪臭なのか?と。
鬼がもともとは人間ならば、それも理解できます。
 あらかじめ加持祈祷で制御された悪鬼魔神ですから、一般の参列者でも礫を投げて追えるのですね。

 世阿弥はまた、同じ風姿花伝の中で、聖徳太子が秦河勝に六十六番の物真似を教えたのが猿楽のはじめであると書いています。その聖徳太子御製の呪文が「現尓也娑婆 ゲニヤサバ』です正確には「現尓也娑婆東土仁三尊哉覚足那、げにやさばとんどにさぞやおぼえたるな」です。

すっかり長くなってしまいましたが、鬼を追って農耕儀礼風に豊作や幸運をいのるなら「鬼は外福は内」と囃すのがよく、、おのれの内なる無意識の邪気を祓うなら『ゲニヤサバ』と唱えるのがよろしかろうかと思う次第であります。

 人の目の鬼面に動く二月かな  おるか

 

2012年2月6日